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□ある指輪についての話
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【ある指輪についての話】





これはある指輪についての話。






どこから話せばいいのか、何年付き合ったとかどうやって付き合い始めたとか。
そんなことから話せばいいのか。
長い付き合いは付き合いで、もう今更年数なんてどーでもいいだろ?、なんて言えば自称『乙女』のあいつはあたしを睨んで『あんたはほんとそういう所、無頓着なんだから』なんてぶちぶち言われ続けるのにうんざりして。
言われるのを予防するために買うようになった記念日の花は確か今年は6本だからもう6年の付き合い……のはず。
恋人としての付き合いは6年でも友人としての時間もそこにプラスするなら付き合いは10年近くになるから。
今更って言葉はそこかしらに浮かんでいて。

「あ、玲、白髪」
「マジか?」

『今更』を反映するように、まあ、それはどうでもいいだろう、なんて言われるかも知れないけれど。
あたし達の肌を重ねる回数は極端に少ない。
(それでもたぶん月に一回は…いや、二ヶ月に一回は…待て、だけど…)

「前にした時は無かったのに」
「一ヶ月で白髪が出るかよ」
「前にしたのたぶん半年くらい前よ」

先月、誰としたのよ…。なんて言いながら言葉とは裏腹に上機嫌に人の髪をわっしゃわっしゃやるのは何時も情事が終わった後のこいつの癖で。
あたしが浮気するなんて思ってもない所は日頃の態度とは違ってお人よしすぎて。
(実際にしないけど。こいつだけで手一杯なのに他の女にまで気も手も回らない)
(…ただ先月のだけは確かに)
こういう時にだけ吸う煙草はベッドで吸うと嫌がられるけど、それでも片手に相手を抱きしめたまま吸うこれが好きだから。

「勿体無いわよね」
「あ?」
「半年おきにしか吸わないから1〜2本吸って残りは捨ててるでしょ?」
「湿気たらまずいんだよ」
「無駄遣いして」
「お前の化粧品代よりは安いって」

ぽすん、と肩を叩く手をそのまま自分の背中に回して。
数口吸っただけの煙草の火を揉み消して、何時もに無く甘いキスをしたくなったのはたぶん思い出した『先月』の件のせい。
こいつとあいつを引き合わせれば久しぶりの再会に嬉しそうな顔をしたから、さすがにその時だけは良心が痛んで。
…それと同時に考えていた。

「…った」

頬を撫でれば小さく不満げに呟いてあたしの左手を掴むから数センチ先の瞳を見つめて視線だけで問いかければぐいっと引っ張られてその視線を遮ったのはあたし自身の手の平。

「これ、どうにかなんないの?いっつも触られる時に痛いんだけど」
「あ?」

左手の薬指にはまってるシルバーのごつい指輪を指差して。
不服そうな『フリ』はもうこいつの習慣で、今のこの申し立てはそうだな…たぶん不服度としては15%くらい。

「はずしゃーいいんだろ」
「今更だし」
「じゃあ、始める前に言え」
「普通そこはあんたが気を使って前もって外すもんでしょ」
「うるせーな」

わあわあ言い合いながら外した指輪をベッドサイドに置いて、だけ一拍置いた後にもう一度その指輪を手にとって。
人の頭をわっしゃわっしゃすんのにあきたのか、人の左腕を枕にして自分の爪をチェックしてる女の左手をとって。

「…なあ」

その頬に唇を押し付けて、怪訝そうな顔をされながら。

「結婚しないか?」

その薬指に自分の指輪をはめた。













何年ぶりかも記憶が無いくらいに実家に帰ったのはただ必要な書類を取りに来ただけだった。
クソ親父と会わない内にさっさと切り上げて帰るつもりだったのに、妙に家の中の空気がざわついてると……そんなこと気にせずに素通りして帰れば良かったのに。
そうすれば、たぶん今、あたしはあんなににぎやかしいマンションに引っ越すことも無く、平穏に半年に一回の行為をこなして毎日あいつと憎まれ口を叩きあって、それでも幸せに毎日過ごしてたかも知れないのに。
好奇心でのぞいた部屋の中にはなんとなく見覚えのある『親族』の方々がいて。
ああ、また揉めてんかよ…、とすぐに立ち去れなかったのは、見てしまったから。



…だから、あいつを拾ったのは運命なのかも知れない、なんて。
ただの偶然も重なればそんな単語が付いてくる、って誰かも言ってた気もするけど。
あの時、揉める親族様方の真ん中でその火種になってるあのガキを見なければ。
そのガキが逃げた、と聞いた時に探しに行こう、なんてそんな気にならなければ…。
『逃げたのが幸いだ』と言わんばかりに誰も探しに行かないから。
だけど、死体で見つかりでもしたらそれはそれで困る、なんて困る理由なんててめえらの勝手な都合と一生付いて回る名前のせいで。
(そんなにその苗字が嫌なら私のにすれば?なんて、あいつはさらっと言ったけど)



「そこのガキ」

金の無い小学生のガキの行き場所なんて限られてて、ガキを見つけるの自体はそう難しくなかった。
……どちらかと言うと見つけた後に捕獲する方がよっぽど大変で。
(『神門のもんだ』って言った途端にあいつ走って逃げやがった。挙句にするする木に登った上にどんどん飛び移って逃げるから)
(てめえは猿か、って!)
(まあ、結局探すのを手伝わせた紗枝に撃ち落されて捕獲されてたけど)
(この女の動体視力は相変わらずだった)

