【3】

□ゆかり・恵、まとめ
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【前髪5センチ】





今度のきっかけも在りきたりな事だった。
前髪が伸びた。




何でこうなったのか?
それは今も言ったけど、きっかけは在りきたりなこと。
前髪が伸びてきた。
全体的に切るにはもう少し伸ばしたいし。
かと言って目にかかる前髪をそのままにしてるのはうっとおしい。
自分で切ればいいんだけど……。
その、私はあまり手先が器用じゃない。
一直線にばっさりと!……なんて前髪は勘弁して欲しい。
みーちゃんも私と同じような感じだし。
夕歩に至っては…………。
うん、この話は止めよう。
神様は世の中に完璧な人間なんて作らない。
そういう事。
夕歩が書いた絵を見る時いつも、無道さんと二人で首をかしげてるなんて事は今はいらない話だから。
一度、猫を描いたのをいちじくと言っていじけられたなんて事は言う必要は無い。
(久我さんだけは夕歩の絵を見てすぐに何を書いたか判断できるのが凄い)
………ごめんなさい、話がそれた。
つまり、夕歩に髪を切ってもらうのは自分で切るのよりもずっと危険だってこと。
乙女的にも、命的にも。
久我さんに頼もうかと……、そんな話をしてた時だった。
―私が切りましょうか?
そうやってこの人が割り込んできたのは。



「どのくらい?」
「あ、あの……眉にかかるくらいで」

すぐ目の前には真剣な瞳と細い指先、それとハサミの刃。
どれも切れ味が良さそう…、なんて言うのはきっと現実逃避。
用がある、と夕歩がどこかに消えてしまったお陰で部屋には私と染谷さんの二人きり。

「目、閉じててね」
「あ、はい」

いつもは平気な髪を櫛でとかれる感触が何でか今は妙にくすぐったい。
切った髪が散らばらないようにと両手で支えた雑誌の上にしゃりしゃりと言う音と共に前髪が落ちていく。
閉じていた目を薄く開いて……真剣な瞳にまた慌てて目を閉じる。
時々、おでこに触れたり前髪をとかす指先にその度に緊張してるのがこの人バレなければいいけど。

「出来たわよ」

距離が近いから喋ると甘い香りと一緒に吐息が頬にかかる。
髪がちらばらないように気をつけながら、手渡してくれた鏡を受け取り覗き込む。
へぇっ……。

「…気にいらない?」

鏡を見たまま何も言わないから訝しく思ったのか染谷さんは問いかけてくる。

「あ、ううん。じゃなくて、上手だなー、って」

大雑把に言ったばすなのに長さまで絶妙で。

「美術部の人って手先がやっぱり器用なのかな?」
「絵を描く人間でも手先の不器用な人もいるわよ」

あ、そうなんだ。
だけど、染谷さんはそれには当てはまらないと。

「それに綾那のをよく切ってたから」

………そうか。

「それ……」

こんなに顔を間近で見るのは初めてだから。
だから、髪の毛の下から左目が見えてうわさは本当なんだと分かった。
無道さんと染谷さんが結束を解消した理由。

「…なに?」
「ううん、なんでもない。ありがとう」

染谷さんのここでの用事はこれで終わり。
だけど、髪を切るだけ切ってもらって『さっさと帰れ』と言うのもなんだし…。
息苦しいような、居心地の悪い感じ。
あまり親しくない人と話すのが苦手な私は何を話していいのかも分からない。
……だけど、この人が帰ってしまうのが惜しい私は矛盾してるのかな?

「夕歩……遅いね」
「そうね」

唯一、共通の話題はだけどすぐに終わってしまう。
聞きたいことはたくさんあったはずなのに、いざ目の前に本人がいると何も聞けなくて。

「染谷さん、帰らなくて大丈夫なの?」
「…帰らせたい?」
「じ、じゃなくて!忙しいんじゃないかなー……って」

不機嫌そうに眉間にしわを寄せるから怒らせたかな、なんて不安になる。
無道さんを筆頭にこういう顔をする人が私は苦手なのに。
久我さんみたいに何時でも笑ってる人といるとなんだか安心するのとは逆で。

