ぜろ

□きもち
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身体が、凍えるように冷たい。
吹き付けるような冷気が足の先から昇ってくるようだ。
だけど寒い訳じゃ無い。これは外的な意味での冷たさでは無いのだ。もっと…そう、まるで「恐怖」のような、それでいてもっと落ち着いているもののような…。



眩しい光が瞼を刺激する。カーテン越しでも分かるほど空が晴れている。瑠璃を起こさないように身体を起こし、ベランダへと足を延ばした。

ゆっくりカーテンを開けると、予想通りやたらと白い空と世界が広がっていた。大雨の後の世界はすべてを洗われたような表情を無意味に僕に向ける。どうせなにも変わらないのに…。雨が降ろうが世界は塵一つとして変わりはしないのに。
愚行は愚行。過去は消せないし洗い流せもしない。

カーテンを閉めるか迷ったがとりあえずそのままにしておく。たまには陽の光を浴びた方が良い。すやすやと眠る瑠璃の顔を見て、それはあまりに無邪気で、いつもなら愛おしいと思えるはずなのに――何か別の気持ちが心を覆いつくし、思わず目を逸らした。


顔を冷たい水で何度も洗ってみても、何も変わりそうになかった。自分の気持ちを整理しようとコーヒーを淹れ、食卓についた。


まずは…そうだな。
ふと寝室の扉に目をやって、瑠璃のことを考えてみる。
僕は彼女のことが好きで、彼女は僕のことを。

こんなことは考えるまでもない。じゃあ、次は。

彼女を…どうする?

そう、結局はそこなのだ。僕は彼女が好きだ。守りたい。誰の目にも触れさせたくない。
始めはただその一心で、僕にしては無計画に彼女を攫ったように思う。どこかで何の根拠もなく、一緒に居れば振り向いてくれるとでも思っていたのかもしれない。若しくは僕は彼女を救い出すヒーローマンだとも…。

思わず自嘲してしまった。らしくもない。どうしてそんなことができると思ったのだろうか。いや、それは。…多分。

目を閉じると、桜の花びらが舞い落ちる。そこにひっそりと立つ、儚げな少女――。

運命とかいうやつを、冗談交じりに、だけど、本気に信じていたんだろうな。

初々しい気持ちが喉元からせりあがってくるのを、熱いコーヒーで飲み下した。


きいい、と静かに扉が開き、寝室から起き抜けの瑠璃が出てくる。彼女に声をかけるべきだろうか。…でも、なんて?
今まで僕は彼女にどう接してきただろう?よくも気持ちの無い彼女に図々しく自分から話しかけていたなと我ながらに思う。もう完全に彼女の気持ちを知ってしまった今の僕には到底そんな身の程知らずなことはできない。

暫く彼女は逡巡していたようだが、小さな声でおはようございます、と呟いた。流石に無視するのも気が引けてこちらもおはようございますと素っ気なく返す。


今の僕はどっちつかずなのだ。彼女に気持ちが無いのはもう重々承知している。だから、今までのようにはできない。だけど、手放すのもなにかまだ、未練が残っている。
未練…?
昨日あれだけ身に沁みて、どれだけ身体を堕とそうとも心は振り向かないと感じた筈なのに。…まだ、未練が残っていると?
未練とは、つまり希望の糸だ。心のどこかでまだ彼女が振り向いてくれるんじゃないかと…そう思ってる?

…馬鹿馬鹿しい。

考えるのが煩わしくなり身支度を整えに行く。本当に今までどう接していたのか…一度でも疑いをもってしまったら、今まで通りにとはいかない。
結局そのまま彼女とは言葉を交わさず、家を後にした。


今日は組織の仕事の日だ。仕事といっても大掛かりなものではなく、ただベルモットと情報を共有するだけなのだが。

車の中で一通り言葉を酌み交わすと、ベルモットが窓に肘をついてじっと僕の方を観察した。僕はなるべく平静を装う。


「どうかしました?」


「いや?むしろいつもに戻ったと思って」


「…といいますと?」


「そうね…あなた自分で気づいているか知らないけど、ここ最近あまり身が入ってないって感じだったから。まぁ仕事に支障がでなければどうでもいいんだけど…」


「そうですか?」


「あら、結構分かりやすいわよ…。身が入ってないっていうより何か別のことに気が盗らているってカンジかしら」


そうだったろうかと口を閉ざすが、ベルモットがそう言うのなら恐らくそうだったのだろう。


「仕事のことなら手を貸すけど?」


「…いえ。もう…直に終わることですから」


直に…終わる…。

自分の口を経て出た言葉に納得する。
もう終わりなのだ。終わらせなければならない。ただ、いまいちその入り口が掴めていないだけで。
僕は安室透で、降谷零で、バーボンなのだ。そこに瑠璃が入る余地なんてない。だから、終わらせなければならない。


そこでベルモットとの会話は途切れた。彼女はこれ以上この話題に興味が無いようだった。秘密を抱える二人が、互いの秘密を守ろうと微妙な沈黙が車内に満たされる。

カタン、カタンと不規則に揺れる車内には、僕の最後に発した言葉が歯切れ悪く漂っていた。



171214

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