A

□姉の不在
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【姉の不在】





私が煙草を吸い始めたきっかけはそれだった。














「起きて、無道さん」

二人とも休日の時は昼まで眠っているのが普通なのに。
(だいたい、この人は私が起こすまで起きて来ない)
こんな風に起こされる朝は珍しい。
…まあ、二人揃って朝まで起きていたから昼まで寝てる、と言うのが真相だけど。
(『お腹がすいた』とか『昨日のじゃ足りなかった』とか言う理由で起こされる事はあるけど)

「…なんですか?」

まだ寝ぼけた頭で答えて、だけどその手に持っている物を見た瞬間に眠気が一気にひいていく。
確かに、今日がその日だと言うのは知っていた。
確かに、知っててあえて話題に出さなかった。
この人も話題に出さないから気づいて無いんだろう、と思ってたのに…。

「さ、着替えてメイクと髪のセットしないと」

…成人式には出る気が無かったから。
むしろ、もし万が一出るとしてもスーツのつもりだったから。

「…それ、着ないと駄目ですか?」

祈さんが手に持った振り袖に頭痛がしたのは仕方のないこと。









「おはよう、無道さん」
「…おはようございます」

律儀に習慣付いてしまっているから挨拶は返して。
だけど、朝からこの部屋になぜか槙さんがいる事実に突っ込もうとして、そんなの祈さんが呼んだからだと想像は付く。

「着付け。一人で出来る自信が無くて」
「ううん、私も夢だったから呼んでもらえて嬉しいわ。無道さんが成人式なんて…」

ああ…、外堀を埋められたな。
うるうるした瞳で私を見つめる槙さんに『いえ、行くつもりは無いんです』なんて言える訳がない。
そんな物、着たくは無いんです。なんて言える……わけが無い!

「…この振袖どうしたんですか?」

覚悟を決めて、と、言うか決めさせられて今日一日の我慢だ、とあきらめる。
だって、祈さんだけならまだしも槙さんまで…!

「あ、私の。だから、大丈夫」

手をぴょこんと上げる恋人をとりあえず睨みつけて。
(このぐらい、全くこの人には通じない)
(槙さんを巻き込んだ時点で私の勝ち目なんてゼロに決まってる)

「…大丈夫って?」
「汚したり破いたりしても大丈夫よ、って意味」

― 主に帰って来てからの心配だけど

付け加えられた言葉は聞かなかった事にして。

「……もう、どうにでもして下さい」

ああ、煙草が吸いたい……。なんて考えて、ふと思い出していた。
私が最初に煙草を吸ったきっかけを。











「「可愛い………っ!」」

はもった声に引きつった頬を無理矢理戻して。
今日一日の我慢、今日一日の我慢、今日一日の我慢、今日一日の我慢。
それだけを頭の中で繰り返して。
それでも慣れない化粧や髪形の所為で今すぐ暴れだしたい気分になる。
…これだけ体を締め付けられて窮屈な思いをしてたら蹴りすら上手に出来そうにも無いけど。

「あ、無道さん歩くとき足は閉じて。おしとやかに静かに歩いて」
「はぁ、はい」
「かっわいい………」
「ちょっ!祈さん!?変な所から手を入れないでください!」
「無道さん、ひどーい。振袖整えてあげただけなのに。………それに脱がすのは後のお楽しみだし」
「…何か言いました?」
「いいえー、何も」

にこにこ、と。
二つ並んだ(一人は涙目でもう一人は何だか含み笑いだけど)笑顔に今すぐ何かも脱ぎ捨ててしまいたい誘惑をなんとか堪えて。
だけど、一つだけ救いがあるのはこの部屋に私以外はこの二人しかいない事。
(あ、夕歩には後で写真だけ送ろう。『もし振袖着たら見たい』って言ってたから)
救いなのか、それとも…。

「槙さん」

名前を呼んでみて、だけど尋ねたい事はグッと飲み込んだ。
だって、わざわざ、聞かなくても。
もし、また、あの人が、いなくなってたら?

「…タクシー呼んでそろそろ出かけます」
「あ、それなら大丈夫よ」

ぽん、と手を叩いてにっこりとまた一段と嬉しそうな顔。

「運転手さん手配してるから」




  
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