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□[GET]星を食べる
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垂れ下がった釣糸の先で真っ赤な浮きがぷかぷかとタライに浮かんでいる。
ミラーマンはこっそりとため息をついて自分の隣をうかがった。網を片手に魚が釣れるのを今か今かと待っているタクシーの目は悪戯をしている最中のジェームスのように輝いている。それが鏡張りの部屋の壁に写った困惑した自分の表情とあまりに対照的で、ミラーマンはもう一度こっそりとため息をついた。

…まさか長い人生…自分の部屋の中で釣りをする羽目になるとは思わなかった。



「そういやお前って能力の悪用全然しないよな」

淹れてやったお茶をおとなしく飲んでいたタクシーがそんなことを言い出したのは三時間前。

「当たり前だ。そんなことをしなくても暮らしには困っていない」
「いや、そうじゃなくてさ。現実だって映るんだから色々使い道あるだろ?なんか欲しくなったりしねぇのか?」

確かにミラーマンの能力があれば鏡の中から物体の虚像を易々と取り出すことは出来る。虚像を迷界側に持ち込んだ所で、それはあくまでもあちらからは見えない裏の部分。現実の鏡に写らなくなってあちらの人間が困ることはない。

しかしどうあがいてもそれは虚像。
本物ではない。真実の姿を愛するミラーマンからしてみれば、同じように見えてとんでもなく価値が違う。

「鏡から出せるのは裏側。虚像でしかない。お前に代金を払えば本物が手に入るんだからそんなことをする必要もないだろう。オレの精神は莫大な富よりも尊い。それを損なってまで盗人の真似事をするつもりもない」

鼻を鳴らして答えるとタクシーが苦笑を返す。

「真面目だなぁミラーは。まぁその方が俺の売上にもなるから俺的にはありがたいけどさー…退屈だろ?お前が自分のためにやることなんてせいぜいプラネタリウムごっこくらいなんだから」

幽閉されたミラーマンは地下でしか星を見ることが叶わない。それを知りながらもタクシーがわざとプラネタリウムごっこなどとからかうような言い方をしたためミラーマンは激怒した。

「無礼者め…叩き出すぞ!!」
「だってよーせっかくのどこでもド…あ!」

次の瞬間タクシーがガシッとミラーマンの手を掴んだ。
叩き出そうとしていたため隙を見せたりはしていないが、タクシーの速度には反応が遅れる。腕を掴まれて焦ったミラーマンは輝くばかりの笑顔を浮かべたタクシーの顔を見上げさらに困惑することになった。

「俺、お前におすすめのとっておきの遊び思いついた!」


そしてタクシーの言う『とっておきの遊び』こそが、この釣りだった。

浮きこそタライに浮かんではいるが針が沈んでいるのは現実でのどこかの湖だ。ミラーマンの能力を使い、鏡のように凪いだ水面を通して魚の虚像を釣り上げる。それがタクシーの提案した遊びだった。

「釣りなんてしたことがないぞ」
「安心しろ。俺はここに来て直ぐの頃シェフとケンカする度にしょっちゅうやってたから慣れてる!」
「そうか」

興味などないように水面に浮かんだ浮きを見つめる。

タクシーの口から出た自分の知らない人物の名にほんの少し苛ついた。
もうどれだけの間、番人やタクシーを除くホテルの住人達を見ていないだろう。

あとどのくらい経てば…いや…永遠の繰り返しの世界に変化など訪れない。
自由が訪れる日など…永遠に…。


深い思考に囚われかけていた、その時。

「ミラー!何ぼさっとしてんだ!引いてるぞ!」
「え!?あ、ああ…どうすればいいんだ!?」

全く釣りの経験などないミラーマンがリールなどというものを知っている筈もなく、釣竿ごと魚に引っ張られる。危うくタライに頭から突っ込みそうになった時タクシーが後ろからミラーマンの体ごと釣竿を支えてくれた。

「大丈夫だ!焦るな〜…このまま支えててやるから、ゆっくりこの糸巻きを回して引き寄せろ」
「お、おう…」

そうしてなんとか釣り上げたのは、両手を広げたほどの翡翠色の鱗をした美しい魚だった。

「へーッ珍しい。こんな魚がいるんだなぁ」

ミラーマンが能力を使うのを止めたためにただのタライに戻ったその中で、狭そうに泳ぐ魚。その鱗の美しさにタクシーが感嘆する。
しかしミラーマンは真っ赤になってひりひりと痛む両手を擦ることで忙しかった。

