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□幸せは冬にやってくる
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【バスタイム】 


ぽつり、と水滴の落ちる音を聞きながら。
また今夜も恋人の帰りは遅いことに唇を尖らせて。
けれども、仕事、仕事の恋人からそれを奪うのは。
ワーカーホリックの恋人からそれを取り上げるのは嫌で。
(だって、何だかんだ言いながら楽しそうにしている)


ぽつり、と。
また落ちた水滴に顔をあげて。
冷え症の体は中々温まらない上にすぐに冷えてしまうから。
(恋人がいる時はお風呂上がりなのに暖房が最強で付いている)
(「あなたの体が冷えたら困るもの」なんて、そんな過保護な恋人だって困りもの)
(お風呂上がりに熱いホットチョコレートなんて渡されても)


仕事と私、どっちが大事?なんて最低の質問はしたくない。
ぽつり、にかぶせてお湯を叩いて。
ばしゃっ、と響いたその隙に。


「…一人だと余計に寒く感じるんだよ」


呟いた苦情はそれでも当の本人には届かないまま。








「…夕歩?」

不意に聞こえた声はバスルームの外からで。
返事をする代わりにもう一度お湯を叩いて、それから耳をすましてみる。

「お風呂?」

質問する声と同時にバスルームの扉が開いて、顔を出したのは苦情申し立てをしようかと思っていた恋人で。

「…今日は早かったね」
「連絡したのよ、今夜はもう帰れるから、って。返事が全く無いから何かあったかと思って慌てて帰って来たけど、お風呂に入ってただけなのね」

安心したように笑うから、また過保護にする、とちょっとだけムッとして。
だけど、お風呂上がりに一人じゃない、ってそれだけで温まった体がさらに温まる気がするから。

「待ってて、すぐに出てご飯作るから」

一瞬だけ服を着たままの恋人の前で裸を晒すのを躊躇ったのは見慣れた恋人の裸体と自分のモノを比べたせいで。
(そんなの、今さらで。この人は私の体なんて隅々まで知ってるだろうけど)

「ああ、いいわ。自分でするからよく温まって」

手を振ってドアを閉めようとするから…。

「ゆかり」

呼びとめたのは何故なのか自分でも分からないけれど。

「…一緒に入る?」




たぶん、きっと、この心から嬉しそうに笑う顔を見るためなのかも知れない。なんて。









冷え切った肌を抱きしめて、温まった体から熱が奪われても気にならないのは…。


「…ゆかり、鼻も冷たい」
「夕歩の唇は温かいわ」





冬の『温かい』は幸せだから。
それをあなたと分け合うなら尚更に。








「…ね、ゆかり」
「何?」
「私と仕事、どっちが……」
「夕歩よ」
「即答なの?」
「考える必要すら無いでしょう?」















【ホットチョコレート】 




― これ、美味しいですよ


そうおススメしてきたのは、あいつの後輩で。
ンな気色悪いモンをあたしが飲むと思うか?と問う前に人の手に『はい、あげる』なんてそれの箱を握らせたのはこれまたあいつの後輩の小さなお嬢サンで。
パッケージに書かれた『ホットチョコレート』の文字に眉と唇を下げれば不服そうに小っちゃな方のお嬢サンが肩を叩くから、返そうにも返せなくなった。




キッチンの棚に投げ込んでそのまま忘れてたのに不意にそれを思い出したのはエアコンが壊れた部屋の中で白い息を吐き出してから。

「修理、明日になるそうよ」

何枚もモコモコと着こんでンのにそれでも寒そうに背中を丸めて。
触らなくてその指先が冷え切っているだろう事は予想がついて。

「ヒーター、買って来っか?」
「ううん、大丈夫。明日になればエアコンがまた使えるだろうし」

あたしよりも脂肪を蓄えてる(特に一部)はずなのに、こいつの寒がりは異常で。
(悪い意味じゃない、むしろ、あの柔らかさが……って、ナニ言わせんスカ)
(あの暑苦しさを今出さネーでいつ出すんだよ、テメエは)

