日々是好日なり

□二十三時二十三分の逢瀬
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「ただいま」
「ただいま……」
「お帰りなさい!主君、加州さん!」

 本丸に着いたのは、もう夕飯もその片付けも全て終わった後だった。重い身体で玄関を開けると、前田がホッとした顔で出迎えてくれた。その笑顔と本丸の匂いに、私と加州も肩の力が抜ける。痛む頭を誤魔化すように、ゆっくり息を吐いた。
 差し出されたふかふかタオルでびしょ濡れのスーツと髪を拭いている間に、前田は書類を入れたファイルを出して鞄を拭いてくれた。よく出来た懐刀だ。

「ありがとね、前田。助かるよ」
「前田ありがと!あーもう!今日はほんっと疲れた!」
「お疲れ様です。先にお風呂で温まってきてはどうですか?その間に夕飯温めておきますので」
「マジで!?頼んでいい!?」
「はい。浴場の方は今他の皆さんも入っている頃ですし、主君の方もすぐ入れるようにしています」
「やった!ありがと、前田!」
「あー、私は夕飯いいや。お風呂だけ入って寝るね」
「……よろしいのですか?」
「今日ずっと調子悪そうだったもんね。まだ頭痛い?」

 前田がびっくりして目を大きく開いている。加州は「熱はなさそうだけど」と心配そうに額に触れて自分と比べている。

「ちょっと痛いね。でも風邪じゃないし、ゆっくり寝れば落ち着くかから大丈夫」
「それなら尚更、何か食べておいたほうが……」
「なんか一周回って食欲なくてさ。明日の朝か昼にでも食べるよ」

 前田に聞いたら緊急の報告もないと言うので、詳しいことは明日に回してもらった。後は加州と二人でなんとかしてくれるだろう。悪いとは思うけど、一刻も早く休みたかった。
 まだ何か言いたそうな加州と前田を見なかった振りして、「おやすみ」とファイルとタオルだけ持って部屋に下がった。




 自室の風呂でのんびりと浸かって、少し身体が楽になった。けれど疲労感は相変わらず重く圧し掛かっていて、タンクトップとハーフパンツのまま畳に倒れ込む。Tシャツを着て髪を乾かさなければとは思うけど、何をする気にもなれない。
 このまま寝てしまおうかとウトウトとしていると、すっと障子が開く音がした。

「……きみ、そのまま寝ると風邪ひくぞ」
「つるまる」

 ごろりと身体の向きを変えると、鶴丸も風呂上りらしく寝巻に使っている紺の浴衣が見えた。
 無言で開けるとか着替え中だったらどうするんだ、今も超薄着だし。顔も上げずに文句を言ったら「そんなもん今更だろう」と返された。そうだけどそうじゃない。

「……今日畑当番だったっけ。なんかあった?ごめんだけど、急ぎじゃないなら明日に……」
「全く……。今の俺は臣下として来たんじゃないからな」

 ガサゴソと何かしている落ち着かない物音に、観念して布団から起き上がる。半分寝ていた身体を起こそうと肩を回す。バキバキと嫌な音が響いた。
 鶴丸は持ってきたらしいお膳の横で、熱いお茶を入れていた。

「夕飯食べてないんだろう?夜食持ってきた」

 柔らかく光る金色と目が合い、疲れた心を締め付ける。もぞもぞと布団から離れて膳の前に座った。差し出されたお茶は温かく、空きっ腹に染み渡っていく。
 膳の上には白いおにぎりが二つと、みそ汁、それとかぼちゃの煮物が乗っていた。食欲は消え去ったと思ったが、味噌汁や白米から立つ湯気に自然と箸に手が伸びた。鶴丸が自身の分のお茶を淹れながら、無理して完食はしなくていいと言ってくれてホッとしたのもある。

「ま、ほとんど夕飯の残り物だがな。残しておいたのも用意してくれたのも前田だから、後で礼を言っておけよ」
「……うん。加州と私の分取っておいてくれてるって帰ってきたときも言ってた」
「そうか」

