ぜろ
□こえ
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暗い暗い、部屋の中でうっすらと浮かぶ瑠璃の青白い顔を無意識に撫で続ける。
なんて愛おしい、涙が滲み出そうになるくらい好きと想う気持ち。
…好き。
……愛してる。
自分のどこを探してもそんな気持ちしか見つからない筈なのに、…手を、あげてしまった。
だって…瑠璃が悪いんだ。あれは正当防衛。瑠璃が先に僕に攻撃してきたから…それで、仕方なく。
言ってしまえば避けようと思えば避けられていた訳だが、それをしなかった訳は…分かりきっている。
ふと自分の手で自分の腹部に触れると、微かに感じる痛みにも似た違和感。瑠璃に打撃をされたところだ。怪我を負ったとはよほど言い難いくらいのダメージだが、そこにはしっかりと僕に対しての攻撃の証が残っている。
痛みですら愛おしい。
腹部に走るその違和感が、瑠璃によって与えられたものであると考えるだけでゾクゾクと背筋に興奮が走る。この傷は、これは瑠璃だけ、そして僕だけのもの。たとえそれが憎悪であったとしても、僕だけに向けられた感情。そこに他人を挟む余地なんてない。そう、……工藤新一でさえも。
恋敵と片づけてしまうには忌々しすぎる男の名前が浮かび、今度ははっきりと胸が痛んだ。自分の顔が自然と険しくなっているのが分かる。瑠璃と僕の間の邪魔をする、足枷のような男。それも、常々傍に居る訳ではないのに瑠璃の心を奪い続ける男。
「……瑠璃」
暗闇に問いかけても、無論返事は無い。
「あんなのの…工藤新一のどこが良いんだい?」
答えの無い問い。だけど聞かずにはいられない。
「あの男は…瑠璃だけを見てくれないじゃないか。瑠璃の傍にいてくれないじゃないか…。君をひとりぼっちにさせるだけ。それなのに、なんで……」
頬に触れる。柔らかい、子どものような肌。飽きることなく撫でる指先。
「傍にいないのに。心もそこにないのに。僕は君にそんな思いはさせない。ずっと傍にいてあげるのに。僕は知っているから。…君の本当の姿を。…僕は…」
僕なら、そんな。そんな思いは。
走馬灯のように駆け巡る瑠璃が僕に見せる表情。少し緊張した。悲しげな。寂しげな。光を失ったような。恨みを込めた。泣いている。涙。涙。涙。
「僕は…っ、僕は…っ!!」
僕はそんな顔を。ひとりにさせたくない。誰かに盗られたくない。僕だけの。そんな顔を。
きりきりといつの間にか首に伸びた手が細い首を絞めあげる。違う。僕は瑠璃にそんな思いをさせたくなかっただけで。ああ、でも思い浮かぶ瑠璃の顔はいつもいつも、泣いていて…。
『…っくる…し…あむろ…っさ…っ』
儚げな、微かな声が聞こえはっと我に返る。反射的に弛緩する腕の力。冷たい水を頭からかけられたかのように熱が引いていき、思考が停止する。
『苦しいですか…?すみません…』
苦しめている?僕が?
毛羽だった心を落ち着かせようと、無意識に指が頬を撫でる。
電気でも点けようと立ち上がると僕を呼ぶ不安げな声が聞こえた。とくんと心が震え、何故だか涙が出そうになる。
瑠璃は身体を起こそうとするが、どうやら力が入らないらしかった。もう一度その場に伏す瑠璃に近づき、声をかける。まるで助けなどいらないと言わんばかりに突き放す態度。それでも話すだけで精いっぱいのようで、今にも崩れ落ちそうな脆い小さな身体。
『こんな…こと……』
分かっている。悪いのは僕なのだ。でも…今更そんな。
「瑠璃さんが僕に手をあげたのが悪いんですよ…。なにより、あの男の名を」
だから瑠璃のせいにさせて。そして僕のことなんて嫌いになって、憎んで憎んで忘れなければいい。
…あんな男なんて、思い出す余地も無いままに。
『あの男…?しん…っ?!』
考えるより先に、瑠璃の口を塞いでいた。聞きたくない。縋りつくように何度も何度も呼んでいたあの男の名前。僕ではない相手に向けられている気持ち。
「呼ばないでください…。その名を…」
僕の名前を。僕だけを。形だけでもいい。見たくない。敵わないのが分かっているから。
瑠璃の顔が見れなかった。違わない心の奥の奥の本音を見られてしまった。そう…僕は嫉妬しているのだ。それも、殆ど一回りも違う幼いひとりの少年に。
気まずいような空気が流れた刹那、小さな温かい手が僕の頬に触れた。その手はなんだかとても優しくて、すべてを包み込むようで、その心の奥の、もっと一番深いところに触れた気がした。
「瑠璃……」
どうして名前を呼んでいるのだろう。何かの感情が溢れだす。表現しようのない、何か心もとないような、誰かに、瑠璃に触れていたいと思う感情。そっと瑠璃の頬を手で包み、キスをする。傍にいて。離れないで。……僕のことを。
ずきっ、と舌に痛みが走った。その後に感じる血の味に、さっと体の、頭の熱が引いていく。心が冷たくなっていく。感覚と思考が研ぎ澄まされて、やけに冷静に、やけに思慮深く、それでいて身体は鋭敏に動く。
…何を期待していた?
そこからは簡単だった。仕置きだと称して瑠璃の身体を玩具のように貪り喰った。ああ、なんだ。こんな簡単なことだ。
何を期待していたというのだろう。そして、期待をするから失望するのだということも。
分かっていたことだ。だから僕は自分に言ったのだろう。憎んで嫌って忘れないで、と。
好きとか愛してるだとか、そんな感情で僕を覚えて、傍に居て欲しいだなんてそんな馬鹿げた話。
「瑠璃……」
もう思わない。そんな希望持ったりしない。だからもう少しだけ独り占めさせて。今この瞬間だけは。
繰り返し瑠璃の名を呼ぶ声は自分のものとは思えないくらいに消えそうな小さな声。
『……?…』
見ないで、僕のことをそんな瞳で。希望を持ってしまいそうになるから。それならいっそ、嫌い嫌いと突き放してくれ。
現実から目を背けるかのように瞳を閉じる瑠璃。
暗い暗い、部屋の中には真実と虚構が乱れた息とともに混沌としていた。
171007