「何?あんた、誰?」
「神門のもんだ、ってんだろーが」
「あたし施設に入れるなら最初っから好きにすりゃーいいじゃん」
「じゃあ、入れ」
「あんたらはそうやって勝手ばっか言って…!父さんの悪口ばっか言って…!……父さんは悪くないのに……」
「あ?父さん?」

こめかみからタラタラ血を流しながらおいおい泣き始めるから探しに来たのを早くも後悔し始めて。
(紗枝に『玲、子供泣かしてひどーい』とか言われたけどこいつが流血してんのはてめえが石ぶつけて木から落としたせいだろーが)
こいつの事情も名前すら知らないことに今更気付いて。
だけど、神門の家に戻ってこいつを差し出すのもこいつの事情を聞くのもそんなことしたくなくて。
首根っこを掴んで立たせればおいおい泣きながら『木から落ちた時に捻った足が痛い』なんてグジり始めるから盛大にため息をついて。
(紗枝が『可愛そうに…痛いよね…』なんて神妙な顔で言ってたけど、だからそれはてめえが木から落としたせいだろーがって!)
おぶった背中、シャツを盛大に鼻水やら涙やらで濡らされながら……それでも自分の家につれて帰ったのは…何でだろう?






ほんっとに……そんなの、自分でも誰かに聞きたいくらいだ。
















…指輪の話に戻そう。



ごつくて無骨なあたしの指輪の話。
あいつの華奢な指と綺麗にネイルされた爪には全く、本当に全く似合わないあの指輪はだけど、律儀にあいつの左手の親指にはめられて。
(それでもまだゆるそうだったけど)
…その内、ちゃんとあいつ好みの白金と炭素の塊で出来たあいつの華奢な指に似合う。
あいつの着飾った指先に似合う指輪を一緒に買いに行こうと約束したのに。

「私のことなんてどうでも良くなってんでしょ?」

元々そう素直に健気な言葉を聞かせてくれるような恋人じゃないし、そういう所も嫌いじゃないし、むしろ可愛いと思えていたから。
今言われているくらいの文句なんて何時ものことで。
…だけど、今はそこに含まれてる不服度が90%を超えているのが分かって。

「悪い。ちゃんと指輪は買いに行くから」

子供を引き取って育てるって言うのはある程度成長してる子供が相手でも大変なことだ、って言う単純なことでもあたしは引き取るまで気付かずにいて。
『悪い、仕事が』と『悪い、ガキが』の二つでこいつの相手を出来ずにいたのは悪いとは思ってはいる。
元々が長い付き合いのせいなのかベタベタした関係じゃなく(最初に話したみたいに性的にも淡白だし)それこそ逢うのが月に一回なんてことも今までだってざらにあったのに。

「指輪の話じゃないの」
「…じゃあ、何だよ?」

ガキは寝てるから、起こしたくないから、こんな話は聞かせたくないから
知らずに声のトーンを落とせばあいつの綺麗に描かれた眉がピクリとあがって。

「…何で私には何の相談もしなかったのよ」

それでもあたしと同じように声のトーンを落とす所が素直じゃないくせに愛しくて。
怒っていても『寝てるガキを起こせば可愛そう』ってそう反射的に思えるこいつが好きだから。

「…それは悪かったと思ってる」

本当なら一緒の部屋に住もうと部屋も一緒に選んで(ほぼあいつの趣味で選んだけど)本当なら今はもう新しい家で二人揃って生活を始めてるはずだったのに。

「悪いけど、もう少し。もう少しだけ待って欲しい」

今はめてるごつくて似合わない指輪じゃなくて、ちゃんとこいつに似合う白金と炭素の指輪を差し出して。
照れくさくて逃げ出したいし、むずがゆい思いをするのは分かっているけれど。
今度は疑問系じゃなくて、ちゃんとしたプロポーズをしようと。

― 星河紅愛さん、あたしと結婚してください

…って。




「…あんたは私とあの子供どっちが大事なのよ」
「な…」

『お前だ』と即答してしまうには今はもうあのガキに情が移ってしまっていて。
だけど、あたしが迷っている間にその答えを遮ったのもあいつの方で。

「…最低のこと聞いた。私、最悪」

『最悪』と何度も口の中で呟くから何を言っていいのか分からないまま抱きしめれば押し返されて。
行き場の失った手は小さな肩の上におさまる。

「あのさ…」
「玲」

だけど、その手は払いのけられて胸を押されて一歩だけ後退る。
その距離にたかだか数十センチのその距離になぜか心臓に冷たいものが流れたのは予感したから。
知っているから。
こいつは我侭も好き勝手なことも人の神経逆撫でることも言うけど、そこに泣いている子供がいれば不器用に慰めようとするやつだって。
だから、こいつとなら大丈夫と………ああ、そうだな、んなのあたしが勝手に判断することじゃなかったんだ…。

「……新しいの買うまで預かっとけって意味じゃないよな」

手の平に乗せられた指輪の意味を未練がましく確かめて、苛立ったようにあがる眉は何度も何度も見たことがあるものなのに。

「あのね、玲」

……唐突に『見るのはこれが最後かも知れない』なんて思考に息が詰まった。

「問題は指輪でもあの子供でもないの」

背伸びをしてあたしの頬にキスを残して。
『あんたとなんてもう別れる!』なんて台詞、それこそ何十回と聞いたのに。
今はその台詞すら叫ばずに静かに部屋を出て行く小さな背中を見送った。











…これが最後だ、なんて誰かに教えてもらわなくても。
声すら出ぬまま流れ続ける涙がそう教えてくれるから。



















…この指輪についての話はこれで終わり。


未練がましく捨てることも、ましてや自分でまたはめることも出来ずに。
ただただ置きざりされたままの指輪の話。





END
(14/12/05)

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