倉庫

□じゃすと・わん・めろでぃー
1ページ/2ページ




【じゃすと・わん・めろでぃー】


…私に歌なんて歌えないのよ。



暗い部屋で耳に響いたのはシンクに水音が落ちるトン、トン、という単調なリズム。
これに看守の足音と格子を爪で叩く音が重なればシカゴね、なんて思いながら。
その一瞬にいろいろ、本当にいろいろ考えた。
電気も付けずにキッチンの壁にあぐらをかいて寄りかかる綾那を呆れて見ながら。
酔いつぶれたのかしら、とか。
空腹すぎて倒れたのかしら、とか。
赤いシャツなんて珍しい、とか。
あのキャサリン・ゼタ=ジョーンズはセクシーだった、とか。
順はもうこの人の所に戻らないのかしら、とか。
床に包丁を転がしとくなんて危ないわね、とか。
血の付いた包丁で何をさばいたのかしら?とか。
魚?鶏?豚?牛?馬?
だけど、キッチンには食材らしい食材なんて無くて。
そこでその包丁の使用用途に思い至った。

「…綾那」

小さく呼びかけても返事は無くて。

「それ……誰の返り血?」

ここに順が転がってたら、火曜日の21時みたいなことになる。
待って、ここは京都じゃないわよ!
京都は殺人の地だから……とか、言って京都出身の子に怒られたなんてどうでもいいことばかりが頭を回る。
大して広くない部屋の中を見回して、他に誰もいないのを確認する。
『染谷さん、悠長だね』なんて言われてしまいそうだけどこの結論に陥るまで要した時間はおよそ48秒。
……うん、あの包丁でさばかれたのは綾那みたいね。



「綾那!?」

駆け寄ってその肩を揺さぶると……そのまま、綾那の体は床に倒れる。
グダグダ考えてる間にこうすれば良かったんじゃ……、なんて突っ込んだ人に反論したい。血まみれの人を見つけて貴方なら冷静に対処出来ますか?
……出来るの?本当に?
と、言うか貴方はそんな場面に出くわしたことがあるの?
そう…、バイオレンスな人生ね。
私は出来ませんでした。
生憎私はそんなバイオレンスな人生を送っていない。
シャツを掴んだ手にベタベタしたものが付いて……シャツが赤かったわけじゃないことに気付いた。
血の気がひくって言うのはこういう事を言うのね……、なんてその時には思いつく余裕もなくて。
むしろ、血が抜けてる人なら目の前に倒れてたけど。
……上手いこと言ってる場合じゃないわよ、私!
(『いや、上手くないよ……それ。染谷』なんて順が居たら突っ込まれてそうだけど)
慌てて携帯を取り出してダイヤルボタンを押す。

『ゆかり?』
「ま、ま、ま、ま、ま、ま、槙!」
『…どうしたの?』

状況を説明しようとして……言葉が出てこなくて意味もなくあいた手を振り回す。

『あ、買い物ならすませて来たから。洗剤無かったから買い足しておいたわよ』
「歯磨き粉も切れてましたけど」

…だから、そうじゃなくて!
今うちの日用品のことなんてどうでもいいの!
槙のことだからまた無駄に高い物を買ってそう…。
節約しましょう、と言っても槙の金銭感覚はどこかずれてるのよねー……。
…………だーかーら。

「あ、綾那が!」
『無道さん?無道さんがどうかしたの?』
「包丁でさばかれてます!」
『………………はい?』
「ち、血まみれで倒れてるんです!」

数秒、間が開いたのはたぶん槙も今の状況が掴めなかったんだと思う。

『…それは返り血とかじゃなくて無道さんの血?』
「順はいないから違うと思いますよ」

全く同じ事を考えてる槙と私はやっぱり似たもの同士。
と、言うか綾那の日頃の行いが悪いのよね、これは。

『どこを怪我してるの?』

冷静さを取り戻したのは槙の方が先。
目の前に血まみれの人間が転がってない分、正気に戻るのも早かった。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

携帯を持ってない方の手で綾那のシャツの胸元を掴んで自分の方に引き寄せる。

ごんっ!

……なんだか鈍い音が綾那の後頭部付近でしたのは聞こえなかったふりをする。
シャツの胸元が一際、血で濡れてたから一通り探って……もう、綾那ったら出かけないからってまたノーブラのまま過ごしてる……出血はそこじゃないのを確認する。

『とりあえず傷口を押さえて止血して。救急車は呼んだの?』

救急車???………あ!

「呼んでるわけないじゃないですか!」
『……ゆかり、開き直らないで』
「あ、傷口見つけました。手首切ってます」
『……聞いてる?ゆかり』
「止血ってどうすればいいんですか!?」
『…………傷口を直接押さえるか、心臓に近いところを縛って』
「私、縛るのは趣味じゃないんですけど!」
『いいから戻ってきて!ゆかり』

近くにあったタオルで傷口をきつく縛って……そこで気付いた。

「……綾那、息してますよね?」
『私に聞かないで!お願いだからまずそれから確認して、ゆかり!』

口元に耳を近づけて……呼吸の音が聞こえてほっとする。

「……息してます」
『そう、じゃあ私は一度切るわよ。救急に連絡するから。大丈夫と思うけどもし呼吸が止まったら人工呼吸してあげて』
「ひっひっふぅー、ですね!」
『あなたは一体、何を産むつもりのなの!?』

………あれ?違ったかしら?
切られた携帯を投げ捨てて、綾那の頭をそっと持ち上げて膝に乗せる。

「綾那…」

呼吸は落ち着いてる、鼓動もちゃんとうってる。
傷ついた左手を高く持ち上げて、救急車の音が近付いてくるのをひたすらに待ってた。

「……死なないで」

こんな台詞、また使うはめになるとは思わなかった。

  

    
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