その他
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いつも通りの日常…のはずだった。
タクシーが昼休みを終えて仕事に向かった後、一人になったミラーマンは鏡に現世を映し、人間観察を楽しむのが日課だった。
様々な人種、国籍、年齢、性別と、異なる人間たちの生活を覗くのは飽きが来ない。鏡の向こう側からちょっと悪戯を仕掛けてみれば、慌てふためく…そんな美しく愚かな人の真実は絶好の暇つぶしである。
だが今日は少し違った。
人間界だけでは飽きたらず、他の世界を映し出そうとしていた、その時。自身の力とは別の力が鏡に加わったのを感じたのだ。
「なんだ…!?」
瞬く間に鏡から眩い光が溢れ出し、思わず目をギュッと瞑る。その光はすぐさま収まったが、目を開けると映されていたのは、異界の風景ではなく一人の人物。
いや、人ではない。自分と同じ「真実の鏡」だった。
混乱しながらも彼の情報を読み取ろうと力をかけるが、向こうからの力と相殺しているのか、霞がかったように深くが見えない。
「(俺の能力とほぼ同等、若しくはそれ以上か…)」
銀髪に青のメッシュ、片側だけが鏡で隠され、一つの紅い目が煌めいている。頭には金の冠、身長は自分より少々小柄らしい。だが目から伝わる情報はその姿形などしかなく、珍しい事例に少し警戒しながら彼を見やる。
相手も幾分か緊張しながらなので、二言三言話すもそれ以上が続かない。
しかし、向こうのミラーマンがふと何かを思いつき、「"此方"で話さないか」と提案してきた。
「丁度パイも焼けたんだ」
「…パイ…?」
「アップルパイ。嫌いか?嫌いじゃねぇなら、味の保証はしてやる」
嫌いではない、甘い物はむしろ大好物。
それにタクシーが帰るまで時間もまだある。暇をつぶすにしても良い提案だった。
そう考えて、差し伸べられた手を取り、鏡を通り抜けて向こう側の世界へと足を踏み入れた。
別世界だが、鏡の部屋はほとんど大差がなかった。あるとすれば小物の位置ぐらい。
テーブルの上には、既に焼きたてのパイと紅茶が良い香りを立ち昇らせてセッティングされ、椅子に座るとその一切れを渡された。
「ほら、冷めないうちに食えよ」
「いただきます」
早速フォークを突き立て、一口食べてみる、と。
「うまい…」
そう、驚くほど美味しかった。
皮はサクサクパリパリで、バターの香りが鼻孔を抜ける。林檎のコンポートも程よい甘さで、林檎本来の風味を消していない。甘い物には煩い自分でも唸る、最高のアップルパイだ。
もう1人のミラーマンは、俺の言葉を聞いて満足そうに笑っていた。
「凄いな、ここまで旨いアップルパイを食べたのは久し振りだ」
「そりゃどうも。友人の好物でな、何十回と作ってりゃ慣れて来るさ」
そう聞いている間も食べ進め、あっという間に一皿を完食してしまった。
「ごちそうさん」
「食べるの早かったな。ミラーマンは好きなのか?甘い物」
「嗚呼、大好物だ」
紅茶を啜って喉を潤すと、幾分気持ちも落ち着いた。
「…さてと、話をする前にまず自己紹介と行こうか」
「俺は真実の鏡、ミラーマン。名前はミロワールだ、ミロと呼んでくれ。よろしくな『ミラーマン』?」
焦ることはない。能力で見えないなら話せば良いだけのこと。時間は十分にあるのだから。
そう心の中で呟きながら、握手の手を差し伸べた。