「……名前」
「はい?」
「私のこと名前で呼ばないのね」
「はい?」

返事に芸が無い、なんて言われても実際に何を言ってるのか分からなかったんだから仕方ない。

「名前で呼んでくれた時、嬉しかったんだけど…」

………呼んだっけ?
そう言われればこの間の時、苗字が分からなくて咄嗟に『ゆかりさん』って呼んだような気がする。

「まあ、いいわ」

呆れたようにため息をつきながら言われて……なんだか肩身が狭い。
う……、なんかちょっとこの人怖いんですけど。

「…帰るわ」
「う、うん」

沈黙の時間がしばらく過ぎた後、ぼそりと染谷さんが呟く。
ほっとして……同時にがっかりしてるんだから、ほんとに自分の気持ちが分からない。

「あの、髪切ってくれてありがとう」
「どういたしまして」

ドア口まで送りだして、不意に染谷さんは自分の頬を指差す。

「?」
「髪の毛、ついてるわよ」
「あ…」

慌てて右手でこすると、染谷さんは苦笑してる。

「反対よ」

え…………。
手が伸びて来て……いつかのシーンの再現。

「取れた…」

前回と違うのはその指先が頬からそのまま唇に進んだこと。
ふぇっ?
人差し指と中指が唇に触れて……ほんの一瞬のことなのにそれが長く感じた。
そ、染谷……さん?
身長は変わらないはずなのに、なぜか上目使いに見つめられるとその指先を染谷さんは………そのまま自分の唇に押し付ける。

「……っ!」

な、な、な、何したの?今。
い、今、何したの!?

「お邪魔したわね」

内心の動揺に気づいてないのか、はたまた気づかないふりをしてるだけなのか、あっさりと言うと部屋を後にする。

「……うわっ」

無意識に自分の唇を押さえて……頬が熱くなってるのに気づく。

「うわ………」

あの人の意図は分からないまま、だけどこれは……。
これって………。
あつかましい考えかも知れないけど……そういうこと?
在りきたりな日常が染谷さんのせいで変化していく気がする。
それは短くなった前髪と同じくらい、しっくりと私に馴染んでいく。
だけど…………まさか……ね?













気を利かせて適当に時間を潰して自分の部屋に戻ると……ドアの前で膝を抱えてうずくまる親友がいました。
あくまで刃友じゃなくて親友。

「…何してるの?」
「聞かないで……」

膝に顔を押し付けてるから表情は見えないけど、髪の隙間から見える耳は真っ赤で。

「……恵ちゃんと何かあったの?」

とりあえず、通りすがりの人たちが変な目で見るからその格好は止めて欲しい。

「何も無いわよ。ただ……自分が恥ずかしいだけで…」

恥ずかしいって……だから、何があったの?
今のゆかりに聞いても答えてはくれそうにないけど。

「夕歩……」

この友人をどうしようかと思案してるとぼそりと名前を呼ばれる。

「なに?」
「増田さんにどんな人が好みか聞いておいて」
「……自分で聞けばよかったんじゃないの?」

話をする時間くらいたっぷりとあったはず。
それこそ愛の告白をするにのにでも十分な時間が。

「あと、メルアドとかも…」
「……だから、自分で聞けばよかったんじゃないの?」

むしろ、そんなことも聞かなかったの?と呆れてしまう。
通りすがりのクラスメートが不思議そうな顔で見てくるから、何も無いと手を振って答える。
……とりあえず今は私が恥ずかしいよ、ゆかり。

「あと、好きな色とか好きな歌とか……」

…………………えーっと。

「…ゆかり」
「……なに?」
「一体、恵ちゃんと何を話してきたの?」
「………聞きたいことはいっぱいあったんだけど」
「うん」
「……髪切るの失敗しないかしらとか緊張しちゃって」
「うん」
「髪の毛柔らかいのね、とか。眼を閉じると睫が長いのがよく分かる、とか」
「う、うん?」
「唇が柔らかそう、とか」
「……う…ん」
「…そんなことばかり考えてたら、何話したらいいのか分からなくなったの」

膝に顔を押し付けたまま小さく小さく呟く。
うん……一つだけ言えることがある。
この人重症だ。

「…ゆかり」

しゃがみこんで顔を近づけるとゆかりはやっと顔をあげてくれる。
………まだ、真っ赤だし。

「ひとつだけ恵ちゃんに伝言してあげるから」

むしろ、恵ちゃんの好みをリストアップして渡した方が早い気もするけど。
こういう場合、裏ルートでそういう事を聞くのは反則な気がするし。
ゆかりは私の言葉にしばし考えこんで………

「…とりあえず友達からお願いします、って伝えて」

………どこの純情少年?
喉元まで出かけた言葉は慌てて飲み込む。

「…分かった」

意外に逃げられなくなってるのはゆかりの方かも知れない……、なんてため息を飲み込んで思った。




ちなみに部屋に戻ってゆかりと同じような状態の恵ちゃんの相手もしたことは伝えておきます。
………もう、いっそ伝言は『恋人になってください』で良かったんじゃないの?






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