 今日のみそ汁はあげと白ねぎが入っていた。どちらかと言えば青ねぎの方が私は馴染み深いけど、この焼いた白ねぎの香ばしさはとても好きだ。少しとろっとした甘さがたまらない。
 かぼちゃの煮物もおいしい。昨日、歌仙が大量に作っていたものだろう。出来立ての熱々も美味しかったけど、一晩経って冷やしたのもとても美味しい。みりんのやさしい甘みが脳に染み渡る。
 大きくて少し不格好なおにぎりをかじる。具は私の好きなこんぶだった。白米とこんぶの塩気の組み合わせは絶対おいしいと信じている。少し緊張した視線を感じながら、ゆっくり食べ進めていった。
 食欲ないとかどの口が言うのか、食べ始めたら箸が止まらなかった。

「……ごちそうさまでした。おいしかった」

 結局、全部綺麗に食べきった。「余ったら俺が貰おうと思ってたんだが」と鶴丸に笑われてしまった。
 お茶をもう一杯もらって、ひと息吐く。お腹が満たされて、帰ってきた頃よりずっと気分がすっきりしていた。空腹は良くないな。

「おにぎりも、ありがと」
「握飯なんぞ普段は作らんからな、不格好だったろう」
「でも、おいしかったよ」
「そりゃあ良かった」

 膳に食器をまとめた鶴丸は、私の隣に腰を下ろした。迷っているうちに肩を抱き寄せられて、諦めてそのままもたれ掛かる。
 触れられて初めて、自分の身体が冷えていたことに気付いた。ご飯を食べてちょっと温まってこれだから、相当湯冷めしていたようだ。薄着で髪も乾かさずクーラーの中にいた結果だろう。さするように触れる鶴丸の手がとても温かい。

「今日は災難だったな。報告書の提出だけじゃなく、来月の新体制の説明もあったんだって?」
「うん。早めに行ったのにそれで時間掛かって。案の定帰り混乱起きてさ」

 午後から天気が荒れると聞いていたから昼前に行ったのに、政府の人の説明が長くて帰る頃にはもう嵐だった。こんな時に限って本丸とのゲートが故障して、案の定政府も次々と入る嵐の被害対応に追われて人手が足りないからと、ゲートが復旧するまで加州と二人で政府施設に留まるしかなかった。辛うじて途中昼ご飯は食べれたけど、夕方には政府内の店もほとんど閉められて。八時まで水分とたまたま持ってた飴で二人空腹をしのいでいた。ようやく帰れると思ったら施設の中から屋外のゲートまでの僅か数メートルでびしょ濡れになり、本当もう散々だった。
 そんな愚痴を話す間も、鶴丸はずっと私の肩を離さなかった。人肌の暖かさが眠気を呼び戻し、だんだん目蓋が重くなってくる。

「……頭が痛いと言っていたのはどうだ?加州と前田も心配していたぞ」
「気圧の関係でね。こういう天気だとなりやすいんだよ。最近ちょっと疲れが溜まってたのも重なって、ちょっとしんどくて」
「なるほどな。普段あれだけよく食べるきみが食欲ないなんて言い出したと聞いて、何事かと思ったぜ。まあ杞憂だったわけだが」
「うるさい」

 余計なひと言に軽く頭をぐりぐりと押さえつける。分かっていたけど、全然びくともしないし「調子が戻ってきたようで何よりだ」と受け流されるし、その余裕に少し腹が立つ。心配してくれてる相手にたいして理不尽だとは自分でも思ってる。
 肩に置いていた手が頭に移動して、ゆっくり規則的なリズムで撫でられる。一日の疲れがどっと押し寄せてきて、もう目が開きそうにない。

「さ、もう今日はそのまま寝ちまえ。後で布団に運んでやるから。なんなら添い寝もしてやろうか?」
「うん……一緒に寝て……」
「……ハア。今度はちゃんと起きてる時にそれ言ってくれよ」

 俺はいつでもきみを甘やかしたいし、支えたいと思ってるんだからな。

 なにかとんでもないことを言われている気がするが、もう眠くて身体を動かせない。鶴丸は慣れた手付きでそんな私を抱え上げ、起こさないようそっと布団に下ろす。そして食器を片付け部屋の明かりを消してから、自身の身体も布団に滑り込ませた。握られた手が温かくてとても安心する。
 「晴れたらどこかへ出かけようか」という鶴丸の呟きに、せめてもと精一杯の力を振り絞って手を緩く握り返した。



 おやすみ、また明日。


 

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