「ンなに寒いっスカね?」
「斗南さん、寒くないの?」
「アンタほどはな」
「もうベッドに一日中、入ってようかと思うくらい」

…おっと?
いや、違うか。
婉曲なお誘いかと思ったけれど、コイツがそんな回りくどい誘い方をするとも思わないし、こんな真っ昼間からあたしを誘ってコイツがこんなに平静な顔をしてる訳も無い。
確かにお互いにまっ裸でベッドに潜りこんでんなら、温かい所か熱い思いをする羽目になる。

「それもそれでいいッスけど」

思い出したから、それなら、ってお湯を沸かして。
適当に入れたそれはそれでも甘い甘い香りがして、気色悪いと思いながらも少しだけ美味そうだ、と食指が動いたのは息が白くなる程、寒いこの部屋の所為。

「わー、美味しそう。斗南さんがこういうの入れてくれるって珍しいから嬉しいわ」

両手でカップをはさむように持って、たかだか湯を沸かして注いだだけの代物に子供みたいに無邪気に笑って喜ぶから、これの箱を貰った時みたいに眉と唇を下げて見て。

「ね、ね、これマシュマロ入りなんですって。………あれ?どこ?マシュマロ?」

嬉しそうにスプーンでカップをかき混ぜて、それからだんだん意気消沈していくから苦く笑って。
もうンなモン、とっくの昔に溶けて形なんて無くなってんだろう、ってそんな分かり切ったことを突っ込まなかったのは一生懸命にカップをかき混ぜてる姿になぜか下がった眉と唇が上がっていくから。

「上条ー」

額を指で押してカップを見つめていた顔を上げさせて。
唇で触れたソコはたぶんマシュマロよりも柔らかい。

「…コレで我慢したら?」

唇、甘っ!て舌を出して。
それからふにゃりと笑う女に今度は意識して唇を下げてみる。


「…こっちの方がマシュマロより甘いわ」







それはテメエの脳内だろうが、ってそんな言葉も吐けなかったのは。
せっかく入れた甘いホットチョコレートをこいつに飲ませる暇も与えなかった所為。















【ベッド】



冷え症だの、筋肉満載のあんたと違って体が温まらないだの、寒いと肌が荒れるでしょうだの。
冬になると小言が多くなるのは昔から。


「…いや、夏は夏で日焼けするだの、汗かいて化粧が崩れるだの、うるさかったな」
「何よ、文句あんの?」
「文句は無い。真実しか言ってねーし」

細い指先で人の頬をつねって、だけど痛みなんてほとんど無い。
綺麗に整えられた指先にキスしてみて、その爪先と同じく何時も綺麗に整えられているはずの髪がぐしゃぐしゃになっているのに笑ってみる。
ぐしゃぐしゃなのはこいつの髪だけじゃなくて、二人でくつろいでいるこのベッドだってきっと乱れ放題。
きっと以前のようにそれを綺麗に整えるのはあたしの役割。

「…つか、なんであたしのシャツ着てんだよ」
「そこにあったからよ」
「寒いのにそれじゃ温かくねーだろ。パジャマ出してやるから、それ着ろ」

冬の夜は寒いからってモコモコしたパジャマやら何やらを何枚も着ておまけに足にも同じようなモコモコした靴下を履いて。
それでも『寒い寒い』言ってたヤツがあたしの薄っぺらいシャツ一枚で温まるとは思えない。

「……あんたって何でそうなの?」

パジャマを取りに行くためにベッドから出ようとすれば人の腕を掴まえて自分の首にマフラーみたいに回させて。
すっぽりと腕の中に収まるから反射的にその額に唇を押し付ける。

