A

□天使はいたんだ
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【天使はいたんだ】





神様はいないって知ってたけど。
…天使ならいるのかも知れない、って。
そう彼女と出会った時に思った。





家に帰るのがいやなのは、誰もいない家がさみしいからじゃなくて。
一人は慣れてるし、誰にも構ってもらえないのは普通のことだったら。
…だから、さみしいからじゃなくて。
ずり下がるランドセルを背負いなおして。
いつも寄り道する公園は誰かと遊ぶためじゃなく、目的は。

「…いた」

目つきの悪い、だけど人懐こい野良猫にえさをあげるため。
ランドセルの中から家から持って来たシーチキンの缶を取り出して。
だけど、今日はその野良猫の前に先客がいた。

「くしゅんっ!」

小さな小さなくしゃみは野良猫を撫でてる人のもの。
制服姿のおねえさんはたぶん…高校生?

「…あ」

くしゅん、ともう一度聞こえたくしゃみにその人の顔をじろじろ見つめてしまったのは赤くなった瞳と悲しそうな顔していたから。

「…なに?」

眠そうな瞳、そのまぶたが腫れてるから。
何て言っていいのか、私はそんな言葉なんて知らないから。

「…ねこ、えさ」

言葉をしぼり出して、だけどまだ赤い瞳から眼を逸らせないまま。
手に乗せたシーチキンの缶を差し出した。

「ああ…、君も猫にご飯あげてるんだ」

くしゅん、ともう一度くしゃみをして。
私の手からシーチキンの缶を取り上げて首を振るから。
首を振る理由がわからずに無言で唇をゆがめる。

「駄目だよ、これ。猫にあげるとあまり良くないから」
「……そうなの?」
「うん、そうだよ。帰ってお父さんかお母さんに聞いてみて」
「………………」

そうする、とは言えないまま。
だけど、何も言わない私の手に鞄からキャットフードを出して乗せてくれるから。
今の言葉は忘れて猫にエサをあげることに没頭する。

「…嬉しそう」
「ねこ?」
「ううん、ちびっ子」
「ちびっこ?」
「君のことだよ」

ふんわり、と笑うから。
きれいな人、って言うのはきっとこの人みたいなことを言うんだって。
覚えている少ない言葉の中から浮かんだのは『天使』なんて言葉。
猫のごはんをわけてくれる優しい天使。

― …天使っているんだ

思ったままを口にしたらまた同じように笑われた。
だけど、細い肩をふるわせるから。

「……おねえさん、泣いてるの?」

猫をなでながらぽろぽろ涙をこぼすから。
着ているシャツの袖をのばして、その目元をごしごし拭いてあげる。
泣くのは子供だけと思っていたから。
…泣くのは好きじゃないから。
それを見ていると悲しくて、ついそうしていた。
くしゅん、ともう一度くしゃみをして。
猫から離れて、だけど私の隣に立ったまま、さっきまで猫をなでいた手で私の頭をなでてくれる。

「私、動物アレルギーなの」
「あれるぎー?」
「んー、猫は大好きなんだけどこうやってなでるとくしゃみが出ちゃうの。本当はあまり触っちゃいけないんだけど」
「…涙も?」

いつの間にかおなかがいっぱいになった猫はどこかに行ってしまっていて。
だから、まだここにいなきゃいけない理由はないのに。

「…何時もならね、一緒に来てくれる友達がいるの」
「うん」
「…今日は断られちゃった」
「…けんかしたの?」

恐る恐る聞けばまた笑って、だけど腫れたまぶたはそのまま、悲しそうな顔もそのまま。

「ううん、その友達すごく優しいから」
「じゃあ、なんで?」
「…んー、私より大事な人と約束があってそっちに行っちゃった」

ちょこん、とまたしゃがみこんで私と視線を合わせて。
またうるうるした瞳をしてるから、もう一度シャツの袖でそれを拭く。

「…『友達』だから仕方ないんだけどね」

友達だから、の意味がわからなくて首をかしげれば『ちびっ子にはまだはやいね』なんて泣きながら笑うから。
笑いながらまた頭をなでてくれるから。
……頭をなでてくれる手はてれくさくて、くすぐったくて。

「……友達が好きな人と一緒にいて幸せなんだから喜ばなきゃいけないのにね」

何も言わずにここから帰ってしまえばいいのに、それが出来なくて。
一人にしておくのは、出来なくて。
この人を一人ぼっちには出来なくて。
どうすればいいんだろう?
ちっぽけな頭で考えたってなにも浮かばなくて、私まで泣きそうなっていた。
どうにかしてあげたい、って。
…泣くのは嫌いなのに。

「ねこ」
「…ん?」
「…さわれるようになればいいね」
「…うん」
「おともだち」
「……うん?」
「おねえさんとずっとずっと一緒にいてくれればいいのにね」

すぐ目の前にある顔がまた泣き笑いになるから。
悲しそうに、だけど、ひらひら笑うから。
……変な気持ちになった。
せっかく見つけた天使に逃げられたくなくて、ただただ笑ってほしくて。

「私が…」

ぐっ、とこぶしを握って。
『一人』はさみしいよね、知ってるから、それ。

「私がずっとずっと一緒にねこにごはんあげてあげる」

腫れたまぶたを手の平でなでて。
この人がしてくれたみたいに、ただただ優しくなでて。
それ以外、私に出来ることなんてなくて…。

「……ありがとう」

……変な気持ちは消えないまま。
せっかく笑ってくれたのに、なぜかもっともっと変な気持ちになった。
胸の奥が痛いまま、変な気持ちが残って。





……それから何度その公園に行っても天使は二度と私の前には現れてくれなかった。




「ずっと一緒にごはんあげる、って言ったのに…」







せっかく見つけた天使は消えてしまったから。



























「あ、猫」
「あー、夕歩。駄目見るだけ。触るの禁止」
「…綾那、ゆかりみたい」
「後で私がゆかりに怒られるから。ほら、速く帰らないと夕飯作れないってゆかり達に怒られる」
「ご飯だけあげちゃ駄目?」
「んー、けど、今シーチキンしかない」
「綾那、猫にシーチキン駄目って知ってるんだ」
「小さな頃、教えてもらった」
「お姉さんたち?」
「いや……、たぶん違う人」
「覚えてないの?」
「微かにしか……あ」
「なに?」
「…たぶん、通りすがりの泣き虫な天使に教えてもらった気がする」
「……綾那が意外にメルヘンでちょっと驚いてる」
「メルヘンって…」
「ね、少しだけだから」
「あー、じゃあ、コンビニでキャットフード買おう」
「ありがとう」
「…………あ」
「どうしたの?」
「いや…、なんでもない……」






END
(14/01/21)

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