ぜろ

□ぜつぼう
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ふと目が覚めると、大切で大好きな彼女がすぐ隣に眠っていた。
それは何度も夢見ていた光景。目覚めたら最愛の人が隣で幸せそうに眠っている――。

無意識に彼女の頬に触れると、幸せな夢は粉々に崩れ去った。
触れた頬はあまりにも涙で濡れていて、酷く冷たかったからだ。

…何をしているんだろう。僕は。
だけどもう戻れない。…彼女を失わないためには、こうするしかないのだ。

せめてもの償いで腕につけていた枷を外す。余程暴れたんだろう、直ぐには消えないような青い痣が目立つ。

そっとか細い腕をとって、その痣に口づけを落とす。ごめんね。だなんてもう今更厚かましくて言えないけれど。


「瑠璃。良い夢を」


ぽそりと呟いた声は、なんだかとても孤独で一瞬、涙が出そうになった。
瑠璃は確かにここにいるはずなのに、彼女の魂はもうここにはいないのだ。

寝室を出て、コーヒーを啜る。
熱いコーヒーが喉元を過ぎると、それだけで身体中が覚醒していくのを感じる。
どうしようもない現実。時の流れに人は逆らえない。

一応彼女の昼食を作っておいて、家の外へ出てゆく。
せめてもの懺悔、だなんて思ってはいないさ。ただ…そう。彼女は僕の部屋のことをよく知らないから。飢え死にだなんてされたら困るから…。

脳裏によぎるのは冷たい瞳。僕を拒み、否定した瑠璃の表情。
きっともう、瑠璃は僕のことを許してはくれないだろう。そうなってしまったらもう、懺悔だとか後悔だとか、そういうものは邪魔になるから捨ててしまおう…。

何気ない一日を、何気ない自分で過ごしながらも、頭の中はずっと瑠璃のことを考えていた。
今頃何をしているのだろうか。鍵はかけていったが逃げ出したりしていないだろうか。
逃げられたら、それこそもう二度と瑠璃は僕の元には帰ってこない。
だから絶対に離さない。絶対に逃がさない。
僕は瑠璃を一人にはさせない。僕と瑠璃。二人だけの世界でいい。

落ち着かない気持ちが家路を歩く足を急き立てる。早く会いたい。姿を見たい。瑠璃がひとりぼっちで泣いていないか、考えただけでも息ができなくなるのに。

部屋に灯りが点いていてホッとした。大丈夫。彼女はまだあそこにいる。
ふうと大きく深呼吸をして鍵を開けると部屋はやけに静まり返っていた。

そっとリビングを覗くと警戒した瞳で僕の方を見ていた。小説を中途半端に持っているのが目に入る。うたたねでもしていたんだろう。


「ただいま…おや、小説を読んでいたんですか」


特に意味のない、差し障りのない会話。もう瑠璃が僕のことをどう思おうがどうだってよかった。
嫌われているのならもう何をしても同じだと思ったのだ。今更彼女に媚びを売るような真似をしたって関係は悪化する一方だろう。

なのに瑠璃は、小さな声ではあったけれど、おかえりなさい、と言ってくれた。
それは僕の心の錆びれた引き出しを開くのには十分だった。

孤独を知っているから。彼女はその分あまりにも優しい。
服を着替えてリビングに戻ると大きなため息が聞こえてきた。…せっかく少しいい気分だったのに。


「大きなため息とはあまり穏やかじゃない」


後ろから声をかけると動物のような悲鳴を上げながら小さく仰け反った。
…ああ。少しだけ期待をもってしまったけど、やっぱりこうなるんだ―――。


諦めに似た感情が、心を曇らせていく。半ば無理矢理彼女を抱き寄せ横になると、案の定微かな抵抗と共に顔を背けてきた。

形だけなら、こんなにも簡単に手に入れることができるのに。こんなことをずっとしていたかったのに、やけに心が落ち着かない。


「…疲れました」


そんなことを呟いてみても、彼女はもう慰めてくれなかった。おかえりなさい、と言ってくれたような優しさは、もう僕に与えてくれなかった。
嫌われていると分かっていながら、どこかで安心していたいんだろう。自分勝手で、自分をコントロールできていないのは分かっているつもりなのだ。

応えない瑠璃に負の感情が湧き上がる。哀しみ。怒り。寂しい。どうして応えないの。少しでいい。ほんの少しだけでいいから僕を安心させてみせて。

頬を掴み強引に視線を合わせた。動揺した瞳がどくんと震えたのがこちらにまで伝わった。
緊張を溶かしてやるように、無我夢中で口づけをすると、彼女自身がどろどろに融かされていくのが分かる。

ああもう、これでいいじゃないか。めちゃくちゃにして、愛と快楽を刻み込んで、前も後ろも分からないようにしてやれば、堕ち切った彼女は僕のものになるじゃないか。

今日一日悩んでいた自分が馬鹿らしくなる。力のある僕には容易なことだ。瑠璃が僕のものにならないというなら、壊して1から、今度は僕が君を造り上げよう。僕だけのものにして。


小さくて脆い、彼女の身体を抱き上げた。脆弱な腕から放たれる抵抗を心地よく受け止めながら、風呂場に向かった。





161027

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