「いいの、あんたがいるとポカポカするから」
「あたしはカイロ代りか」
「いいじゃない。それに…」

案の定、ふくらはぎに当たる爪先が冷たくて自分の足を絡めて温めてやる。
冬が苦手なら、寒いのが苦手なら、だったら大人しく何時もみたいに温かいパジャマを着ればいい。

「それに…玲のシャツ着るの嫌いじゃないの」

おう、そうか。
なんて芸の無い返事を心の中で返して、その後に浮かんできたのは猛烈な照れくささ。

「実は…」


ゆっくりと引き寄せればぴったしとあたしの肌とこいつが着てるあたしのシャツがくっ付いて。
今ふくらはぎに触れてる爪先はもう冷たく無くなっているから。



「…あたしもそれ見るの嫌いじゃない」







馬鹿みたいだ、なんて言ってくれるな。
冬の寒さは脳みそまで凍らせるんだから。













【マフラー】 



ああ、寒いなぁ、なんて。
そう思っていたはずなのに愛用のマフラーを部屋に忘れて来た。



バイトに遅れる!って慌てて部屋を出て来て、行きはまだ陽も差していたし、早足で来たせいかそう寒くはなかったけれど。

「…寒っ」

陽が落ちた道をとぼとぼと歩くのは実に寒かったりする。
結局、遅刻はしなかったけれどギリギリで滑り込んで心が焦っていたせいか、下らないミスを繰り返して。
ひどく叱れるなんて事は無いけれど、逆にその方が私自身の心は沈んで。
駄目な人間だなぁ、なんて寒い道は余計に人の心を弱気にさせる。
…大学で見かけたあの人ともせっかくが眼が合って、話しかけるためにこっちに歩いて来ようとしてくれていたのに気づかないフリをして逃げ出した。

「だって、ね」

一度だけ一緒にケーキを買い来たお連れさんはそれはそれは綺麗なお姉さんで。
綺麗なお姉さんが腕に触れる指先や無道さんのシャツを引っ張る仕草が二人の関係を物語っていて。
その人を見る視線が、瞳の色が無道さんの感情を示していた。


鼻がツンと痛くなったのは冷たい空気のせいで、眼がうるうるするのはきっと冷たい風が沁みる所為。
マフラーを忘れた所為だ、ってそう俯いて。
駅までの道をとぼとぼと……

「あれー、増田ちゃん」
「…久我さん」
「バイト帰り?」

学生服にコート姿の久我さんは私の前に立ち止まって。
白い息を吐き出しながら、私に笑いかけてくる。

「うん。久我さんは?」
「お勉強を頑張ってました。褒めて」
「うん、偉い偉い」

頭を差しだすから撫でてあげると眼を細めて気持ちよさそうにするから、さらに頭を撫でまわして。

「んー、増田ちゃん甘い匂いがする。さすがケーキ屋さん」
「私が作ってるわけじゃないけどね」
「それでも、いい匂いがする」

ふんふん、と鼻筋を近づけてきてなぜか不意に動きを止めると笑みを消して私の瞳を至近距離で見つめてくる。

「増田ちゃん、何かあった?」
「な、何で?」
「…悲しそうな眼してる」

グッ、とまた鼻先が痛くなったのは寒さが増した所為で。
近くから見つめてくる瞳から逃げ出すみたいに視線を地面に向ける。

「…あー、きっと今日マフラー忘れちゃって寒いからだよ」
「……んー、そっか」

地面を見つめたまま久我さんの声を聞いて。
だけど、ふわりと自分の首にかけられた温かい物に思わず顔を上げる。

「はい、あたしの貸してあげる」
「い、いいよ。だって久我さんが寒いだろうし…」
「大丈夫。あたし、風の子だし。それにこれで寒くなくなるでしょう?」

真っ赤なマフラーからは甘い香りがして。
その温かさがなぜか不思議に体だけじゃなくて、心にまでしみ込んでくるから…。


「…今日、マフラー忘れて良かったかも」
「何、それ?」

また笑う瞳を見つめながら、さりげなく握られた手の温かさに。
だって、ね、泣きそうになったのはきっと寒さのせいで、マフラーを忘れたせいで。
誰かの温かさがこんなに気持ちいいなんて、私は知らなかったから。















…あの人の手の温度も私は知らずに終わったんだな、なんて泣かずに思えたのはきっと隣で手を繋いでくれていた人のお陰。





END?
(16/01/29)

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