ペット
□持つべきものは友でしょう
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好きと憧れの違い―――
授業が始まってからも、美奈はあの透き通った冷涼な少年の声――怪盗キッドの声を、またその言葉を忘れられないでいた。
…安室さん、という方を愛していらっしゃるのでしょう…。
私…が、安室さんを愛して、る?
そっとあの優しい横顔を思い浮かべてみる。いつも優しい瞳をしていて、私を見守っていてくれている…安室さん。
だけどたまにその優しい瞳にスイッチが入ったかのように鋭い瞳になる、あの顔も堪らなく…好きだ。
好き…、好き。
だけど、先生のときとはまた違う。
あの頃よりももっと苦しくて、ドキドキして、こう…胸がギュッとしまって息ができなくなるような…そんな感覚。
「では、ここの音読と日本語訳を…笹原さん」
『…あっ、は、はい!……えっと…い、いつしかと初山藍の色に出でて思ひそめつる程をみせばや……いつになったら、山藍の初草で染めた色のようにはっきりと…初恋の思いのほどを…あの人に伝えることができるだろうか』
「宜しい。この歌の文法は……」
初恋……か。
きらきら、きらきらと輝いていただけのあの頃。
ただ、心を躍らして…煌めくことだけが恋だと思っていた…あの頃。
今の私はどうだろう?今の私は知ってる…恋の辛さを、苦さを。それなのに…。
安室さんへの気持ちがあやふやなのは…逃げてるから?
だけど…でも、安室さんへの気持ちに素直になればなろうとするほど……。
…あの日のキスが。
どうしたらいいんだろう、誰か…教えてよ…。……先生。
「6回ね」
『………へ?』
「この授業が始まってから美奈は6回目の溜息を吐いたわ!」
「ちょっと園子…なに観察してるのよ!」
「へえ、すごいなァ!君は意外と探偵に向いてるかもよ?」
「あら私はもう名探偵よ!こんなことくらいへでもないわ!…それで?一体誰にハートを奪われちゃってんのよ?」
『は、ハートって…』
「今更もう誤魔化しきれないって!ほら!恋の悩みはこの鈴木園子様にドーンと…」
『………わかんない、や』
「…美奈ちゃん?」
『……なんだろう…、昔好きだった人が…ずっと…心の中にいるの…』
ぎゅ、と心臓を抑えてみる。
はっとして皆の顔を見渡すと、慌てたような表情で私を見ていた。
『ご、ごめん変なこと言って…』
「あ、いや、その…なんかゴメン…」
『え?どうして園子が謝るの…』
「なんで泣いてんだよ…?そんな辛いのか…?」
『え………』
泣いている?…誰が?
不意に手の甲におちた水の滴。
私…泣いてるの?
「美奈ちゃ…」
『ご、ごめん!!本当なんでもないの!!どうしちゃったんだろ…あれ、止まんない…なんで……』
止めようとしても、次から次へと流れていく涙。
蘭ちゃんがそっと背中を撫でてくれて…それが余計に涙を煽った。
「無理すんなよ…吐き出せるモンなら吐き出しちゃえよ」
『うん…うん……ありがと……』
「美奈ちゃんは…その…昔好きだった人を忘れたいの?」
『………………』
「…それとも、その人と結ばれたいの?」
結ばれる?…私と秀一先生が?
…違う、私は…私は。
『……忘れたい訳じゃない…でも…結ばれたい訳でもない……私……』
「じゃあさ!」
明るい世良ちゃんの声が響く。
「その人にもう一回会ってみたらどうだ?そんんでちゃんと告白するなりなんなりしたらいいじゃないか!意外と本人を目の前にしたら昔と気持ちが変わってるかもよ?」
『……………』
秀一先生に…会う…。
会ってどうなる?私は…先生に何を伝えればいいの?
だけど…だけど、世良ちゃんの言う通り…ただ、先生に会ってみれば…何か変わるのかもしれない。
『う…ん……。そ…だね。わた、し…会って…みようか、な。…しゅ…先生、に』
嗚咽を堪えながら、途切れ途切れに文字を紡ぐ。
いつまでも…逃げてちゃいけないよね。
『…行ってくる』
「……え?美奈ちゃん?」
『…気持ちが変わらないうちに行ってくる!』
「えぇ!?今から!?まだ授業中じゃない!」
『えへへ、大丈夫大丈夫!ここ扉と近いし…あの先生結構スキ多いし!』
「アンタ…意外と大物よね」
『…ありがとう、みんな。じゃあ、行ってくるね』
「また結果報告しなさいよ!」
「気をつけてね。話ならいつでも聞くし…」
「……なぁ、美奈…」
『ん?どうしたの?』
2人が不安と期待を織り交ぜた瞳で見つめてくる中、何故が世良ちゃんだけは考え事をしている表情。
「…いや、なんでもない。気をつけてな。ケリつけてきなよ?」
『うん!ありがと…あ、じゃあ…また明日ね!』
古典の先生が黒板に何かを長々と書き出したのを横目に、こっそりと教室を飛び出す。
お昼過ぎの学校の廊下は、キラキラとまだ明るい陽を受けて輝いていた。
ケリ…つけなくちゃ。ね。
強い決心を胸に抱きながら、そっと静かに学校を飛び出した。
「…世良さん?美奈ちゃんのことが心配なの?」
「あぁ…いや…。…それもあるんだけど」
“秀一先生”
彼女がそう言ったような気がしたのは…気のせいだろうか。
でももう秀兄は……。
聞き間違い、か、人違い…だな。
ホッと空に小さな息を吐いてノートに意識を戻す。
どこまでも青い空には、いつの間にか不機嫌そうな入道雲がかかっていた。
150721