ペット

□恋のお勉強をしましょう
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チュン…チュン…


『…んんー……』


ここにきて初めてひとりで迎えた朝だった。
いつもだったらリビングのソファーで寝続ける私を安室さんが起こしてくれていた。

だけど今日は違う。第一私はソファーで寝ずにタンスの置いてある別室で眠ったんだから。

顔…合わせるの、ヤだな…。


昨日の一件を思い出して再び顔に熱が集まってくるのを感じる。

まだ準備するには少し早い。
だけどよく眠れなくて目が覚めてしまっただけに、もう一度眠る気にもなれなかった。

リビングからは既に物音が聞こえている。
安室さんはもう起きてるんだろう。


…でも、顔合わせない訳にはいかないよね…。


ふぅ、と一息ついてからそっと扉に手をかけた。


がちゃり、と静かに扉を開けてリビングに入る。


「おはよう。今日は随分早いんだね」


『あ、う…あ、…おはよう、ございます』


「今から食パン焼くから先に顔を洗っておいで」


『は…はい…』


逃げるようにリビングを飛び出して洗面所に向かう。

なんか…安室さん、いつも通り…。

いつも通り過ぎて、少し怖くなるくらいに。

やっぱり、安室さんは大人なんだな、と鏡で自分の顔を見ながら思う。


安室さんはドキドキしたりしないの?

リビングに戻り、朝食を作っている背中を見ながら思う。

ん…ドキドキ?

ふと自分の心臓に手をあてて考えてみる。

私は…すごく、今もまだドキドキしてる。
もう、昨日の事は終わったのに…安室さんはもう、いつも通りなのに…それなのに、安室さんの姿が視界に入るだけで心臓が壊れるんじゃないかってくらいドキドキしてる…。

先生の時とは違う…。先生が…私の家庭教師をしてたときも…ドキドキはしてたと思う、けど。

だけどなんだかもっとこう…早く会いたくて。早く先生が見てる世界を知りたくて…。


そうだ、今は…恥ずかしいんだ。

安室さんの視線ひとつひとつがどうしようもなく恥ずかしい。
それは…きっと昨日の一件があったからに間違いないんだろうけど。


「できましたよ、…美奈?」


『えっ!?あ、い、ただき、ます…』


いつの間にか目の前に置かれていた朝食。焼きあがったパンに半熟の目玉焼き。
きっとそれはこの上ない幸せ。安室さんは私とは違って普通の人なのに…どうしてここまで良くしてくれるんだろう。

どうして…どうして?
ドキドキ、鼓動がまた速くなるのを感じて、誤魔化すように食パンを咥えこんだ。


「あ…今日、ちょっと帰りが遅くなるんだけど…夜ご飯のお金渡すから、一人で食べててくれるかい?悪いね」


『あ、はい…どこか…いくんですか?』


「うん、ちょっと調査の依頼がはいってね。…だから少し忙しくなるかも。なにかあったらすぐに連絡するんだよ。いいね?」


『は…はぁ…。………。あ、わ、私もう行かなくちゃ…じゃ、あの…行ってきます』


一瞬訪れた沈黙に耐え切れず、逃げるように部屋を飛び出す。安室さんは一瞬驚いたように返事を躊躇ったが、すぐにいってらっしゃい、と答えてくれた。







随分と早く来てしまった学校は、鍵こそ開いていたがまだ誰も来ていなかった。
しんと静まり返った教室。窓を開け、外の世界をのぞいてみる。

外からは朝練をしている野球部の物音が静かに響いていた。
カキン、と時折バットがボールを捉える音が妙に心地よい。

……ずっと憧れていた生活を今しているんだ。
窓枠にもたれ掛りながらそんなことを思い浮かべる。

毎日すごく慌ただしくて…楽しくて。
ずっと憧れてた。学校にいって、みんなでお弁当食べたりして。

それもこれも…秀一先生から聞いてたんだっけ。

日本の学校はこんなんで行事もたくさんあって、って。それをあの一見怖そうな先生が言うもんだから余計興味をそそられて、ワクワクしていた。

先生が好きだった。先生は閉じ込められていた私の、唯一外に繋がっている存在だった。

…じゃあ、安室さんは私の一体何なんだろう?


