ペット

□ペットと昔話V
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容赦なく時は刻み、既に日没は目の前で…。


穴の開いた壁から覗く紅い夕陽と刻んでいく腕時計を交互に見ながら、美奈はなんとか溜息を押し殺した。

もう、もう…17時まであと10分を切ってる…。


安室さん…。くるよ、ね…。



小さな隙間から見えた夕陽はとても綺麗で、悲しくて…。

閉ざされたその夕陽は、私に昔のことを思い出させた。

もう、あまり思い出したくない、過去。


私はいつも、部屋に取り付けられた小さな窓から沈んでいく夕陽を見ていた。

そして、大きな庭を通り過ぎて帰っていく秀一先生たちの姿も。


寂しかった。辛かった。

閉ざされた私の世界で、先生たちだけが唯一外に繋がっていたのに。
綺麗な夕陽は、沈むと同時に先生たちを連れ去ってしまうから。

夜がくる。

つまらない。閉じ込められ、大きな足音が聞こえたら、私はいつも震えあがって、ベッドの中に隠れて…。

そう、足音が大きければ大きいほど、あの人は…。



「こないな」


静かに漂っていた空気を揺らしたのは、昔とは違う秀一先生の声だった。

ハッと我に返り、腕時計を見る。―17時5分前。私と先生は工場の二階の、一階が見渡せるところにいるけれど、誰かが入ってくる様子はない。


「やはりあの男、お前を利用して…」


『違うよ!』


意外にも出た声が大きくて、自分に少し驚いた。


『安室さんは…悪い人じゃないもん。学校にも連れてってくれたし、花火だって連れて行ってくれたもん…!』


「悪い人じゃなくても…此処を割り出せない男にお前を任せる訳には…」


『安室さんは…くるよ。絶対に…』


自分がどうしてそんなに躍起になっているのか分からなかったが、驚くほど素直に口から言葉がでた。


『先生、探偵って知ってる?安室さんね、名探偵なんだよ。私みたいなのが考えてることなんてすぐバレちゃうし…』


―もしかして、その数学の先生のこと好きだったんですか?


不意に思い出した安室さんの言葉。なんだか急に恥ずかしくなって、言葉に詰まってしまう。


「どうした?」


急に黙り込んでしまった私を不思議そうに見る先生から目を逸らして言葉を続ける。


『とっとにかくっ!安室さんはすごいんですっ!先生なんかが考えたヒントがあれば、こんな場所すぐに…』


刹那、ぎいい、と重苦しい音を立てて、一階の入り口が開く。

まさか。飛び跳ねるように一階を覗き込む。紅い夕陽をバックに工場に入ってきたのは―紛れもなく、息を切らした安室さんで…。

一階に駆け出そうとすれば、ぱっと左手首を掴まれた。


『先生?』


「約束は約束だ。後はお前の好きにしろ。それから、あの男にはこれを渡して、お前は今日のことは口外するな」


そう言って先生は上着の内ポケットから、白い封筒を取り出した。そしてそれを私に手渡す。


『先生はいかないの?』


「あぁ…俺は…あの男に会う訳にはいかないからな」


先生の無表情な瞳に、紅の夕陽が差した。なんだか少し、寂しそうに見えたのは夕陽のせいだろうか。


『…もう、会えない?』


「……会えるさ。絶対に…。美奈」


『……………え…?』












カンカン、と音を立てて階段を駆けあがる。街中を走り回った後、更にここまで走ってきたのだから、流石に息も絶え絶えだったがそんなことを気にしている余裕も無い。

あの電話から聞こえた音。僕の推理が正しければ、美奈は此処にいるはず。…いや、此処にいてくれ…美奈、美奈…!



