日々是好日なり

□五月二十八日・弐
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 私室前の縁側は、ひとりで晩酌するときの定位置だ。夜の匂い感じながら、深呼吸をひとつ。数日前まで降っていた雨も今日はすっきりと晴れ、綺麗な星空が広がっている。
 冷やしていたお酒を、氷を入れて冷やしたグラスに注ぐ。持ち上げて星の微かな光にかざした。カラン、と氷が鳴る。
 ちび、ちび、ちび、と少しだけ呑んで、ぼーっと庭を眺める。

「きみは本当に酒に強いなあ」
「…鶴丸」

 鶴丸は「まだ夜は冷えるだろう」と流れるように自分の羽織を私に掛けてから当たり前のように隣に座った。酒が回っていて寒くないのか、左側がじんわりあたたかい。

「さっき宴会でもかなり呑んでいただろう。倒れるなよ」
「これ弱いやつだから大丈夫」
「味見」
「はい、ちょっと口付けてるけど」
「ん、ああ」

 今日は、私が審神者になって二周年の記念宴会だった。
 去年に引き続きみんないろいろ準備してくれていた。用意してくれたご馳走もお酒も美味しかった。大広間を大阪城風の景趣にしてほしいって言われて何するんだろうと思ったら、飾りつけが本当豪華になっていてびっくりした。しかも新人から古参へとずらっと席を並べて、めっちゃ目立つ上座の一等席が私の席だって言うし。まあ最初の乾杯終わったらすぐ飲めや歌えやの大騒ぎで席順なんてすぐぐちゃぐちゃになったんだけど。相変わらずウチの子たちの出し物はかわいい枠とゲテモノ枠の差がひどい。でも、楽しい宴会だった。
 うちの宴会は、酔い潰れたり寝落ちする子たちが出てきた辺りで解散する。風呂は先に入ってるから、みんなそのまま寝る。ちなみに寝落ちした場合、体がちっちゃい子たちは保護者とかが部屋に運ばれるけど、デカいやつらは布団だけ掛けて放置だ。今回も私が広間を出たとき何人か転がっていたように思う。

 この目の前の男もそこそこ飲んでいたはずだけど、寝落ちするとこまではいかなかったらしい。ごくごくごく、と喉仏が勢いよく動いている。
 …ちょっと、味見の癖に結構呑んでない?それ私のお酒!

「これは…柚子か。確かに酒の味はほとんどしないな!」
「弱いやつだからね。でもあっまいチューハイと違ってゆずゆずしいからおいしいでしょ」
「ゆずゆずしい、か。確かにこれはこれで旨いな」

 地元近くのゆず産地で作られたこのリキュールは、贈り物として優秀だ。甘くないから食事中も飲めるし、度数があまり高くないから呑兵衛じゃなくても飲みやすい。この前ふと思い出して取り寄せてみたのだ。

 返ってきたグラスはほとんどなかったのでまた注ぐ。今度は私もぐいぐいぐいっと、いつもの調子で飲んだ。グラスを置いて、二人で庭を眺める。
 どれくらいそうしていただろうか。

「…さっき、みんなからもらった今年のアルバム見てて、さ」

 ぽろっと、心からこぼれた。
 昨年と同じで、今年も私は飾り紐を送り、みんなからコメント付きのアルバムをもらった。前のより少し厚くなったアルバムには嬉しいコメントがいっぱいで、ニヤニヤしながらページをめくっていた。その時、自分の手が目に入った。

「変わったなーと思って」
「手がか?」
「うん。審神者になってあまり手が荒れなくなったから」

 審神者になる前は、助産師として病院で働いていた。頻繁にせっけんで洗い、薬剤を取り扱い、でも勤務中はハンドクリームなんて付けられない。看護師の手は大抵ボロボロだ。職業病と言ってもいいと思う。私の手もそうだった。
 けど、あれは私にとって勲章だった。自分が憧れていた助産師に、命が産まれる瞬間に立ち会う仕事をしているという、私の誇りだった。
 マメに手入れしているわけじゃないから今も綺麗な手ではない。でも、あの頃の傷はほとんど治ってしまった。それがちょっと寂しい。
 審神者になったこと、後悔はしていない。半分強制だったし、未練もあったけど、自分で決めてこの世界に入った。
 けれど、ふと思ったんだ。夢を叶えるために苦手な勉強も頑張っていたのになあって。

 一度零れたら、堰を切ったように溢れだした。 けど鶴丸は黙って聞いてくれていた。
 「手、貸してくれ」というから差し出すと、じっと見てからぐにぐにと揉み始めた。結構気持ちいい。手を中心に血が巡っていく感じがする。思ったより冷えていたようで、鶴丸の手がとてもあったかい。
 「いつの間に練習したの」と右手も出しながら聞くと、「薬研が買った按摩の本を借りて読んだ」と同じようにほぐしながら教えてくれた。

「確かに、最初の頃は今より大分傷が多かった気がするな」
「でしょ?」

 手の平を柔らかくひと撫でし、ひっくり返して指先を絡め、きゅっと握られた。流れるようにするから、何が起こったのか一瞬分からなかった。
 
「だが、君の手はいつもあたたかい」

 思わず見上げた二つの満月は、とても柔らかい光を湛えていた。

「酒は主の酌が一番旨い。短刀たちなんかは頭を撫でられるのも好きだと言っていたな。だが一番は手入れだ。きみに触れられるとほっとする。…覚えがあるだろう?」

 加州清光を始めとして、審神者に傷を見せたがらない刀剣男士は多い。だが、うちの連中はあまり傷を隠さない。すぐ手入れされに来てくれる。それは私が口うるさいからだと思っていた。
 でも、それが違うなら。なんて嬉しいことなんだろうか。私は、なんて幸せ者なんだろうか。

 体の力が抜けて、鶴丸の肩に顔を埋めた。浴衣がちょっと湿ってしまうだろうけど、今日くらい許してくれるよね。
 案の定、そのまま頭を撫でてくれた。頭の上で笑う気配がする。

「…鶴丸もやっぱり伊達男だよね」
「なんだ、今更気付いたのかい?」

 命の誕生の瞬間を目の当たりにして、それを支える職業に憧れた。人を癒せる人になりたいと思った。
 審神者になって、もうそれは叶わないと思っていたけど、そんなことなかった。みんなをほっとさせられているのなら、私がやってきたことは何も無駄じゃない。

 でも、私の方が助けてもらってる気がする。これからまた一年、みんなに、この男に、いっぱい返せるように頑張ろう。
 浴衣を掴んで、決意した。





(2018/04/01修正)



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