私は自由だ。私は…安室さんのこと…。


「あれ?美奈ちゃん!おはよう!今日は早いんだね!」


「寝坊助が早起きしたなんて珍しいこともあるもんだねー、おはよ」


「今日はボクたちが一番乗りだと思ったんだけどなー」


『あ、おはよう、蘭ちゃん、園子ちゃん…世良ちゃんも。3人とも随分早いね…』


「あったりまえじゃないっ!なんてって今晩キッド様がこの学校にくるんだから!今晩来るってことは朝からなにか仕掛けてくるかもしれないじゃなーいっ!…ってアンタもその口できたんじゃないの?」


『え?私はたまたま…って、どうして怪盗キッドが…?』


「なんかこの学校に隠された秘宝ってのがあるらしいよ?まー、こんな学校にそんなものが本当にあるかどうかは分からないけど、ボクとしては自分のテリトリーにわざわざあの大泥棒が飛び込んでくる訳だから、ひっ捕まえるにはこの上ないチャンスだと思ってるんだけどね」


「誰よりも早くキッド様を捕まえるのはこの園子様なんだから!邪魔しないでよね!!あの不敵な笑み…本当に痺れるわぁ…」


『そ…園子ちゃんって京極さんって方とお付き合いしてるんじゃなかったっけ…?』


「それとこれは別よ別っ!浮気じゃないからねっ!キッド様のことはもちろん大大大好きだけど…」


『じゃあやっぱり浮気なんじゃ…」


「違うってば!…うーん、何て言ったらいいのかなぁ…キッド様はそうね…憧れよ、憧れ!」


『憧れ?…それは好きとは違うの?』


「そーねェ…例えば好きと愛してるの違いかな?キッド様のことは大好きだけど真さんのことは愛…して…」


「あーっ!!園子顔真っ赤になってるっ!」


「う、うるさいわね!暑いのよ教室が!そーいう蘭だって新一君の事愛しちゃってるんでしょ?」


「わっ私はアイツとはそんなんじゃ…!」


「あはは、蘭ちゃんも顔赤くなってるよ!」


きゃあきゃあとはしゃぎ始めた3人を他所に、ぼんやりと考え込んでいた。

好きと愛してるの違い?

そんなの分かるものなの?それは別のものなの?

いつの間にか人で溢れている教室をそっと抜け出す。

ふらふらと廊下を歩いていると、何か糸のようなものに躓いて転んでしまった。


『あいたたた…んー、なによぉ…。ん?なにこれ…ワイヤー…?』


「おやおや?この廊下の前の教室は今日は誰も使わないはずだったのにとんだ仔猫ちゃんが迷い込んでしまったようですね?」


『…だれ?』


ふ、と目の前に現れたのは、帝丹高校の制服を身に纏った見慣れない男子高校生。
無駄のない動きで転んだ私に手を差し伸べてくる。随分ギザな高校生である。まるでお屋敷にいた執事みたい、と内心微笑んだ。


『どうもありがとう。あなたはこんなところで何を…』


「差し伸べられた手に慣れている…貴女は本当にどこかのお嬢様みたいだ」


お嬢様とは違うと思うけど。
そう?と微笑んで制服をぱんぱん、と払う。


「随分難しい顔をしていらっしゃる…。何か悩み事でも?」


『そんなこと分かるの?すごいねぇ。安室さんみたい!』


「貴女の考えていることは全て顔に書いてあります。観察することはマジシャンの第一歩ですよ」


『マジシャン?…なんだかよく分からないけど…』


「どうです、是非私に悩みをぶつけてみては。どうせ貴女とこうしてゆっくりお話しできるのもこの時間限り。貴女が吐き出すだけ吐き出してしまえば後はすべて忘れて差し上げますから」


普段ならこんな会って間もない男の子とこんな風に話したりはしない。
でも同じ制服、そして話し方のせいだろう。いいか、と誰かに聞いてみたかった質問を投げつけた。


『……好きと、憧れは、違うの?』


その男の子はキョトンとした顔をした。余裕ぶってる顔から初めて動いた表情だった。

そしてふふふ、とまた妖しげに笑いだす。


「違う…。そうですね…一概に全く別物とも言い切れないのですが。しかし…貴女は貴女の言うその…安室さん、という方を愛しているのでしょう…間違いなく、ね」


『わ、私が…安室さんのこと…?なんでそんなこと分かるの?』


目を見れば分かります。とまたその男の子は微笑んだ。そこで静かな廊下に予鈴が鳴り響く。


「もう時間のようですね…もう少し貴女とお話していたかったのですが…」


『あ、うん…もう行かなくちゃ…って、あなたは…?』


「私はもう少しここにいます。ああ、最後にひとつだけ…。気持ちというのは、声に出さなくても伝わる時もありますが…声に出さなければいけない時だってあります。自分の気持ちから逃げないで、貴女の心から目を逸らしてはいけません。…手遅れになってからでは遅いのですよ、マドモアゼル?」


『…ホントにギザっちい人ね。…だけどありがとう…誰かに聞いてほしかったの。じゃあ、さよなら。またどこかで会えるといいね…』


そう言って、自分の教室へ向かおうと足を踏み出した。そこで、ふ、と。


『…あなた、もしかして…怪盗キッド?』


振り返った時、もうその男子高校生はいなくなっていた。





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