ぜろ

□かみなり
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「あれ、安室さん、まだ残ってたんですか?」


「あ、ええ、まぁ…すぐ帰るんで気にしないでください!」


酷くなる雨を感じながら、彼女が此処へ戻ってくるのを待つ。


必ずくる。彼女は此処に戻ってくる。


先程盗った彼女の自宅の鍵を、自分のロッカーに大切にしまい込む。
まだ少しだけ、温かく感じる彼女の鍵。勿論そこには既に温度は存在していなくて、ただの鉄の塊に違いないのだが、それでも彼女のものというだけで酷く温かく、光り輝くものに見えてしまう。


ごめんね、瑠璃…。


僕はただ、君を守りたいんだ。君が悲しい顔をするなんて耐えられない。
君は今日も誰もいない、冷たくて暗い空っぽの家で一夜を過ごすんだろう。哀しみを微塵も出さず、笑顔という仮面で心を押し殺して。

僕はそれに気が付いてしまったから。君の哀しみをひとりぼっちで抱え込ませはしないから。

だから僕のもとへ、おいで。



雷鳴が響き渡り、ふと外に目をやるとポアロの前で立ち往生している制服が目に入った。

湧き上がる高揚感に大きく深呼吸をして、お疲れ様ですと周りに声をかけながら店を出る。


がちゃん、と扉が閉まった音がした。それでも彼女はまだ僕の存在に気が付いていないようだった。


「……瑠璃さん?」


まるで偶然のように。何故君がここに?と訝しい声を出す僕は浅ましい。
だけどごめんね。僕は狡い人間だから。君にとって僕の存在は偶然であってほしいから。

名前を呼ばれ、くるりと振り返った彼女は恐ろしい程優艶な美しさに溢れていた。雨で濡れた制服も、ひとりぼっちの瞳も、豪雨の中立ちすくむシルエットも、すべてが僕を捕まえて離さない。

それでも何故かその瞳がふっと遠くなり、僕では無くそこにはいない誰かのことを考えているような気がして、妙な焦燥感が身体中を襲った。


「何してるんですか?」


もう一度、声をかけるとはっと我に返ったようにその瞳に僕を映す。


『あ…。えっと…。家の鍵をなくしてしまって。それで蘭…毛利さんの家に行こうと思ったんですけど…いなくって…』


そうでしたか、と納得したように頷き、ポアロを少し見てきますと言い残してもう一度店に戻る。


さっき君は誰を見ていたの?君の心はどこにいっていた?目の前の僕じゃない、君は違う誰かのことを思い浮かべていた?

店で彼女の鍵を探すふりをしながらも、心臓はどきどきと少しだけ嫌な音をたてていた。直ぐに君の瞳には僕が映ったけど、あの一瞬、遠い目をしていたあれは…。


「すいません。見つかりませんでした」


首を横に振りながらもう一度外に出ていくと、ぶるりと寒そうに身体を震わせる瑠璃がかくんと肩を落とした。

君の鍵は僕のロッカーにあるんだから。見つかる訳がない。


『あ、いえ。本当、すみません。ありがとうございます』


申し訳なさそうに頭を下げるが、その場から動こうとしない。毛利さんたちの帰りを待つつもりなのだろうか。


「あの、恐らく毛利さんたち、今日は帰ってきませんよ」


『え?』


「たしか、今日は依頼である別荘に行っているはずです」


偶然と偶然が運悪く重なってしまったのは僕のせいではない。発端は僕かもしれないけれど、そこから始まる連鎖はただの偶然なのだ。


少しだけ眉間に皺をよせ、恐る恐ると言った風に瑠璃が口を開いた。どうして僕がそんなことを知っているのか、と。


くすりと零れるような笑みが浮かんだ。彼女が鍵の在処を知る術はない。だから彼女が僕がこの一連の加害者だと、そう思うような要素は一つも無い。
だけれど彼女は気が付いている。きっと本能的なものなんだろう。頭じゃない、本能で気が付いているんだ。―僕は危険だ、と。

