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□長い夜
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【長い夜】




夜は何時でも長かった。




夜が明けてくるまでの時間、空が薄らと明るくなるのをソファーに膝を抱えたまま見ながら。
『朝』までの時間は何時でもひどく長かった。





「紅愛と別れたの?」
「…まだあたしは言ってねーから、あいつからか」
「ううん、玲の顔に書いてある」

まるで本当に油性ペンでそう書かれているとでも思ったみたいに自分の顔を掌でごしごしとこすった後、苦情を言おうと開いた唇から吐き出されたのは結局ため息だけ。

「順ちゃん?」
「あ?原因か?それならあいつじゃ無いとは言ってたけどな…」

戸惑うような口調には心痛さも漂って。
二人とも素直じゃないし、ベタベタする関係では無かったけれどそこにあった『愛情』くらい私にも伝わって。
……もし、私と玲の(肉体)関係を気付いていたなら、意外に紅愛の勘も馬鹿に出来ないけど。
(それだったら今度会った時に嫌み言われちゃうな)
きっと玲には別れた理由なんて見当も付いていないのかも知れない。
(私とのアレを『浮気』とは認識してないみたいだけど)
(他の人と触れ合うことが裏切りなら最初から『恋人』なんて契約を持たない方が)

「教えてあげましょうか?」
「何が?」

まだ陽が落ちたばかりだから。
生真面目な玲はアルコールには手を付けずに、私にもそれを許さずに。

「紅愛が玲に見切りをつけた理由」

強い強いお酒が欲しくなる話題を提供すれば一緒にグラスを傾けてくれるかも。
(『…お前、アル中になってないか?』なんて失礼な発言をされたけど)
一瞬の間は思考するための時間だったのか。
だけど、小さく唇を歪めて玲がしたのは首を横に振ること。

「いや…、きっとあいつが気づいてないような事も見事に推測してみせてそれが大正解ど真ん中当ててくんのは分かってるから……止めとく」

部屋の中には明かりが必要な程に暗闇が満ちて来て。
いつも暗闇の中で思っていた。
長い夜から逃げ出す方法を。

「…する?」
「……お前の発言は何時も唐突すぎて付いていけねー」
「『何を?』って聞かない辺り、玲だって察してた癖に」

玲のシャツの匂いを覚えていた事に驚いたのは前回の話。
背中の筋肉の感触やあの頃よりも上手になったキスよりも何よりもそれが私に纏わりついて離れずに。
…きっと未だこの人に纏わりついて離れないのは友人の香りだと分かっていながら。

「まあ、あたしは今フリーだしな」
「フリーじゃなくてもした癖に」
「それはお前が…」

私が?
だけど玲はその先は口にせずに、キスの仕方だって子供だったあの頃よりもずっとスマートに。
唇を重ねる前に鼻先で私の鼻をくすぐる仕草は何だか子犬を思わせて、何時の間にこんな癖を付けたのか。

「玲、する前にお酒欲しい…」

ソファーに押し倒されて玲の顔を見上げながら。
長い夜を今夜はどうにかやり過ごせる、と。
逃げ出したい長い夜に隣にいてもらう相手として玲は上等すぎて。

「…甘えた声出してんなよ」
「玲、私の声聞くの嫌いじゃないでしょ?」

首筋に触れる玲の鼻は冷たいのに唇と舌はひどく熱くて。
本当に子犬みたい、なんて玲に失礼な事を考えながら。
私の要求には答えてくれないまま肌をまさぐる玲の手に意識を集中させる。

「ん…玲、せっかち…」

下着の中に入って来て玲の手を止めたのは羞恥のせいでは無くて、せっかちさを咎めた訳でも無くて…。

「…あのな、飲まないと出来ないなら最初から誘うなよ」
「前回あまり濡れなかったのは玲のテクのせいよ」
「テクに不満なら尚更誘うな」

下着から出された玲の指先が濡れていないのにさすがの私でも少しだけ気まずさを感じて。
だけど玲の方は呆れたみたいになぜかほっとしたみたいに笑っている。

「何時もか?」
「何が?」
「酔った勢いじゃないと出来ないの」

また『アル中か?』と聞かれる前に首を振って。
だけど、アルコールに頼るようになったのは何時からか
それはアルコール中毒と言うよりもまともな思考力を奪うために。
ふと『私、何してるんだろう…』とそう我に返らないために。

