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【3】



ただ、ただ、あんたの存在はあたしを天国にいる気分にさせてくれるし。
それと同じくらい地獄にいる気分にさせてくれる。











「ねー、姫」
「姫、言うな」
「姫にキスした………い、痛い、痛い、最後まで言わせてよ」




ぐりぐり、と。
人が話してる途中だって言うのに人の頭を押さえつけて変質者を駆除する時みたいな顔。
失礼な、あたしは確かに変態で変質者ですが夕歩に対しては実直なお庭番であるって言うのに。

「いきなり、何?」
「夕歩にチューしたい」

本心を、心からの、本当に心からの、言葉を口してみたのに。
また何か違和感。
だからさ、そういう行為にはリアリティが全く無くて、想像すら難しい。
……いや、ごめん、ちょっと、まあ、うん、言えないようなことを妄想して、いけないことに使用してしまったことはあるけど。

「順、きもい」
「……て、いきなり言われたらどうする?って聞きたかったんだけど、うん、夕歩の反応はわかった」
「順にそういうこと言われてそれ以外になんて返せって言うの?それとも、言葉じゃない方がいい?」
「体でわからせる、なんて姫ったらエッ……痛いです、だから、それ痛いです」

細い指が頬をつねって離れていく瞬間に甘い香りがして、我を忘れてその指先に噛み付きそうになった。
ぞわぞわ、と。
その細い指が自分の頬を優しく撫でる感触を想像してみて、なんでだか、いかがわしい妄想をした時よりも深い罪悪感。

「そりゃー、あたしに言われたらその反応だろうけど。じゃなくて、あたし以外に言われたらどうやって返事するか参考までに聞きたくて」

…数日前、そう人に発言したのは共通の友人。

― 順にキスしたい

赤い赤い頬と耳だけが頭に残って。
あんなに真っ直ぐに見つめてきてた(その事実は覚えてるって言うのに)瞳の色は全く思い出せなくて。
あの場でしようと思えば出来たのにしなかったあたし偉い!
……って、いやいや、染谷とキスとか、まあ、『染谷』とじゃなくて『可愛い子』とキスって考えれば、惜しい気がするけど。
あれはだってただの『可愛い子』じゃなくて、友達の『染谷』だからキスなんて出来るはずなくて。
むしろ、染谷がそんなこと言い出すなんて晴れの日の雷並にありえない事実で稲妻にあたしは凍り付いてるばかりで。
…………まあ、グダグダ言ってますけど染谷にそう言われて、え?、あ?、はい?、の3つの音を繰り返し続けて結局、染谷に逃げられちゃったんだけどね。


「そんなこと誰が言うの?」
「んー、増田ちゃんとか綾那かなぁ」

あたしから見た染谷、あたしを夕歩に置き換えた時に染谷と同じポジションにいそうな人の名前を出してみて。
(染谷の名前を言わなかったのはなんだか落ち着かなかったから)

「恵ちゃんとか綾那が?」

だけど、愛しの姫はありえない、ってくすくす笑うから。
夕歩のその笑い方、大好きなんです、って言わなくていいことを言いそうになる。
笑ってなくても、怒ってても、拗ねてても……あ、泣いてたり悲しんでる姿は好きじゃないかな……どんな姿も好きなんです。

「ありえないのは知ってるけど『もし』で想像してみて」
「想像って……」
「はい、くろーずゆああいずー」

冗談で夕歩の目の前10センチくらいの所に手の平をかざすと本当に瞳を閉じてくれるから。
…途端に自分の顔から笑みが消えたのがわかった。
筋肉が引きつって硬く硬くなる自分の頬とは正反対に柔らかそうな夕歩の頬を見つめて、閉じた瞼と長い睫を見つめて、触れてしまえば全部壊れる(色んなものがね)唇を見つめて、もう一度閉じられたままの瞼を見つめる。

…息がつまる、苦しくて、呼吸さえ、あんたは奪うから。

うん、『ありえない』にはあたしも含まれることも、閉じられた瞳があたしへの信頼なのも知ってるから。
指先1本、あたしはそこに触れることが出来ない。

「…まあ、想像してみてよ」

頭の中だけでその唇を指先でなぞる想像をして。
泣きたくなったのは、どうしてもその唇に自分の唇を重ねてる姿を想像できないから。

「ある日、突然、そんな対象に見てなかった人から『キスしたい』って言われたら夕歩どうする?」
「んー……『どうして?』って聞く…かな」

いやいや、『どうして?』って。
瞳を閉じたままの夕歩に唇の端だけで笑ってみる。

…あたしは聞かなかった、むしろ聞けなかった。
だって理由なんてあの染谷の赤い赤い耳や頬を見たら一目瞭然で。
違うかも、染谷はそんなんじゃなくて、ただ誰でもいいからキスしたくなっただけなのかも、暑さにやられてうわ言を言ってただけかも。
だけど、あのちりちりする空気があたしに『聞くな』って言ってたから…。


「夕歩さーん、『キスしたい』って言われたら理由なんてそんなのお決まりじゃないですかー」

わざと茶化す口調で言って、昨日の染谷を思い出して吸い込んだちりちりした空気を吐き出す。
夕歩もそれには同意してくれる、って思ったから。
『キスしたい』って、理由なんて、そんなの決まってる、って。







「だって…」


…その変化にすぐに気付いたのは目を離すことなんて出来なかったから。
見られてないのを良いことに飢えた瞳は欲しいものを食いつきそうな勢いで見つめてたから。

「…その人にキスしたい理由を聞きたいでしょ?」

夕歩の唇に今まで見たことのない笑みが浮かんでたから。
え?あ?はい?、ってまた芸のない音を頭の中で響かせて。
今のなに???ってパニックになる前に反射的に夕歩の瞳の前で指を鳴らして、夕歩をこっちに呼び戻す。

ハーイ、お姫さま。もしかして夢見てた?

…あたしのいない世界で、あたし以外の人に、キスしたい理由を尋ねてるなら、それはただの悪夢だよ。
『その人』って、一体、今、あんたは、誰にそう聞きたい、って、思ったの?


「好きだから…」

小さく口にしてみて、かしげられる首に笑ってみる。
いつものように、笑って、笑って、隠れて泣いて、だって、あたしはあんたの前では笑うことしか出来ないから。






「『夕歩が好きだから』ってそう言われるんじゃない」













……さっきまで天国だったはずなのに、何時の間にか地獄に変わってる。
















3人目なんて、いらないんです。










To be continued...


(13/07/20)

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