ペット
□ペットと追憶
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『安室さんとお買い物するの久しぶりだなぁ…。何買いに行くんですか?』
「まぁ、色々と……荷物持ちはお願いしますね」
『え…まさか私を連れてきた目的って』
温かい土曜日のお昼過ぎ、ほんのりと紅葉の始まっている並木道を、二人はぶらぶらと歩いていた。
「何か学校で不具合はありませんか?」
『はい!みんな優しいし、お友達もできましたよ!』
ニコニコと返事をする美奈に少しだけ安心する。どこかフ抜けている美奈が学校という場所へ、しかも一人で行かせるのは中々に不安なモノだったが、一応は馴染めているようである。
この間買ってやったばかりの麦わら帽子を身に着け、足取り軽く歩くその姿は、やはり少し浮世離れした雰囲気がある。…と思うのは“笹原財閥”への先入観だろうか。
『もうすぐ紅葉の季節ですね…。夏ももう終わりかぁ……。ん?なんですか、あれ?』
美奈の指さした先には小さな門と少しくたびれた葉っぱに囲まれた入り口。一見するとただの草村にも見える。
「あぁ…確かあれ、薔薇園ですよ。僕はまだ見たことないんですが……まぁ、もうとっくに時期は過ぎてますけど…」
ふぅん、と答えた美奈から視線を外し、前を向けばびゅう、と一際強い風があたりを襲った。
『あああーーっ!!!帽子がぁああ!!』
「え?あ、ちょ……っ!!!」
何事だと問う暇もなく、またそれを制止する暇もなく、美奈は麦わら帽子が飛んでいったであろう薔薇園の方角へ走り出した。
「あ、こんにちは、安室さん!」
追いかけようとすれば唐突にかけられる声。振り向けば立っていた蘭さんたち。一刻も早く追いかけたいが此処の関係をおざなりにするわけにもいかないか…。笑顔を取り繕い蘭さんたちに向かった。
緑の生い茂った薔薇園への通路を走り抜ける。真っ直ぐ、右、また真っ直ぐ、左…。巨大な薔薇園はまるで迷路のようだ。でも私は知っている。どこをどういけば、真ん中に噴水のある広間に出られるのか。赤ちゃんの頃から過ごしてきた薔薇園の道を、忘れる訳がない――。
甘い香りが私を包む。そう、この匂いだ…。頭まで浸透するような薔薇の匂い。通路を走り、白色のアーチを潜れば大きな広間に出た。
薔薇が咲き誇り、巨大な噴水は綺麗な水音をたてて流れていた。赤色や品種改良された、他では見られないような色までそこには咲き乱れていた。
『あ!お帽子……!』
少し奥に入ったところに麦わら帽子が引っかかっているのが見えた。あれを取りに行くんだったら、この薔薇園に突っこんでいかないと…。
『……よぉし』
棘は少し怖いけど…行くしかない。勇気を振り絞り、一歩踏み出したところで小さな少年がすっと私の前に立ち塞がった。
「ダメだ。俺が行くからオメーはそこで待ってな」
え?あなたは、と聞き返す間もなくその少年は勇敢にも薔薇園に突っこんでいった。
あの男の子…どこかで見たことが、ある…。
そう、確か…あれは私も小さかった頃で…まだ、ママが…。
私がそんなことを夢想している間にも少年は必死に麦わら帽子を取ろうとしていた。甘い香りが頭を支配する。
『もういいよ!やめて!危ないよ!怪我しちゃうよ!!』
自分はなにも言っていないはずなのに…自分の声が聞こえた。いや、正確に言うと今より少し高く、あどけない私の…。
『――!!ほっぺたから血でてる…っ!――!』
「こんくらいヘーキだっての!いいから黙って…うわぁ!」
『――!!』
バランスを崩して薔薇の中に埋もれた少年を、小さな私は涙を浮かべて探しに行った。私もその後に続く。
『――!!』