「玲なら素面でもいけるかなー、とか思ったんだけど」
「残念だけど駄目みたいだぞ」
「飲ませてくれたら出来るわよ」
「ん…」

立ちあがってキッチンに行くから(ベルトを外されてる事に気づかずに歩いて落ちてきたジーンズに引っかかりそうになってるけど)お望みのものを持ってくれるかと思えば…。

「玲?」

ドボドボと聞こえる音にそちらを見て、そして玲がしている事に気付いた瞬間立ち上がりその背中に走り寄る。

「…何してるの?」
「しばらく飲むな」

次から次へとボトルを逆さにして空にしていくからその背中を抗議の意味を込めてぺチリと叩いても玲は顔色一つ変えずに。

「止めて」

ペチ

「勿体ない」

ペチ

「玲」

ペチっ

「止めてって」

ベチ

「玲が口出しすることじゃ…」

ベチッ

「…ないでしょ」

ベチッ!

「だんだん力こめて来てんなよ、お前は」

バチッ!!

お酒を全部捨て終わった玲が振り返って私の手を握るから、今度は反対の手で玲の肩をおもいっきり叩いてあげた。

「痛ぇっ……。…って、ふりかぶんな!もう叩くなって!!お前の本気の平手打ちなんて痛ぇに決まってんだろうが!!」
「玲がお酒捨てるから」
「このアル中が」
「震えないし、飲まないなら飲まないで平気だからアル中じゃありません」
「口出しするよ」
「いらなーい」
「あたしがしなきゃ誰がお前に口出しすんだよ」
「……………」

キッチンにはアルコールの匂いが立ちこめていて。
それに混じる玲のシャツの匂いに泣きそうになったのは絶対に玲に悟られないように。



夜が長くなったのは何時から。
長い長い暗闇の時間を持て余して楽しくもない行為に溺れるようになったのは何時から。

「玲」
「ん…」

もう一度だけペチリと玲の背中を叩いて。

「…眠れないの」
「ん…。んな事じゃねーかとは思った」

部屋に一人きりでいると眠れないのに気付いたのはもうずっと前。
誰かが隣にいればそれこそ電車の中でも眠れるのに、一人きりになってしまうと駄目だった。

「時間かけてヤってもいいけど」
「時間かけたら良く出来る自信あるんだ、玲」
「あのな、人が自信無くすような事言うなよ、お前は」
「嘘よ。玲の抱き方、私好きよ。凄く丁寧で」
「褒められてる事にしとくよ」
「まあ、自分でした方がよっぽど速いけど」
「じゃあ、自分でやってろ」
「イけないわけじゃないのよ」
「知ってる、何回かそうなったのくらい」

結局、明かりは点けられないまま。
玲がどんな表情をしているか見えないのに、どんな表情をしているか分かって。
『恋愛』をどこに置いて来てしまった私達は意外にそれは悪いことじゃなかったのかも知れない。
玲の手が手首に触れて緩く握られ引っ張られる。

