ぜろ

□ことば
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秋の夕方六時となると、天気の悪さも相まって空は真っ暗に染まっていた。
確実に冬が近づいているせいで雨の夜は思わず震えてしまう程肌寒い。

瑠璃は寒がってはいないだろうか。
一人ぼっちの大きな箱の中で、この雨をぼんやりと見つめて寂しがってはいないだろうか?

足の底からじわじわと冷えた空気が昇ってくる。
もうすぐ冬がやってくる。そんな予感。

それはいつの間にか焦燥感に変わっていて、瑠璃の家へと向かう足をいつのまにか急かしていた。

早く会いたい。傍に居てあげたい。
…寂しいのは僕の方なのだ。
ぱしゃぱしゃと雨粒が道路に響く。こんなに雨が酷く続くのなら、大した距離でもないが車でこればよかったかな…。

瑠璃の家の前に着くと、リビングに灯りが点いているのが見える。
曲がりなりにも立派な一軒家なのに、ここに住人は一人しかいないなんて。
久しぶりの一人の家は寂しいんじゃないだろうか。

逸る気持ちを何とか抑えて玄関の鍵を開ける。
会いたい。もうすぐ会える。
少し目を離しただけで、こんなにも不安げな、落ち着かない気持ちに支配されてしまうなんて。

リビングへの扉が近づいてくる。気配や足音をついつい消してしまうのは最早職業病と言っても過言では無い。
瑠璃はどんな顔をするだろうか。その優しい心の傍らで「おかえりなさい」と言ってくれるだろうか。
様々な想いが胸を巡り、兎にも角にも瑠璃の顔が見たいと少し扉を開けた、時だった。


……泣いてる?


微かな泣き声を、耳の奥が捉えた。
そっとリビングを覗いてみると、電話台の前に座り込んで泣いている瑠璃の姿があって、それを見た途端に心臓が酷く痛みだして言葉にならない感情が胸の奥からあふれ出した。

どうして泣くの、ひとりで。僕がいるのに。
泣く必要なんかないのに。僕が傍に居るのに。寂しい思いなんて欠片もできないくらい愛してあげるのに。

声をかけようとした。今すぐかけよって抱きしめたかった。僕がリビングに入ったことにも気が付いていないようだ。

僕が傍に居てあげる。一人になんかさせない。僕だけが知っている寂しがりな瑠璃。僕が。僕が。僕が。僕が。


『…っしんいちぃ…っ』


抱きしめようと伸ばした手が、中途半端に空中で止まった。
…今、…なんて?まさか…そんな。

どくん、どくん、心臓が喉元にまで届く。喉の奥が熱い、それなのに首元が急激に冷ややかになっていく。
寒いのだろうか、伸ばした自分の手が微かに震えていた。


『助けて…っう…っ新一…っ』


もう一度、はっきりと、その名前を聞き届けた瞬間さーっと血の気が引いて、頭の中が真っ白になった。

熱はいつのまにか引ききって、ただただ冷たい血だけが規則的に身体中を巡っていた。

シンイチ?…クドウ…シンイチ?
瑠璃の幼馴染で…瑠璃の好きな男の子…。諦めたと笑っていた瑠璃。

気が付けば抱きしめようと伸ばした手は瑠璃の服の襟をつかんでいて、そのまま力づくに引きずるようにベッドの方へ投げ飛ばしていた。


『あ……』


漸く瑠璃の瞳が僕に向けられた。酷く怯えた光のない影の瞳。
どうしてそんな目で僕を見るの。そんな怯えた瞳で、心を閉ざした瞳で。どうして。こんなにも好きなのに。どうして。


『…あ…むろさ…』


違う。そんな声じゃない。瑠璃の声はもっと凛として、意思を持って僕を呼ぶ。違う。瑠璃じゃない。違う。こんなの。違う。こんなの僕の望んだ未来じゃない。

何かがおかしい。きっと、間違いが起こっている。正さなければ。何かの間違いだろう。じゃなきゃ、こんな。

刹那、きっと暗い光を宿した瑠璃が僕の方へ動き出した。僕の頭はそのことを、まるでなにかの映像を見ているみたいにぼんやりと受け止めていた。瑠璃の足が僕の懐へと延びる。悪くはない。位置もタイミングも、普通の人間なら避けることもままならないし入れば十分にダメージを与えることができるだろう。
だが、相手が悪い。

不思議と避けようとは思わなかった。そこまで頭が回らなかったといってしまえばそうなのだが、決してそうではなく、避けるに値しなかった訳でもなく、自然と流れの一部としてその光景を受け止めていたのだった。細い足が僕に打撃を与える。数瞬前にそこに力を込めたおかげでそこまでのダメージはない。

何故か、ふっと笑みが零れた。スローモーションに流れる景色とは裏腹に、様々な想いが頭を駆け巡る。愛しさもあった。怒りもあった。だけど一番最後に強く大きく浮かんだのは意外にも青白い光を纏った「寂しい」という想いだった。


そこからのことは、正直あまり覚えていない。
ただなんとなく記憶の片隅に残っているのは反射的に瑠璃に手をあげたことと、そこから電池が切れたかのように動かなくなった瑠璃の身体。

気が付けば、僕は動かない瑠璃の身体を背負い、冷たい雨の中を歩いていた。
器用にも瑠璃を背負いながら傘をさしていたから、思わず笑いそうになる。

未来は無い。雨が冷たい。
僕は一人だ。傍には誰もいない。背中にいるのは、抜け殻となった瑠璃の身体だけ。

薄暗い重苦しい雨の中、初めて僕は途方に暮れるということを知った。



170915

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