ペット

□眠り姫はゆっくりと
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初秋の朝は早い。



『……んん』


いつもならば遅刻するギリギリまで起きられないのに、自然と目が開いた朝の5時。

…眠れそーには、ないな…。


窓から入ってくる朝日は何も知らないんだろう。昔も今も、素知らぬ顔で朝は毎日やってくる。

素早く身支度を整え、荷物をまとめて外に出る。昨晩の大雨が嘘みたいだ。洗い流されたように世界が清々しい。


まだ学校に行くのは早すぎるし、どうしようか…。そんなことを思いながらふらふらと歩いていると、ジャージ姿の蘭が前から走ってきた。


「……美奈ちゃん?!」


『あ、蘭ちゃん…おはよ。ランニング中?早いね…』


「う、うん…美奈ちゃんはどうしたの?目、腫れてるよ…」


何から話せばいいかも分からず、とりあえず浮かべたのは曖昧な笑顔。その表情から何かを悟ったのか、蘭ちゃんはゆっくりと私の手をとった。


「と、とりあえず、私の家に行こう!話くらいなら聞くし…ね?」








探偵事務所に通され、出された温かいコーヒーを飲みながら漸く一息つくことができた。冷たくなっていた手に温かさが沁みる。


『…ごめんね、朝練中だったのに』


「ううん!もう帰り道だったから気にしないで。それより…何があったの?その…昨日の先生の事?」


『……いや、その…。先生には…ちゃんと気持ちを伝えたの。先生にね、会って…これは恋じゃなくなったんだって気が付いたから。本当にね、会ってみたら色々分かったことがあって…だから、やっぱり、世良ちゃんはすごいね…』


声が思わず震えそうになる。口に出してしまったら、昨日の事が現実だと認めなければならないから。怖い。…紛れもない現実ではあるのだけど。


『そんでね…その、先生とお話しして…ちょっとそれが長引いちゃって。門限の時間破っちゃったのね。…安室さん、昨日は遅くなるって言ってたから連絡も入れなかったんだけど…結局、門限破ったことがバレちゃって…安室さん、…すごく、すごく怒ってた…』


いつでも穏やかに笑って慰めてくれた安室さんじゃなかった。感情を露わにして…少しだけ、悲しそうな。


『…そのまま安室さん、出てっちゃって…まだ帰ってきてないんだ。私…は、どうしたらいいのか分かんなくて…早く目が覚めたから、お家、飛び出してきちゃった…』


蘭が後ろから肩を包んで撫でてくれる。思わず涙が零れそうになったが、なんとか堪えた。


「…安室さんには、連絡とってないの?」


『うん…怖いの、すごく…。謝んなきゃいけないのは分かってるんだけど…だけど…すごく、怖いの』


「…そっか。…分かるよその気持ち。…とりあえず、謝るんなら…早く謝った方がいいと思う。それでもし気まずいなら、しばらく私の家に泊まるといいよ!」


『え!?悪いよそんなの…』


「大丈夫!とにかく、直接会うのが辛いんなら電話でもいいからした方がいいと思う。家を空けるんならそのことも伝えないといけないし…」


『ん…。…本当にいいの?ここでお世話になっても…』


「当たり前じゃない!気にしなくていいの!」


『ありがと…。じゃ、とりあえず…電話、してみるね…』


携帯を取り出し、手の震えを抑えながら安室さんの連絡先を探す。謝る、謝って…しばらく蘭ちゃんのお家にお泊りするって言う。それだけ。大丈夫、大丈夫…。


無機質なコール音が、永遠に続くような錯覚すら襲う。

電話に出て欲しいと思う気持ちと出て欲しくないと思う気持ちが、交互に顔を出しては引っ込んでいった。

ぷつん、とコール音が途切れた後、電話の向こう側が静まり返った。微かに電話越しの息遣いが聞こえて安心する。浅く深呼吸をしてみる。


『…もしもし?あの、ね。昨日は…ごめんなさい。信じて…もらえないかもしれないけど、昨日はね、先生に…お別れの話をしてきたの。それがちょっと…長引いちゃったの…。でもね、嘘を吐いたのは…私が悪いから…』


手が、声が震える。相変わらず電話の向こうは物音ひとつしない。この電話がちゃんと彼に届いているのかすら怪しく思ってしまう程に。


『…しばらく、蘭ちゃんのお家に泊まるから…。…あのお家には、…もう少しだけ、帰れない。…また、連絡します』


しばらく間をとってみたが、返事はきそうにも無かった。ゆっくりと電話を切る。はぁあ、と身体中の空気が抜けていく。


『…良かったのかなぁ、これで…』


「…良かったと、思うよ。今はまだ…仕方ないよ。だから元気出して。暫くはここにいていいんだからね!」


友人の心遣いが酷く心に沁みた。肩の荷が降りどっと眠気が襲ってくる。やっぱり知らないうちに気を張っていたんだろう。


『…ありがとう、本当に、ありがとうね…蘭ちゃん』


「気にしないの!友達なんだから!…言ってくれなくて、一人で悩んでる美奈ちゃんを見る方がずっと辛いよ…。…って大丈夫?すごく眠そうだけど」


『ん、ん…だ、いじょうぶ!ちょっと寝不足なだけだから…』


「で、でもなんだか顔色悪いよ?今日はここでゆっくりしといたら?ノートならとっとくし…」


『でもそんな…』


「ダメ!美奈ちゃんほっといたらすぐ無理するんだもん!今日はお休みしなさい!お父さんは今日仕事でいないけど…あ、コナン君は確か学校お休みだって言ってたし、何かあったらコナン君に言ってね。服は私のを貸すし…とにかく、今日は私の部屋でゆっくりしておくこと!分かった?」


『……ん…。…っ…』


「ど、どうして泣くの…?私何か…」


『ううん…っ、と、…友達って…こんなに温かいんだね……っ、ずっと…ずっとひとり…だ、ったから…っありがとう…っ』


ずっとずっと、一人ぼっちで閉じ込められていたあの頃。
勿論友達なんてできる訳も無い、外の唯一の接点は、先生たちだけ…。

寂しかった。

それが今、私の周りには沢山の素敵な人たちがいる。
蘭ちゃん、園子、世良ちゃん、先生たち、それから…安室さん。

みんな大切で、どれも失いたくない。
…そう、失いたくない。安室さん。


蘭ちゃんを見送ってから、言葉に甘えさせてもらい蘭ちゃんの布団に入る。

甘いまどろみの中で蘇る、楽しかった、幸せだった思いでたち。


…夕陽をみたな、お買い物で…事件にあって、子どもたちにも会って…。
学校は…すぐにお友達ができた…みんな優しくて、面白かった…。

お祭り…安室さんと…すっごく楽しかった。あ…田中、元気かなぁ…。安室さんならきっと、ちゃんとお世話してくれてるよね…。

ハナビ…初めて見た。疲れてすぐ眠っちゃったけど…すごく綺麗で、胸が苦しくなるくらい…。

…そっか、あの時くらいからだっけなぁ…。安室さんのこと…好きに…なったの…。


寂しい…会いたい。
暗闇の中でいつでも探しているのは、安室さんの優しい手。

安室…さん…。

引き込まれていく意識。溶けてゆく世界…。







ギィイ…。


「…蘭姉ちゃん?もう学校に行った…あれ?」


小さな少年が、人の気配を感じて開けた部屋に横たわる眠り姫。

見覚えのある容姿。脳裏に艶やかに映るのは日本離れした薔薇園。


「……美奈?」


纏まらない考えに反してすんなりと口から出た名前は、微かに困惑と、懐かしさの色を含んでいた。







151217

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