「…ベッドに連れて言って再チャレンジする気?」
「酒捨てたお詫びに添い寝してやるよ」
「……Are you serious?」
「心底ムカつくな、その返し」

自分のベッドに玲のシャツの香りとその持ち主の香りが満ちるのは不思議な感じで。

「腕枕付き?」
「嫌いな癖に」
「何で知ってるの?」
「なんとなく、紗枝ならそうかと思って」

玲の肩に寄りかかってシャツの香りを吸いこんで。

「ね、玲」
「ん?」
「もし私達があの頃からずっと付き合ってたとしたら、今どうなっていたと思う?」
「あー、そうだな…」

玲の少し硬い肩に顔を埋めているから顔は見えなくて。
ただ体温と香りだけ神経を集中させる。

「…悪ぃ、バッドエンドしか思い浮かばねー」
「うん、実は私も」

― 幸せに二人でずっとずっと一緒にいたかも

人の未来なんて分からないから、そうなっていたかも知れないのに。
だけど、口にすれば折角の今のこの関係がまた逃げて行きそうで。
やっと『友達』になれそうなのに。

「…玲のセックスが良ければ問題無かったのに」
「だから、その人のテクをけなすの止めろ。問題はあたしじゃねえ」
「キスして」

玲の鼻が首筋あたるように引き寄せて。
最悪の性格はもうどうしようも出来ないから…。

「ん」

だけど、玲がキスしたのは私の額にで。
まるで弟が姉にするみたいに愛情がこもった、だけど下心皆無のキスにさすがの私だって苦笑するしかない。

「寝ろ」
「うん」
「おやすみ」
「…おやすみなさい」






眠れない長い夜に。
懐かしいシャツの香りに包まれて安心して眠りに付きながら。




…何かを失った気がしていたのは、きっと。

























「ただいまー。さー、シャツを脱いで無道さん」

玄関を開けて第一声に放った声に気まずそうな顔をしたのはシャツを脱げと言われた人。
そして、その後ろには呆れた顔の私の友人。

「…お前は帰って来て一番にそれかよ」
「いらっしゃい、玲。どうしたの?」
「友達の家でちょっとお茶飲んでちゃ悪いのかよ」
「あ、なるほど。順ちゃんと何かあったのね」
「何もねーよ」
「だって、玲が無道さん頼るってそういう事じゃないの」
「「…………」」

とっても分かりやすい二人は同じような顔で沈黙して。
実は何気なく無道さんと順ちゃんが年の離れた割に気の合う友人なのは微笑ましく見ているからいいのだけど。

「…ま、あたしは邪魔しちゃ悪いから帰るよ」
「ん、玲も混ざる?」
「そこの眼鏡が心底可愛そうになるから止めろ、その手の発言」
「今さらですから、その手の発言は」

達観した顔の年下の恋人を笑いながら睨んで。
もし本当に玲が混ざるってなったら…………どうしよう、許しそうな辺り、私って無道さんの調教の方向間違えたのかしら。

「まあ、どちらにしても長い夜にはなりそうですけど…」
「そう?」

何時でも夜は長くて。
暗闇の中、ただひたすらに空が明るくなるのを待っていた。

「私は無道さんといるといつも夜が短く感じる」
「……そりゃ、良かったな」

少し硬めの抱き枕がいらなくなったのは……この子犬みたいな恋人と真剣に付き合い始めてからだって。
嬉しそうに笑いながら自分の肩をバンバン叩く玲に首をかしげる恋人を見つめて。

「ね、玲」

近寄ってこっそりと玲の耳元で囁いた言葉は恋人には絶対に内緒だけど。

「……まあ、自信は無くさなくてすみそうだな」
「うん、ファイト」
「『ファイト』じゃねーよ。むしろ、その言葉はそこの眼鏡に言ってやりたい」

振り返れば珍しく複雑そうに顔を顰めてる恋人の姿。
(それでも割り込んでこない辺り、私の調教はきっと間違えてないのかも)
(…ううん、やっぱり間違えてる?)

「よし、シャツを脱げ!そこの眼鏡」

複雑そうな顔の無道さんをビシッと指差して言った去り際のセリフは玲にしては珍しくジョークまじりで。

「シャワー浴びますか?それとも食事にしますか?」

私が帰宅してからの全てを無かった事にした私の恋人は中々のつわもの。

「そんなの、もちろん……」









自分で脱がないなら、私が脱がすまで。























長い夜は何時の間にか、あなたが消してくれていたから。



END
(15/09/26)

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