【1】

□Do the right thing
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するり、と。
ふわふわの猫が肩を通りすぎる。
……少し違った。
通ったのは猫じゃなくてふわふわの猫毛のかわいい人。

「恵ちゃん、まだ?」
「…もう少しだから」

答えながらこれ以前の2回の同じ問いにも全く同じように返したことに気付く。
それは仕方ない、人間というのはアルファベットと向き合っている時は余計な思考が出来なくなる。

「私の写せばいいのに」
「……本気で言ってる?」
「ううん、恵ちゃんはそんなことしないって知ってるから言ってる」

同じはずの宿題を同じように始めたはずなのに、なぜか不思議なことにゴールの瞬間は違った。
なんでだろう?
……なんて、人には得意・不得意があるくらいは承知してる。

「もう少しだから」

これで4回目の言葉を口にして、それでもふわふわと肩の辺りの猫毛が気になって集中出来ない。

「……恵ちゃん」

耳元で動く空気がくすぐったくて、鼻に届く香りに思考が奪われる。

「なに?」
「恵ちゃんのそういうところ好き」
「へ?」

思わず振り返って……それまで振り返らずに我慢していたことを今更ながらに思い出す。
人の肩に顎を乗せて私の手元を観察していたふわふわの猫毛の持ち主は眠たげな瞳で笑ってる。
……瞳はどっちかと言うと小型犬だよね。
なんて、すぐ近くにあるそれを見ながら思う。
眠そうにまばたきを繰り返す子犬の瞳、触れて撫でたくなる。
その寝顔を眺めて幸福に浸りたくなる。
見つめてるだけで笑みがこぼれる。

「……そういうところ?」

もう一度、目を逸らして。
そうしないと手元にあるこの課題は終わらない。
中途半端なまま、明日泣くはめになるのは私だから。

「ずるはしないところ。悪いことをしないところ」
「ゆーほもしないでしょ?」

顔は見ずに視線は手元の宿題に向けたまま。
それでも当然のことを言われて肩にもたれてる彼女だって同じはずだ、とつい笑ってしまった。

「……だから、私もゆーほが好き」

口にした後から耳がじわじわとじんじんと熱くなっていく。
うん……、いくら目を見ながらじゃないと言っても恥ずかしいものは恥ずかしい。

「……そこだけ?」
「ん?」

音がさっきまでと違ってたから。
首を横に向けて肩にもたれかかる彼女を見る。

「…私を好きなのはそこだけ?」
「そこだけじゃないよ」

ピンポイントに一つの部分を好きになったわけじゃない。
静馬夕歩と言う人の全てが好きだから。
だから、彼女の好きなところの一つを口にしただけ。

「そこも好きなの」

『も』に力をこめて。
−そんなの夕歩も同じでしょ?
なんて口にしてまで確認はせず照れ隠しに笑う。

「…………」
「ゆーほ?」

肩に触れていた猫毛が頬に耳に鼻先に触れる。
くすぐったくて……だけど、幸せな感触。
…一番は唇に触れる感触だけど。
触れるだけのキスはそれでも秒針が一周するくらいには長くて…。

「……宿題終わってないから」
「…うん」
「もう少しで終わるから」
「恵ちゃん、それ言うの5回目だよ?」
「急いで終わらせる」
「じゃあ……大人しく待ってる」

そう言いながらも夕歩は肩にもたれたままだから。
これは夕歩の中では邪魔をするということには入ってないみたい。

「……私の写せばいいのに」
「ゆーほ」

耳元で言うから小さく笑って、それでも急いで宿題を終わらせるために視線も手もそのまま。

「正しくないことはしたくないよ」
「……そうだね」

ふわふわ、と。
肩に乗る彼女の感触や熱に気をそらされないように精一杯頑張って。
これが終われば彼女と楽しい時間を過ごせる。

「………………………」

耳元で小さく小さく囁かれた夕歩の言葉に視線と頭を撫でることで答えて。

「知ってるから、それ」

もう一度、集中し直す。
何度も言わなくても知ってるよ。
大好きな夕歩がどんな人かくらい。













― …私はずるはしないよ、悪いことも………正しくないことも




END
(11/10/01)

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