【5】

□How to be a heartbreaker
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『…今日もバイトなんだ』
「はい、すいません」
『新しいバイト先、教えてくれないの?』
「単発のバイトなんで、そんなに長くはしませんよ」
『残念。今夜は美味しいご飯作ってあげようと思ってたのに』
「それは私も残念です」







耳元で聞こえる軽やかな声に頬を緩めて。
通話を終えて、その頬を引き締める。
『制服』である黒いスーツと白いシャツの皺を伸ばして……もう、そこにはきっとあの人の声を聞いていた時のあたたかさなんて残っていない。






【How to be a heartbreaker.】






自分で作ったルールを1から4まで確認しなおして。
呑みたくもない酒に口をつける。
本当は上げたくもない顔をあげて、スーツの胸をはって、視線は求める先に。
……いや、違うか。
求められる視線を受け止めて………さあ、『仕事』の始まりだ。

― いいバイトがあるんだけど

そう持ちかけて来たのは同じ大学の名前も良く覚えてない相手で。

― 無道さん、向いてると思うよ

…どうしてそう思ったのかなんて、今の私の状態を見れば良く見通せたと感心するばかりで。
呑みたくも無い酒を口に含んで、視線があったのはもうそれで判断出来るくらいにはこの『仕事』を繰り返してるから。
たぶん、40代。…いや、50代か?
年上の女性の年を推測出来る程には世慣れてないけど。
年上の女性のお相手を出来るくらいには世慣れてしまったから。
相手が近づいて来た時の強すぎる香水の香りに顔をしかめて。
あの人の肌の香りを何時も思い出す。


あの人なら、香水なんて、つけてなくても、何時も、甘い香りが、して。


…あの香りに私は何時でも蕩けさせられる。
私にホテルの部屋の鍵を渡して背中を翻すから、契約は完了。
二人きりのエレベーター、香水の香りにむせ返りそうになりながら、それでも擦り寄って来れば受け止めてキスを返すだけ。


強く眼を瞑った先、これが、あの人だったら、そう、何時も、考えながら。


無口な所がいい、と繰り返し指名してくる『お客』もいるけど。
それは口を開くのが億劫なだけで。
口を開けばあの人の名前を呼んでしまいそうで。
わざとのように唇も舌も別の事に酷使する。
意味ありげに微笑む唇にも、艶っぽく細められる瞳にも何も感じないのに。
感じなくても、『行為』を出来る自分自身に最初は驚いた。
『仕事』と割り切ればそれは単純な肉体労働で。
部屋に着くなりするりと抜き取られるベルトも。
高級なベッドに押し倒される感触も。
圧し掛かってくる高級な香水の香りも。
これから起こることはそう単純な肉体労働。

「……支払いは現金でお願いします」

あの人を思いながら、あの人を考えながら、あの人だと夢想しながら。
ただただ、機械的に体を動かす肉体労働。













明け方近い道をあたたかくなった懐と寒くなった心を抱えて歩きながら。
何時までこんな事を繰り返すのか、そんなの自分自身に尋ねても答えなんて出ない。
これであの人になにかプレゼントでも買おう、と。
そう思えば心を冷やす懐の中身も正当化出来る気がして。
正当化したまま、これを辞めることの出来ない自分にも気付いている。
暗く冷え切った自分の部屋の鍵を開けて。
ここにあの人がいれば、暗く冷え切った部屋でもあたたかく感じるのに…。

「おかえりなさい」
「……………何を、してるん、ですか?」

冷え切った部屋、明かりを点ければそこにはずっと考え続けていた人が膝を抱えて座っていて。

「…何してるんですか?」

反射的に自分自身の香りを確認して。
『制服』であるスーツは脱いだし、シャワーも浴びて来たから、きっと香りなんて残ってないのに。

「ひっどーい、愛しい恋人が待ってたって言うのに」
「…居るなら明かりとか暖房とか付けて待ってれば良かったのに」

鞄をおろして、それでもすぐに抱きしめて温めてあげる気にはなれなくて。
……怖くて、その隣に行くのが怖くて近寄れなくて。

「んー、節約?無道さん、何時も金欠だから」
「…だから、単発のバイト入れてるんですよ。ある程度稼いだらこのバイトは辞めるつもりですから」

膝を抱えたままにこやかに見上げて来るから、自分がまだ立ちっぱなしだった事実に今更気付く。

「それならベッドに入ってればいいでしょう。私もシャワー浴びたらすぐに行きますから」

もう一度シャワーを浴びて、全部全部洗い落として、その後ならあなたを抱きしめられますから。
肉体労働じゃない『行為』だって、『仕事』で疲れた体でも出来るはず。

「…先にベッドでもいいんじゃない?」

立ち上がってするりと腕の中に入ってくるから、反射的にもう一度自分の香りを確認して。
逃げ出すことなんて出来ないから、大人しくその体も唇も受け入れる。


ほら、この人が、相手なら、ただ、これだけで、息が、苦しくて、ただただ、焦がれる。


意味ありげに微笑む唇にも、艶っぽく細められる瞳も、こんなに私を狂わせる。
首の後ろに腕を回して微笑むから、強張った頬がつられて笑みの形をつくりあげる。

「………ん、忘れてた」

キスの合間に囁くから。
火がついた体を、肩を、押し返すから。
お預けをくらったまま、馬鹿みたいに唇を開いたまま、笑う瞳を見つめ返す。

「はい、これ」

渡されたそれを反射的に受け取って。
凍ったのは心か体か……それとも二人の間の空気か。

「一晩の料金ってそれで足りる?」

手渡された数枚の万札を見下ろして、そのまま渡されたお金だけを見つめて。
この人の瞳を見る事なんて出来ないのに、なぜか笑っているだろうと、そう見当が付いた。

「な…んで……」

するり、と。
押し返されて出来た隙間をまた埋めて。


ほら、また、この人は、何時でも、甘い、香りで……。


「…気付かないとでも思った?」

囁く声に心臓さえ凍りついて、指先すら動かない。
それなのに、唇は反射的にキスを返すから………また『仕事』の始まり。
ずっとずっと焦がれていた体を抱きしめながら、それでもこれからの『行為』が『仕事』でしか無い事に絶望する。











……壊されたのがどっちの心かなんて、私には、わからない。








































それでも、私は、あなたを、愛してる、『はず』、なんです、よ。




END
(13/11/23)

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