小さな私は目を潤ませて少年を揺さぶっている。起きて、起きて――。その少年はぱっと目を覚まして二カっと笑って見せた。
途端に溢れる安堵の溜息。もう、と怒る私に少年は笑ってこう言った。
「バーロー、俺がこんくらいでへこたれるかってーの!」
そして一体どこに隠していたのかぱっと麦わら帽子を取り出して幼い私の頭にそっと被せた。
『もう…っ!心配したんだからね!』
「悪ィ悪いィ…ンな顔すんなって…」
『あ、もう…血が出てる…』
小さな私はごそごそとポケットを漁って絆創膏を取り出した。それを剥がしながら、じっと少年の方を見つめる。
『――は凄いなぁ…。私は駄目だ…怖くて、とてもあんな棘の中に飛び込んでいけないや…』
「…でもよ、怖くても、辛くても、踏み出さなきゃ進めねーだろ?進まなきゃ景色は変わらねーし手に入るもんも手に入らなくなっちまう…」
それとかな。少年は麦わら帽子をぽんと叩いてまた笑った。
小さな私はすっと目を細めて少年の頬にそっと絆創膏を張り付けた。
『強いんだね……』
くらりと視界が歪んだ。幼い私の姿がだんだんと遠ざかる。薔薇の香りがする。甘い香りがする。意識が遠ざかってゆく……。
ふと目が覚めて、目に入ったのはぱたぱたと揺れる麦わら帽子だった。空に吸い込まれるように高らかに蝉の声が鳴り響いていた。
重い身体を起こす。私はベンチで寝ていたらしかった。隣には安室さんの姿があった。
「大丈夫かい?少し日に当たりすぎたかな…」
安室さんは膝の上で私を寝かし、麦わら帽子で仰いでくれていたようだ。目をぱちくりさせてあたりを見渡す。
そこには先ほどまでのような巨大な薔薇園は無かった。とっくに旬の過ぎた薔薇はしゅん、と蕾を隠しうなだれていた。小さな広間に小さな噴水とは呼べない程の水の出す置物はからからに乾いていた。
『あの…私、一体…』
「覚えてないんですか?麦わら帽子が飛んでいってそれを追いかけて…僕が追いついたころにはもう倒れていたけど…」
『お、男の子は?小さな男の子がいませんでした?』
「男の子…?さあ、他に人影はいなかったけど…」
じゃあ、さっきまでのアレは、夢…?
そう思えば思うほど、夢とは不確かなもので…覚えていたつもりでも、少しずつ思い出せなくなっていく。
確か…私は…薔薇園を、走って…。
あれはこんな小さな薔薇園じゃなくて…。
……私の、家の薔薇園?
そうだ、此処は日本なんだ。じゃあやっぱりさっきまでのは夢?あの男の子は誰だろう?どこかで見たような気もするのに…思い出せない。なんて名前だったっけ?
『あ、安室さん、腕…怪我して…』
「ん?あぁ…さっきこれを中に取りにいったときにできたのかな」
『え?じゃあ、この帽子、安室さんが取りに行ってくれたんですか?』
「まぁね。取りに行けない距離じゃなかったから…」
あ、と思いつき、ポケットから絆創膏を取り出す。
『ごめんなさい…。ありがとうございます…しん――ッ!?』
思わず口から飛び出しかけた言葉に驚いてそっと口に手をやる。私、今…何を…誰の名前を呼ぼうとしたんだろう?
「どうかしました?」
『あ…いや……』
なんだか少し気まずくなってぺたりとそれを安室さんの腕に張り付ける。麦わら帽子を被り直し、ぱっと腰をあげる。
「大丈夫ですか?なんならおんぶでも…」
『だっ大丈夫です!今日はなんか歩きたい気分なんで!!!』
今まで何も思ったことは無かったのに、少し感じた羞恥心。それを誤魔化すように、落ちてきた陽に照らされた枯れた薔薇園の道を、帰り道へと歩き出した。
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