ぜろ

□やさしさ
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桜並木。


ああ、またこの夢か。


雪のように舞う桜の花弁。甘い春の香り。何かが始まる予感。

瑠璃はどこだろう?

僕は辺りを見渡す。いつの間にか並木道はどこまでも続く平原になっている。緑色の若草が青々しく揺れている。
風が吹いて聞こえる草の音。風はどこまでも優しい。空が広い。地球がどこまでも続いている。

瑠璃はどこだろう。

辺りに人影はない。僕はこの地にひとりぼっち。だけど、ひとりじゃない。瑠璃はすぐ近くにいる。確かに僕のすぐ傍に。


「――――」


名前を呼びたいけれど、声が出ない。喉が声という機能を忘れてしまったかのようだ。僕はここにいる。だから、早く、僕を――。







頭を撫でられる感覚が心地よい。
久しぶりにぐっすりと眠りに落ちたような気がする。ふわりと瞼を持ち上げると優しい顔をした瑠璃の姿が目に入る。

さっきまでどんな夢を見ていたんだっけ。


『あ…すみません、起こしちゃって』


ああ、そういえば…瑠璃が風邪で倒れてその看病を。
看ているうちに寝てしまったのか。


「いえ、僕のほうこそ勝手に寝てしまって…」


何故だろう、目の前に瑠璃がいる。そのことがやたらと尊い現実のように思える。
とても悲しいような、幸せなような、虚無感にも似た目覚め。そんな夢をみていたのだろうか。
一旦この場を離れようと立ち上がり部屋を出ていく。頭がまだ覚醒しきっていない。台所に行って玉子粥を作りながらぼんやりと頭を整理してみる。

…僕は。…いや。

浅く溜息がでた。分かってる。認めたくない頭で、半分以上は認めざるを得ない状況になっていて、もうどうにもならない僕自身が作り出したこの状況。

夢だった。いつかは瑠璃と結ばれるなんてこと。
分かっていたけれど、そんな夢をいつまでも見ていたかった。


「電気をつけますね」


出来上がった玉子粥を瑠璃の元へ持っていき、十分に冷ましてから瑠璃の口へと運ぶ。差し出されるがままにそれを食べる様子はまるで雛鳥のようだ。生を依存し与えられるものを享受し、着実に成長を重ねる。

だけど雛鳥はいつかは旅立ちの時が来る。
自らの生を全うし小さな世界から巣立つ時が。


『…おいしい』


「それは良かった…」


だけど、今この時は。
今この瞬間はまだ、この甘美な依存の時間を楽しんでいたい。
あと少し、ほんの少しだけ。旅立ちの時にはちゃんと手を離すから。あと少しだけ。

きちんとすべてを平らげた瑠璃を、良く出来ました、というように頭を撫でてやる。これだけご飯が食べられれば問題ない。薬を飲んで安静にさえしていれば明後日、早ければ明日には元気になるだろう。
そして、その時がきっと僕らの。


『…っ、……?』


ふと気が付くと瑠璃は泣いていた。大きな瞳から綺麗な涙をぽろぽろと流す。どうして泣いているのか、そんなことよりも瑠璃が泣いているという事実が何よりも辛かった。それは自分本位な辛さではなくて、瑠璃が辛いと感じていることが僕の胸を痛くさせた。


「……瑠璃…」


口から出た声は、自分の物ではないと思えるくらい弱々しい声。だけどそれも自分の一部だと、今になってそれを漸く受け入れられた気がする。
泣かないで、というように瑠璃の頬に、涙に口づけをする。温かくて甘い。こんなに優しくて温かい涙だって存在するのだと思ったほどに。


「すみません、…僕はいつも君を泣かせてばかりだ…」


本当は、笑った顔が見たかっただけなんだ。
…なんて今更言ったところで何かが変わる訳でもない。

瑠璃は何も言わなかった。僕が傍に居ない方がいいのかもしれない。薬を飲むように残してから部屋を後にする。扉を閉めてからも寝室の扉の前から暫く動けないでいた。

瑠璃の涙がのった手が温かい。そっとそれに口づけをすると微かに甘さも残っていた。

今までの色んな表情の瑠璃が頭の中に浮かんでは消えていく。笑った顔も、怒った顔も、泣き顔も…全部全部大切だという気持ちは本当だから。

…終わらない夢をずっと見ていたかった。
だけど、目が覚めたら選ばなくちゃいけない。立ち止まっていられるのは動けない夢の中だけだから…。


ぐっと拳を握る。やっぱり僕は瑠璃の笑顔が見たい。
そのために僕ができることは、唯一つ。

機密な情報が収納されている金庫に足を延ばす。様々な書類や拳銃、それらをかき分けて薬物の入った小さな箱を開ける。

もうすぐさよならだ、瑠璃。

そして僕は、その中にある小さな錠剤を一粒自分のポケットに入れた。




180222

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