ペット
□蒼と入道雲
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蒼々と広がる空に、不穏にかかる入道雲。
そんな夏らしい大空を背に、美奈は走り回っていた。
……先生に会う、って飛び出したのはいいものの。
先生って普段どこにいるんだろう…。
汗の玉が顔を滑り落ち、いったん休憩しようと公園のベンチへ。
夏の終わりと言っても、日中はまだまだ暑い。
『ふぅー……アイス食べたい…』
手で顔を扇ぎながらごろんと背もたれに体を預ける。
「アイスが食べたいなら私の家にきませんか?他にケーキとお菓子も置いてありますが…」
『っえ!?び、びっくりしたぁ…ってもう…探したんだから!先生!』
「ホー…私を?何故?」
『何故って…それは…その』
「まぁいい…こんなところで話していると目立つ…ついて来い」
『え。あ、うん…』
先生のあとをちょこちょことついていくと、たどり着いたのは見覚えのあるような大きな豪邸。
思わず見上げてしまうような屋敷に、美奈はその小さな口をめいいっぱい大きく広げた。
『せ、先生…こ、こんなところに住んでるの…?』
「お前の家に比べたら大した大きさでもないだろ…それにここは俺の家じゃない。工藤優作の名を聞いたことはないか?」
『工藤……』
工藤……工藤。なんだか聞いたことがあるような、ないような。
それにこのお屋敷も…見たことがあるような…ないような。
『有名なの?その人…』
「あぁ…世界的にも有名な小説家だよ。今はその人の家を借りているんだ」
『ふぅん…』
相変わらず先生の顔の広さは謎すぎる。
まぁでもそれほど有名な人なら名前に聞き覚えがあるような気がするのも納得できるし、お屋敷だって、テレビか何かで見たのかもしれない。
リビングに通され、フカフカのソファーに腰を下ろす。
やはり見覚えのあるようなリビングをきょろきょろしていると、目の前に紅茶とアイスクリームを出された。
『やったぁ!いただきまーす!』
一口、スプーンで掬い取り、口の中に放り込む。冷たくて甘い味が口内に広がる。
『ん〜!おいしい!』
「…それで?学校をサボってまで俺に会いにきた訳は?」
『う…その、ご、ごめんなさい…』
学校をサボって、の部分が妙に刺々しく聞こえて思わず俯いてしまう。どうして先生に会いに来たかって…それは…その。
『あの…大した用じゃないの…だけど』
まさか先生への気持ちを確かめにきました、とは言えず。
『えっと…、先生に…会いたかった、から』
「俺に?」
すっと立ち上がった先生が近づいてくる。
昔とは違う、先生の顔が視界いっぱいにうつる。
それでも昔と変わらない、鋭い瞳と目が合ったとき、心の中のわだかまりがさらさらと崩れ落ちていくような感覚を覚えた。
あぁ、きっと。
世良ちゃんが、園子ちゃんが、蘭ちゃんが、…怪盗キッドが言っていたのは…こういうこと。
的確に、先生と安室さんへの気持ちの違いを言う事なんてできないけれど。
だけどそれはもう、気づいてしまったら何よりも明確で分かりやすい。
私はやっぱり…安室さんのことが、好きなんだ。
「……美奈?」
『……ごめんね、先生』
ゆっくりと、静かに視線を落とす。
紅茶に浮かんでいるレモンを見るとはなしに、なんとなく見つめてみる。
『私ね…。先生の事…好きなんだと思ってた。…だけど、…気づいたの。先生のことは好きだけど…それは…多分、先生の事…憧れてたんだと思う』
「………」
『先生はね!閉じ込められてた私に…外の世界をなぁんにも知らない私に、いっぱいいっぱい色んなこと教えてくれたでしょ。私はいつもその話を聞くのが好きだったの。外には出られなかったけど…先生の話を聞くだけで、ホントに色んなところにお出かけしてるような気分になれたから…』
ぷかぷかと、紅茶に浮かんだレモンが揺れている。
『…だけど、好き、ってそういうことだけじゃない気がして。本当は…今日、それを確かめにきたの。いつまでもこのままじゃいけない気がして…。だからもう…私、行かなくちゃ。せっかく紅茶、淹れてくれたのに…飲まなくてごめんなさい』
ゆっくりとソファーから立ち上がり、入り口の方に向かおうとする。
『先生…また、会いにきてもいい?』
何も言わない先生。何も浮かび上がらない顔。
『先生?どうし…い…っ!』
ぐっと強く手首を掴まれ、思わず身を竦める。
「……だったら、お前は…」
『せん、せい…?』
「あの日のキスにも…何も感じないというのか?」
そのまま引き寄せられ、ぐいっと頬に手を添えられる。廃工場での出来事と重なり、思わず身体を捩って逃げ出した。
『何も…って…!何も…感じない…訳じゃないけど…っ!』
唇の感触がフラッシュバックしてばっと口元を押さえる。全く何も感じないなんて。心が動かされなかったか、なんて。無いと言えば嘘になるけれど。
『…じゃぁ…どうして…どうして、先生は…私に…あんなこと、したの…っ』
「…お前のことが好きだから、だよ」
思わぬ台詞にぱっと先生の顔を見る。相変わらずなにも動じていない瞳に困惑する。
「ただの教え子…もっと言えば、俺からしたらお前はあの屋敷に潜入するための口実でしかなかった」
『………っ』
「だが…いや、だからこそ、俺はお前のその純粋さに惹かれていたのかもしれない。…俺達がFBIだということがバレて、お前の屋敷から追い出された後も、みんなお前のことを案じていたよ…もちろん俺を含めてな」
先生がゆったりとした足取りでリビングから玄関に続く扉の方に向かう。
「そしてお前は…いつのまにか大きくなって、こんなところにまでやってきた。初めてお前をこの街で見たとき…俺達が、俺がどう思ったか……だから」
先生の鋭い瞳が私を捉えた。蛇に睨まれた蛙のように、身体が固まってしまって動けない。
「だから俺は…お前をもう、誰にも渡したりはしない」
そう冷たい声で言い放つと、先生はかちゃりと扉の鍵をおとした。
150912