ぜろ

□いつもとおなじ
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それから、僕の世界のすべてはリセットされた。







「安室さん、アイスクリームきれちゃったから買ってきてもらってもいいですか?」


「ええ!そういえばお砂糖も在庫少なくなってましたよね?ついでに買っておきますね」


「あら、本当ですか?助かります!」


何も起こらない、何も始まることのない無味乾燥な日々。







「口が少し切れてるけど、喧嘩でもしたの?バーボン」


「……えぇ、まぁ。街での喧嘩に巻き込まれまして」


ポアロの仕事をして、組織の仕事をして、公安の仕事をして。
少し前と何も変わらない、すべての歯車が重なり合い、絶妙なバランスで回って、ただ回り続けるだけの僕の日常。


「珍しいわね、あなたが怪我をするなんて」


「派手な喧嘩で、闇雲に暴れてた一人にうっかり当たってしまって…」


彼女のことはコナン君と、世良真純にも頼んでおいた。始めの1週間さえ彼らに守って貰えれば後は大丈夫だろう。彼女にしたことを思えば世良真純に殴られたことなど苦でもない。むしろ、この程度で済んだことの方が可笑しいと感じるほどだ。
何事もなく、何時も通りの日々を過ごしてくれればそれでいい。もう、彼女は一人じゃない。コナン君や世良真純のように守ってくれる人たちが沢山いる。
その中に僕はいたのだろうか。いや、寧ろ僕は彼女に危害を加える害悪の方であっただろうな。


彼女は今、何をしているのだろうか。


僕の掌に少しだけ残っていた彼女の体温も、もう消えてしまった。
最期の暗闇で、僕を呼んだ声はどんな声だった?
分からない。時間が経つごとに思い出せなくなっていく。
それでいい。そのまま僕も、彼女のことを忘れていけばいい。

少しずつ、時間が確実に過ぎて行って。
彼女のことを思い出せなくなって、思い出さなくなっていくんだろう。
少し悲しいような気がするけれど、今は早くそうなればいいと思った。


何時も通りの日常。夜は大体家で自炊をする。自分の料理を「良い出来」と感じることはあっても「美味しい」と感じることはない。ただ僕の食欲を満たす出来の良い塊に過ぎない。腹が満たされるだけで別の何かが満たされることもない。こんなものはただの作業だった。



美味しい…。安室さんって料理上手ですよね。



聞こえない筈の声が聞こえたような気がした。それは確かに気のせいで、勿論ここには誰もいないし僕が彼女のことを思い出すことなんてあってはならない。
彼女はどんな気持ちで僕の料理を食べていたというのだろう。
そんなこと…今更、僕が、何を。

もうどこにもいないから。
もう戻ることもできないし。

痛む心は僕の罰だ。少し乾いて、カラカラに痛い。僕が背負うべき業だろう。彼女はきっと僕の何倍も苦しかった。世良真純に殴られた頬なんて僕には軽すぎる罰だ。もっと長い、永い時間をもっと痛い。傷い罰を受け止めなければいけない、僕は。

人は忘れて生きていく生き物だが、僕がこの傷を忘れるかどうかは分からなかった。
忘れてはいけないけれど、忘れてしまいたい気がする。
未来の僕がこの傷を忘れているのもなんだか物悲しい。


なんにせよ、彼女が幸せに、平凡に生きてくれればそれで。


窓から夜の世界を覗いた。曇り空に少しだけ月が翳っている。
普通の夜だ。そして、明日からも。

何気なしに天気予報を見た。今週末はまた雨が降るらしかったが、この時の僕はそんなことを気に留めることもなかった。





180707

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