ペット

□思い出は封じ込めるものではありません
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ごろごろ、ごろごろ。



遠く、遠くの方で不機嫌そうな雷の音が轟き始めていた。



「…………」


先生の言った言葉の意味を計りかねながらも、無表情に私を見つめる先生を、怖い、と思わない訳がなかった。


『先生……今の、どういう…』


「怖いか?」


『え…?』


「俺が、怖いか?」


冷たい声、冷たい瞳。
だけどゆっくりこちらに近づいてくる先生を、どうすることもできない。


「今誰のことを考えている?」


『え?そんなの…先生に…』


「あの男か?そんなにアイツがいいのか?お前の心から…それを消し去ることはできないんだな」


『そ、んなこと…!私は安室さんのことなんて…!』


……ホントに?


どこからか、子どもの声が聞こえる。


――本当は、今この瞬間だって、あの男のこと考えてんじゃねーのか?


私の声じゃない、男の子の声。


――何がそんなに怖いんだよ?オメーの父親か?それとも新しい生活か?


誰だっけ、この声。知ってる…知ってた?扉の向こう側の、男の子の声。名前は確か、……なんだったっけ。


――助けてやるよ。オメーが日本で泣いていたら、俺が助けてやる。今はまだ、扉越しだけど…オメーがもし日本にきたら、その時はちゃんと…。


嘘つき。助けになんか来てくれなかったくせに。だけど確かに、扉越しに聞こえたあなたの声は、酷く優しくて、酷く懐かしくて――そう、あなたの名前は、……新―――。


「美奈?どうした?」


突然近くで呼ばれた自分の名前にハッとする。いつの間にか私の前に立っている先生。後ろはもう壁で、逃げることができない。


ゴロゴロ、近づいてくる雷。
時折ぴかりとカーテンの外の世界が光る。


「お前は…独りだった。あの大きな屋敷に…閉じ込められて…」


先生が私の腕を掴み、壁に抑えつけるように近づく。


「ずっと窓から…嬉しそうに…寂しそうに…俺たちが門の外に出て、いなくなるまで見ていたな……」


こつん、と私の肩に先生が頭を埋める。


「あの頃から…ずっと、助けたかった。お前は…俺達が…希望だった…そうだろ?」


『………うん…』


そう、あの頃。

私がずっとお屋敷に閉じ込められていた時、先生たちだけが私の唯一の希望だった。

先生たちが、いつか…私をこんなところから救い出してくれるって、何度も何度も想像した。


勿論、そんなことは甘く切ない…ただの夢だとも、分かってはいたけれど。


「だから、お前は、…俺達が。俺が…っ!」


『い、た…痛いよ、先生…!』


ぎゅ、と私の腕を握る力が強まっていく。押し返すこともできず、どうしよう、と半ばパニック状態に陥っていた、――刹那。


『きゃぁああああああッッッ!!!』


ピカリと先生のふわふわの髪が白黒にフラッシュしたかと思えば、世界を引き裂くような激しい轟音が部屋中に響き渡った。そしえその直後、部屋が真っ暗になった。


「美奈?落ち着……」


『いやぁあああああああああああああああ!!!!!!!!』


頭の中が真っ白になったまま、私の身体は凄まじい勢いで動き出した。考えるより先に身体が…とはまさにこのことだろう。陽のおちた部屋は殆どなにも見えないはずなのに、私は、私の身体は唯…「あの場所」へと向かっていた。


居間のドアから三枚目のタイルの壁には隠し扉がある。そこからの階段を抜けた先には巨大な書斎に入りきらなかった本が置いている部屋があるのだ。


気が付けばわたしはそこの、本に囲まれた小さな空間に丸まっていた。


――ここ、俺の秘密基地なんだ。狭いけど落ち着くだろ?


ふと真っ白になっていた頭に男の子の声が流れ込んでくる。


あれ、どうして私…この部屋の事、知ってるの…?


ばっと足の間に埋めていた顔を上げたとき、秘密基地の中の電気が点いた。


…この秘密基地。小さな頃はあんなに大きく感じたのに…全然大きくなかったんだな。

ゆっくりと立ち上がれば、天井は手を伸ばせば届くところにあるし、本棚に囲まれた部屋は、身動きがとりづらい程、狭い。


そう、私はここに…来たことがあったんだ。小さい頃…それも、1回や2回じゃない、もっともっと沢山…。


…どうして?


きょろきょろと辺りを見渡していると、本棚に不器用に折りたたまれた画用紙が挟まっているのを見つけた。

慎重にそれをひっぱりだして広げてみる。

古びてしなしなになった紙には、2人の小さな女の子と男の子が描かれていた。


『………あ……』


“美奈としんいちのひみつき地”


一生懸命に描いている絵と、子どもの字。

そうだ…思い出した。

脳裏に浮かぶのは、薔薇園。


新一…そうだ、工藤新一…だ。

私の本当のお母さんの友達の…有紀子さんの子どもで…昔は家にきたり、行ったりよくしていた…そうだ、そうだ…!新一だ…!

私が16歳の時…そう、今から丁度1年くらい前に私の屋敷に遊びに来て、閉じ込められている私に、扉越しでも話しかけてくれた…そうだ、新一だったんだ!

落ち込んで、迷っていた私を助けに…。

……迷ってた?


思い出を反芻しているうちに、ふと我に返る。


……私、忘れてない?日本にきたのは…その目的は…


「美奈!!」


階段を降りてくる足音と、先生の声。


『先生!』


「…こんなとこにいたのか。よくこの場所を知ってたな…」


私にかけより、そっと優しく抱きしめてくる。


『せん…ッ!』


「心配するだろ……。それから…さっきは悪かった」


先生の速い鼓動が伝わってくる。それでも私は思い出す。思い出してしまう。…安室さんの鼓動を。


『……先生、ごめん…ね…。私……』


「いや…もう…もういい……」


『先生の事…大好きだった…ホントに……大好きで…憧れてた…』


ゆっくりと、先生から身体を離す。


『だけど…私…もう、いかなくちゃ。……先生』


「……ッ…………」


『私…先生に会えて良かった。幸せだった…』


「…そんな事…俺の方が……。いや…」


先生が私の頬に手をやる。そして、切なそうに目を細めてからやがて優しく微笑んだ。

優しい瞳。いつだって私を支えてくれていた大きな手。いつだって、この手に縋っていればよかった。だけど、もう、私は行かなくちゃ。


『先生…ありがとう』


振り返らずに先生の隣を抜け、出口へと向かう。

陽は既にどっぷりと落ちて、雨が降り出していた。


私は、私の居るべき場所へ、居たい場所へ帰ろう。

冷たい雨を感じながら、家路へとつく。


安室さん、まだ帰ってないかな…。

少しの不安を胸に、家への道のりを急いだ。





151012

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