ペット

□衝突
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『うー……さ、むい…』


冷たい雨に打たれ、震える身体を両手で抱きかかえながら家へと急ぐ。

もう、門限の時間より随分遅い。
安室さんが帰ってくるのが遅いと言っていたとはいえ、何時になるかも分からない。

それに…なんだか、変な胸騒ぎが。


逸る気持ちを胸に堪らず走って帰ると、まだ明かりのついていない部屋が見えほっとひとつ息を吐いた。

マンションの一室に入り、漸くバスタオルで体中を拭き終わる。…さむい。肌寒い秋中の雨を浴びたのだから仕方ないか…とりあえず、先にお風呂入ってしまおうか…。

そんなことを考えていると、がちゃんと扉の鍵が開く音が聞こえた。


ぎりぎり間に合った、と安堵してひょっこりと玄関口をのぞく。


『おかえりなさい!思った以上に早かったね…』


「……ああ、…」


『……?』


玄関口に立ったままの安室さんは、明らかに普段とは様子が違った。
俯いたまま、表情を伺うことはできないが、いくら鈍感な自分でもそれくらいは分かる。


『……安室さん?』


「……。どこに行ってたんですか?制服、濡れてますけど」


そういえば、まだ制服着たままだった…。いくら安室さんが帰る前に帰ってこれても、これでは先程まで出かけていたことがバレバレである。
自分の頭の悪さを呪いながらもなんとか口を開く。


『あ、えっと…その。帰ってきて…そのまま寝ちゃって。それで、その…さっきまでちょっと…コンビニに行ってて…それで、雨降ってたんだけど…いいかなって…その』


「そう」


不意に持ち上がった安室さんの顔。いつもと変わらぬ瞳と目が合い、少しだけ安心する。

そして訪れる沈黙。この空気をどうしていいのか分からず、お風呂に入ろうか…と逃げ出そうとしたとき、安室さんの声が響いた。


「どうして…」


『え?』


「どうして…嘘つくんだよ?」


絞り出したかのような安室さんの悲しげな声。だがそれ以前に美奈の頭には、嘘がばれた、の思いがぐるぐる回っていた。


『う、そじゃ、な…』


「…君があの…工藤優作の家から出てくるとこ…見たんだ。あの家には…。……」


『ち、ちが!あれは、その…っ』


どうしよう、なんて説明したらいいの?
まさか安室さんのことが好きだから、先生にお別れの気持ちを伝えに行った、なんて…言う訳にもいかないし。


「それに…君は嘘を吐いた。…やましい気持ちがあるからだろ」


違う、違う!!
否定したいのに、喉が縮こまって声が出せない。なんて答えたらいいのかも分からない。違う。違う。やましい気持ち?門限は破ったけど、あれは先生が鍵を落としたからで。だから、だから、だから。


「いい気なもんだね…。本当に。誰でもいいんだな。君にとって僕は三食風呂付の宿でしか無かったんだね」


やめて、やめて、やめて…。震えだす身体。棒のように固まった足が、小刻みに震えている。


「僕がいなかったらすぐに他の男かい?…いい加減にしてほしいよ。僕が…僕がどれだけ君を…っ!!!」


次第に声量を増す声に思わず涙が零れ落ちた。怖い。はたりと安室さんと目が合う。驚いたような、我に返ったような安室さんの顔。しんと静まり返る部屋。

どうしたらいいのか…どうすることもできず、口を手で押さえながら、必死に涙を堪える。

何か…何か…言わなくちゃ。
私の気持ち。本当の事。
けれども溢れかえる感情の波を上手く言葉にすることもできない。


「……っ。………すまない…」


絞り出した声だけを残し、安室さんが部屋を去った。静かに扉が閉まる音がやけに空しく響いて聞こえる。


緊張から解き放たれたせいか、かくんと膝が崩れその場に座り込んだ。歯止めを失くした涙が繰り返し滴り落ちる。

……本気で、怒ってた。

怒気を含んだ鋭い声を思い出して、また身体が震えあがるのを感じた。見たことのない安室さんだった。心臓が嫌に鳴っているのを感じる。…どうしよう。どうしよう。…どうしよう。

言えなかった言葉への後悔が襲い掛かる。ちゃんと伝えればよかった。嘘のない、素直な気持ちを言ってしまえばよかった。どうして言わなかったんだろう。どうして嘘、吐いちゃったんだろう。だけれでも…どれだけ後悔しても、もう、遅い。


濡れた身体も手伝って、震えが止まらない。動けない。動きたくない。寒い。怖い。どうしよう。なんとかしなくちゃ。だけど身動きはもう、とれない。…身体も、心も。


一度に色々な感情が溢れだす。止まらない涙。なんとか、動かなくちゃ…。虚ろな足のまま、なんとか立ち上がって寝具に着替え、逃げるようにソファーの布団に潜り込む。

寝て、覚めたら全部…夢だったらいいのに。

いつものように、優しい指先が私の肩を叩いて。起きたらパンの焼けたおいしそうな匂いがして。顔を早く洗ってきなさいと、安室さんの優しい声が響く。
私は寝ぼけ眼をこすりながら、渋々と洗面所に向かう。

……。…もう、そんな日は、来ないかもしれないんだ。

今は冷たい雨のが響く、寂しい部屋に、ひとりぼっち。


怖い…。このまま…安室さんを、今までの幸せだった日々を…いつまでも続くと願っていた安らかな暮らしを失うの…?

震える頬に、流れる涙。

がちがちと震えて鳴りやまない歯の音を聞きながら、暗いまどろみの中へと堕ちていった。





151116

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