一気に上まで上り、初めに目に入ったのは色の褪せた赤いソファー。そしてそこに、少々虚ろな瞳で座っている…。


「美奈っ!!」


大きな声で名前を呼んだ。そこで漸く彼女は僕が此処にいることに気が付いた様子だった。


『あ、むろさん…』


美奈の近くに駆け寄って思わず抱き寄せる。


「無事で…良かった……」


ほ、とやっと一息を吐く。美奈は僕の肩を押して小さく呟いた。


『だ、大丈夫…ですから』


身体を離し、美奈を見る。特に目立った外傷はない。


「本当に…無事で良かった…。何があったんです?」


美奈は無言で封筒を僕に手渡した。それを開封し、中に目を通す。

内容は大したものでは無かった。彼女を連れ去ったのは家の執事の一人であること。その執事は彼女と仲が良く、日本の生活を楽しんでいる彼女を見ると、とても無理矢理連れて帰れなかったこと。だからこのことは隠密にして欲しい等ということが無機質な文字で綴られていた。

それでもなんとなく、それらは全て嘘であると勘で感じていた。勿論美奈は口止めされているだろうし確かめる術はないのだが。


それに…


「フザけてるな……」


『え?』


「いや、君のことじゃないよ」


手紙の最後に書かれた、P.Sの文字。
その後には、「彼女のことを」と書かれていた。その言葉に続く文字は、どこにも見当たらなかった。


『ね、安室さん…。どうして此処が分かったの?』


「え?あぁ…音だよ。君からの電話…多分君がかけたんじゃないんだろうけど…そこから、川の音と電車の音が聞こえたんだ。だから…」


『…やっぱり、安室さんは名探偵だね!私ね、ちゃんと信じてたよ…安室さんなら絶対に来てくれるって』


「まぁ正直…途中で帰ろうかと思いましたけどね」


『えぇええ!?諦めてたの!?』


「でも今ここで君を手放したら…今までしてきた入学手続きとか全部無駄になっちゃうじゃないですか。それにまだお金、返してもらってないし。あと…」


『お、お金のこと忘れてたっ!!ちゃ、ちゃんと返しますからね!忘れてませんから!』


「今忘れてたって言ったじゃないですか…」


隣できゃあきゃあとはしゃぐ美奈を見て頬を緩める。良かった。彼女は此処にちゃんといる。

そう、厄介な娘だと分かっていながら…それでも此処に来たのは、この無邪気な笑顔が僕にとって、かけがえのないものになっていると気が付いたから。


もちろんそんなこと…言ってあげないけどね。



「ところで美奈…なんだかさっきから顔、赤くないですか?」


『えっ!!えぇっ!?ゆ、夕陽のせいですよきっと…』


「それに何回も口元を気にしてるし…。怪我でも?」


『あ、あぁ〜え、っと…く、口を塞がれてたんで…な、何か違和感があるなぁって…』


美奈の口元を見てみるが、怪我をした様子はない。しどろもどろになりながら美奈はばっと僕から身体を離した。


『だっだだだ、大丈夫ですっ!!!か、帰りましょっ!!』


すくりとソファーから立ち上がって階段に向かって歩く。そしてあっと声をあげて振り返り、太陽のような笑みを浮かべて言った。


『安室さん、ありがとうございましたっ!』


全てが解決した訳ではないけれど。
それでも今日のところはこれでいいか、と。

ふっと笑ってどういたしまして、と呟き、彼女と並んでゆっくりと階段を降りて行った。









その光景に、笑みを浮かべたのは二人だけではなかった。


彼女のことを、宜しく頼む。


そう、最後まで書けなかった辺り、俺もまだまだ、だな。

少し自嘲的に笑い、人気のなくなった二階のソファーに腰掛ける。

煙草に火を点け、ゆらゆらと漂う煙を仰ぎながら、漸く一服。

なにも気を張っていたのはあの男だけではないのだ。


今日のところはお前の勝ちにしてやるか。

だが、まだこちらにもカードは残っている。


俺のことを追いかけてきた、健気なお嬢様。
そんなことを言われて、モノにしたくないと思う男がこの世にいるのだろうか?

彼女は日本を、あの男を選んだけれど、

あの瞬間の、彼女の驚いた表情といったら…本当に溜まらない。


まだまだ、彼女を簡単に渡したりはしない。


暗くなった道を仲良く帰る二人を小窓から見下ろしながら、秀一はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。







150114

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