なんて頭と勘の良い人なんだろうか。益々興味が深まり彼女のことが知りたくなる。


君は本当に美しいね。


声に出さないと、逸る気持ちのままに彼女に手を出してしまいそうだった。雷の音が響き渡り、その声はかき消されたようだ。


「いえ。僕は毛利探偵の弟子、なので」


『あ、そうなんですか』


彼女の身体に纏わりついていた緊張感が途切れた。それでいい。警戒なんてしなくていい。僕は君の味方だから。僕だけは君を傷つけないから。


「今日、あてはあるんですか?」


『うぅ…、まぁ、最悪公園でも夜は明かせますし。…この雨の中公園は避けたいですけど』


身寄りのない彼女では仕方のないのだろう。公園だなんてとんでもない。仮に僕が君にどんな感情も抱いてなかったとしてもそんなことはさせない。


「ダメですよ、公園なんて。……僕の家にきますか?」


え?と驚いたような顔で僕を見る瑠璃。会ってたった2日しか経っていない顔見知りの男性にそんなことを言われては誰でも驚くに決まっている。

でも僕はもうずっと君のことを見ていた。こんな日がくるのが酷く待ち遠しかった。


「あ、いえ、あの。もちろん嫌ならいいんですが」


迷っているけど君は断れない。なんて都合良く雨が降っているんだろうか。困ったような顔で言葉を探す瑠璃に、次はなんて声をかけてあげようかと考えた瞬間、一際大きな稲光が彼女と僕を照らし、耳が遠くなるような雷の音が響いた。

ひっ、と小さく声を漏らし、半ばパニック状態で僕に駆け寄る彼女を受け止める。

なんてなんて、小さな身体なんだろう。こんなにも脆くて、少しでも腰に回した腕に力を入れれば折れてしまいそうな儚い身体で、どれだけの哀しみを背負ってきたんだろう?


『あ、あの…ご、ごめんなさい…あの』


我に返ったのか、胸を押して離れようとする瑠璃を離さないというように閉じ込める。

震えてる…。

寒いのか、恥ずかしいのか、雷が怖いのか。捨てられた小動物のように小刻みに震える彼女を、心の底から守ってあげたいと思った。


「寒いんですか?…震えてます」


怖がらないで。何も恐れるものはない。君を脅かすものは、なんでも僕が排除してあげるから…。

小さな瑠璃の身体とくっついた部分が気持ちのいいほど温かい。


「…ダメですか?」


無理強いはしたくない。これでも君が迷うようなら今日はもう諦めよう。
こうして君がくっついてきてくれて…それだけで充分だと。


『じゃあ…、あの、いいですか…?』


耳まで真っ赤にして、顔を上げずに呟く瑠璃は酷く可愛らしい。同時に浮かんだ少しだけの懺悔の気持ち。行きましょうかと呟いてせめてこれくらいはと彼女の小さな肩にジャケットをかけてやる。


『安室さん、寒いんじゃ…』


「大丈夫ですよ。そんなに遠くありませんから」


『あ、傘…』


「あれ、もう使えないと思いますよ」


君が隣にいるだけで、身体の奥が熱くなる。雨の寒さなんて大した問題じゃない。
震えてる君は堪らなく可愛らしくて愛おしい。寒くないように、迷子になってしまわないように。そっと肩を抱くと、恥ずかしそうに俯きながらも漸く彼女の震えが止まった。



遠くの方でまた、雷が鳴りだした。
雨。もっと降ればいい。もっと酷く降り続けばいい。

そうして僕の醜い心も、君の寂しげな瞳も、すべて流して隠してしまえばいい。

ふと道路に投げ出された彼女の傘が視界に映りこんだ。ボロボロになりながら雨に打たれて佇むその姿に、既視感のようなものを感じて目を逸らす。


卑しい心で雨に打たれるおまえとおなじ。


警告するような僕の声が聞こえた気がして、無意識に彼女の肩を抱く手が強くなる。


『…安室さん?』


ハッと意識を戻していつもの癖でその場しのぎの笑顔を作る。

いつもより間近で見る瑠璃の瞳は酷く透き通っていて温かかく、それでもなんだか僕の心に深くしみ込んでくるようで。

耐え切れなくなって、僕は初めて君から目を逸らした。




160222

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