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□腹筋ハンニバル
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【腹筋ハンニバル】





CASE1:無道×祈






明確に『約束』した訳では無いけれど。









けれど、この人の言葉だって仕草だって一つ一つ記憶に染み付いて忘れるなんて行為すら私は知らないから。

― 卒業してからでいいかな、って

あの時は未だ自覚すらしてなかったのか、それとも自覚しないようにしていたのか。
どちらにしてもこんな風に、この人と、こんな関係になるとは思ってなかったから。
それでも言われた言葉を忘れられずに守り続けるくらいには、私は、この人を…。

「……っ!い、祈さんっ!」
「………なーに?」
「『なーに?』じゃなくてですね!」

『こんな関係』なんて言葉を使っては見たものの、それは世間一般で言われる『恋人』と呼ばれる関係で。
(一応、この人は私にとっての初めての『恋人』で)
(…この人だってそれは同じはずだから)

「いい加減にそれ止めてください!」

『恋人』だから。
(何度もしつこく繰り返すな、と言われてもこっちだって頭の中を整頓したいだけで)
『恋人』だから、抱きしめたりキスしたり、それは当然の流れで。
…その流れからまあ、うん、いや、そういう行為に進む事だってあるはずだけど。
(照れてしまって自分自身で自分がとことん気持ち悪かった)

「だって、無道さんのここ可愛い」
「…可愛い、って」

未だ初めての行為にも至っていない恋人に、ひたすらに腹筋にキスされ続けるのはどういった事か。
普通なら(この人に『普通』なんて言葉は似合わないけれど)これは誘われてると解釈して、普通ならこの人はこのまま私に押し倒されても問題はないはずで。
(何度も繰り返すがこの人と私は『恋人』だから)

「うん、この薄っすら付いてる筋肉とおヘソが」
「…薄っすら、って」

割れるほどの筋肉は付いては無いけれど、こっちだって最近は真面目に鍛えてるんだから、その言われ方は………って、待てよ、この人の腹筋が割れてたらそれはそれでなんと言うか……落ち込むけど。

「キスしたくなる」
「…っ!そ、それはキスじゃなくて舐めるって言うんですっ!」

慌ててシャツを引き下げて、がっかりした顔をする人の顎を掴んで持ち上げる。

「えー、無道さんのおヘソー」
「臍だけですか?貴方は私の臍だけが目当てなんですか!」
「ヘソも、よ」

ちゅっ、と綺麗な音を立てたのはたぶんわざと。
あれだけ執拗に腹にはしてた癖に唇にするのは幼児がするみたいな軽い軽いキス。

「………………何がしたいんですか?」
「無道さんのお腹にキスしたいの」
「……………」

明確に『約束』した訳では無いけれど。
じゃれるキスが何時の間にか(この人はそしてわざとのように色気を振りまくから)深いキスになっている事も。
そのキスにつられて、そのキスを理由にして、その体に手が伸びそうになったことは確かに何度もある。
(一度反射的に胸を揉んでしまった時に自分の唇の下で吐き出された息は正直、自分でもあの時点でよく止まれた、と褒めてあげたいレベルで)

「………待て、って言ったじゃないですか」

情けないにも程がある音は自分の唇から吐き出されて。
ただお預けにされるだけなら、その事を考えないように、その事に気付かないふりをしてやり過ごせばいいけれど。
……こんな空腹な野良犬の前にご馳走を差し出すみたいな事は本当に止めて欲しい。

「私、そんなこと言った?」

なのに、当の本人は乱れた(腹筋にキスされてる時に私が反射的に掴んだ所為で乱れたんだと思う)髪を直しながら平然と言うから。

「……もう、いいです」

あの『約束』が無いのなら、ここで止まる理由は無いはずで。
こっちが祈さんの腹筋に唇を押し付ける事だってしていいはずで。
その上の極上に柔らかい部分を揉む事だってしていいはずだ。
(…想像だけでなぜか頭痛がしたけど)

「無道さんの態度が可愛くなーい。おヘソはあんなに可愛いのに」
「臍の話はもういいです」

ほら、また何時もの笑顔で、するりと私の腕に中に入ってくるから。
今度のキスは音がしない代わりにしっとりと、しっかりと重なってくるから。
…忘れられた『約束』でも、私が誓った事には変わりは無い。
だから、結局、私が出来るのは笑う瞳を閉ざすためにその瞼にキスするくらい。

「だって…」

瞼は閉じられたままだから、それがどんな色をしているのかは見えないけれど。

「無道さん、待ってくれるでしょう?」

……見えなくてもどんな色なのかが分かるのは『恋人』だから。
あの時は答えなかったから、答えられなかったから。



「…もちろん、です」



望むなら、貴方が望むなら、望みのままに。
…ただ、貴方のために。










「私の卒業までがいい?それとも無道さんの…」
「祈さんのにして下さい!お願いしますから!!」
「無道さん、せっかちー」
「せっかちな人間が涙こらえて何年も待ちますか」
「…泣くくらいなら、いいけど?」
「はいっ?」
「もう一回、お腹にキスしましょうか?」
「いや!それはもう止めてくださいっ!」





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