ペット

□ペットと昔話T
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『…………あれ?』


学校からの帰り道、美奈は歩道の真ん中で立ちすくんでいた。


今、何か……。


思わず振り返るが、思い浮かんだその人の姿は無い。


気のせいかな?

今、確かに……。


ふう、と息を一つ吐いて歩き出す。


「先生」がすぐ傍を歩いたような…そんな気がしたんだけど。


ううん?と首を少し傾げ、家へと帰っている途中、携帯電話が鳴った。



『はいー、安室さん?どうしたんですか?』


「美奈?今どこですか?」


『え?今?えっと…家の近くのスーパーの前を歩いて…あっ』


安室さんからの電話に対応しているとき、引き寄せられるように…ピンク色の、背の高い…男の人の姿が目に入った。

―あれ、あの人、前もどこかで……。

考えるより先に、身体がその人のあとを追う。不思議なことに、その男の人はただふらりと歩いているように見えるのに、ふと気を抜いた瞬間、視界からその存在を消してしまうのだ。

もちろん美奈は電話の存在も忘れて、無我夢中でその人を追っていた。


「美奈…?美奈っ!?何かあったんですか?もしもしっ!」


―電話の向こう側で、名前を呼ばれているとも知らずに…。













『…っはぁ、はぁ…っ』


見逃さないように、その人の後姿だけを見つめて、人波をくぐりぬけ、どのくらい走っただろうか。

美奈は気が付けばくたびれた廃工場に来ていた。


『…っ、もしもーし、ピンク色のお兄さん?』


恐怖心が無いと言えば嘘になるが此処まで来て引き返すわけにもいかなかった。
恐る恐る重いドアを開けて、中に入る。

中は薄暗く、所々穴の開いた天井から光が漏れている程度で電気らしい灯りは無かった。
埃っぽい空気に思わず咳き込みながら、すう、と息を大きく吸った。


『…先生。いるんでしょ…?出てきて…先生…!』


なんとか絞り出した声。久しぶりに思い出したこの感覚。今でも…彼がそこにいると思うだけで、心が震えた。

カツン、と足音を響かせて黒い影が現れる。光の差すほうへ、一歩ずつ近づいてくる。

ピンク色の髪が、ふわりと揺れた。


「……………」


男は何も言わず、表情すら何も浮かべていなかった。
まるで何か、被ってでもいるように、無表情で無機質な瞳をこちらに向けていた。

それでも美奈には、確信に近いものがあった。


『やっと…会えた…。秀一先生…!』


無機質だった瞳が、一瞬、揺れ、そして、微笑んだ。


「俺が赤井秀一だと…よく分かったな、美奈」













―一方で―


「美奈っ!?もしもしっ!!」


電話が途中で途切れた安室は一人、冷や汗を浮かべていた。

何かがあったのだ。

まさか…もう追手に…。

最悪の考えが浮かび、思わず頭を横に振る。

落ち着け…、美奈が彼女の家の追手に捕まったと決めつけるのはまだ早すぎる…。
電話の様子では、誰かに見つかったような感じではなかった。どちらかというと何かに気を取られていたような…。

あの天然お嬢様だ。「綺麗な蝶々を追いかけていたらいつの間にか隣町に来ていました」なんて言ってもおかしくはない。

それでも…なにか、嫌な予感がするのは…気のせいなのだろうか。

…とにかく、早く探しに行かないと。

安室はぎゅっと携帯だけを握りしめ、祈るような気持ちで部屋を飛び出した。











『やっぱり先生だったんだね』


最早弾力の失くしたくすんだ赤色のソファーに、美奈と沖矢昴―もとい赤井秀一は仲良く座っていた。


「何故俺が分かった?」


『匂い!…かな?あと雰囲気とか…』


昔と変わらない笑顔を浮かべる美奈に、秀一はふっと笑みを浮かべた。


「何故日本にいる?家はどうした?」


『………逃げてきたんだ。…私ね、日本に…お見合いしにきたの』


「お見合い?なんでお前が…アイツはどうした?」


『…お姉ちゃんのこと?知らないんだ…。まぁ、パパはそういうの隠すの得意みたいだし…仕方ないか。お姉ちゃん、死んじゃったんだ……』


「死んだ…だと?」


『ん…。秀一先生たちが屋敷を出て、すぐに病気が悪化してね…』


「…そうか。だからその後釜にお前が…。でもよく逃げてきたな。お前にそんな勇気があるとは思わなかった」


美奈はちらりと秀一を盗み見た。声も顔も違うけれど、何も変わってない。私、やっぱり……。


『…ずっとね、パパに、お家に、従って生きていくって…思ってた。正直、あのお家から出られるのなら…好きじゃない人と結婚してもいい、って思った。でもね…』


す、と息を吸い込む。膝の上で結んだ拳が僅かに震えている。


『……。思い出したんだ。お前はそれでいいのか、って言ってくれた男の子のことを。それを思い出した瞬間にね、もう、我慢できなくなったの…。どうしてだか分かる?』


真っ直ぐ先生のことを見つめる。


『…先生のことが…好きだったからだよ』


静まり返った空間の中、剥がれたトタンが屋根を叩く音だけが響いていた。






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