「まだ竿を持ってた手が痛い…」
「泣き言言うな。お前は頑張って釣り上げたんだ。よくやったな」

ぽん、と頭を叩かれ見上げるとニカリと笑うタクシー。つられてミラーマンも笑みを浮かべた。

「で、どうやって喰う?ソテーとムニエルどっちにする?」

そして笑みを引っ込めた。
タライを庇うようにタクシーの前に立って叫ぶ。

「お前!食う気だったのか!」
「あったり前だろーが給料日前の俺を舐めんなよミラー…一昨日返す約束のシェフへの借金踏み倒してんだ…今日の夕飯代すらねーよ」
「返してやれよそれは!違うダメだ!これはオレがはじめて釣った魚なんだぞ!オレが飼う!」
「む…まぁそうだな…二人で釣ったわけだからお前にも半身やるよ。で、ソテーとムニエルどっちにする?」
「オレの話を聞け!!」

堂々巡りする会話の末に『ミラーマンが責任を持って魚を肥らせる。その代わりに給料日までタクシーにも金庫室で食事を提供する』という結論に至り、突然増えた魚と車にまで餌をやらなくてはいけなくなったインコにミラーマンは散々文句を言われた。

そんなわけで、ミラーマンはその魚を飼うことになった。何時目を離した隙に黄色い元化け猫に食われても諦められるように愛着が湧かない名前として、その魚は『ソテー』と命名された。


「ソテー、ソテー♪餌だぞー」

透明な水槽に餌を入れてベッタリと張りついているミラーマン。指先を水面に浸し、魚が指先をつつくとふふふと怪しげな笑い声を出している。もはや愛着どころか溺愛していないと言えるわけがない。

考えてみればミラーマンにとってソテーは、はじめての『自分が面倒をみるべき生き物』となったわけだ。張り切ったミラーマンに水槽だのポンプだのを買いに行かされたタクシーはため息をついた。

「ペット道楽になんなきゃいいけどなぁ…」

相変わらず見上げると部屋の天井には星空に月が登っている。

「お前プラネタリウムだけじゃなく水族館までおっぱじめる気?」
「オレの部屋をレジャー施設扱いするんじゃあないぞタクシー。…少しでもソテーが故郷と同じように暮らせるようにな」

言われて見ると天井の月は時折さざ波に揺れるように揺らめいていた。

「まさか魚のために能力を使うたァ…ペット馬鹿ここに極まれり…」
「五月蝿い。あっ、見ろタクシー!ソテーが水面の月を食べようとしてるぞ!ほらさっさとこっち来てお前も見ろ!!」
「はいはい」


水槽を覗き込むとなるほど確かに魚が水面に反射する星々を餌と間違え啄んでいた。水槽の底にも鏡を敷いてあるのか、まるで宇宙空間を泳いでいるみたいだ。

夜空に浮かぶ翡翠の鱗を二人してじっと見つめている。

「綺麗だな」
「…ああ」

水槽に覆い被さるように水面を覗き込むミラーマン。無言でその様子を眺めながら考え事をしていたら旦那から呼び出しがかかってきた。どうやら俺も随分と長く浸っていたようだ。ミラーマンが顔をあげずに呟く。

「仕事か?」
「ああ。また来るよ」
「ふぅん…」
「…なぁまだ喰わねーの」

部屋を出る際、背中に投げかけた言葉に奴は振り向きもしなかった。

「いってらっしゃい」
「…行ってきます」

魚の吐いた泡が、ぽかりと音を立てた。


雇い主に定期報告をするのは勤め人としての義務だ。そして、俺はこういう奴なわけで。

「どうじゃ…ミラーマンは使えそうか?」
「…能力としては、いい線いってると思います。生き物の死に絶えた池から魚の魂を実体まるごと引き上げることが出来た。あれをちょいと応用すりゃ生きるのに迷った人間を鏡からこちら側に引き込むようにも出来るかもしれない」

タバコに火をつけると老鼠の主人はゲホゲホと咳き込んだ。恨みがましい目も気にせず紫煙を吐く。

「使えそうか?」
「難しいでしょうね…アレは純粋すぎる。下手に心を砕いてしまう。元々、アレの仕事は『判別』でしょう?曲がりなりにも家宝の存在に汚れ仕事を言いつけてすんなり聞くとも思えません。まぁ向いてないんじゃないですかね」
「ふむ。それもそうじゃな…」

老鼠が部屋を出ていく。その背に煙とともに話を吹きかけた。

「魚はどうします」
「好きにせい」
「了解しました」

吐いた煙にため息を混ぜて、俺は茫っと立ち尽くした。遠くで旦那の悲鳴が聞こえる。シェフの怒鳴り声と走ってくる音が近づいてくる。
曖昧に笑って俺はタバコを消すと、部屋を出て走り出した。捕まるわけがない。

俺には走ることしか能がない。
俺はこの生き方しか知らない。

「ま、俺の仕事を取られるのは癪ですしね…」




 
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