ぜろ

□くるおしいほどに
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止まない雨が降り続く。
交わるように、避けるように、二人の間をすり抜けながら。




心臓の音が彼女の身体を通して僕に伝わってくる。
自分のものじゃない、温かい彼女の体温を感じる。
ああ、どうして忘れられるというのだろうか。
この温もりは、この鼓動は彼女のもので他の何物にも代えがたいというのに。


『……安室さん…っ』


どうして…どうしてこうなっているのだろう。
爆発的な感情を超えた先にあるのはただひたすらな雨の音だった。
頭が冷静に鎮静されてゆく。冷たい雨が頭から、体から染みわたり僕の思考を溶かす。
それは嵐の過ぎ去ったあとの凪。
夢だと思おうにも目の前の体温がそれを否定していた。

彼女が顔をあげる。彼女の瞳にうつる僕の顔。
なんて、きれいなんだろう。
穢れのない瞳。そんな瞳で僕の名前を呼ばないで。君の声はどこまでもまっすぐで僕の身体に突き刺さる。


「よく聞いて…」


ダメなんだ。僕じゃ、ダメなんだ。
そう決心して君の手を離したのだから。どうかこれ以上僕の心を揺さぶらないで。


「僕は…僕は君を傷つけるだけだ…君の傍にいて…君を幸せになんてできない…」


違う。本当は…僕が君を幸せにしたかった。君の思う悲しいことや寂しいこと、辛いこと。君を傷つける総てから君を守りたかった。
本当に…ただ、それだけだった。
だけどそれをできるのは僕じゃない。それをできるのは、きっと。


「……だから、僕のことなんて忘れて…君は幸せに……」


いやだ、わすれないで。そばにいて。はなれないで。ずっとずっと僕のことをおぼえていて。
痛い。喉の奥が熱い。こんなにも胸が痛い。早く僕から離れて。僕のいない幸せを、君は。


けれど、君はまっすぐに僕を見ると、首を静かに横に振った。
目に涙を溜め、それでも僕から目をそらさず、僕に言葉をかける。


『君、じゃなくて…名前で呼んで…っ』


名前。…名前?…そんなの、今更どうして。
ほら、口に出すだけだ。彼女の名前は。


「……瑠璃…っ」


絞り出すように答えた、瑠璃の名を呼ぶと突然抑えていた気持ちに歯止めが利かなくなって思うがままに目の前の瑠璃に縋りついた。

瑠璃。瑠璃。どうして…名前を呼ぶだけでこんなにも。…瑠璃。…ああ、そうか。だから僕はいつの間か無意識のうちに瑠璃の名を呼ぶことを避けていたのかもしれない。
瑠璃の名を呼ぶと、もう抑えていた寂しいという気持ちが止まらなくなるから。


忘れないで傍にいて離れないで僕のことを。

あいして。

僕が抑えていた、だけど一番大きな感情。
溢れ出した僕の想いに応えるように、瑠璃は決心した瞳で言葉を紡ぎだす。


『安室さん、私は…』


…瑠璃は?
瑠璃は必死に言葉を探している。だけど僕は急がない。その先を焦ったりしない。
だって、瑠璃はきっとその先を応えてくれるから。だから僕はいつまでも待とう。君が自分の言葉でこたえを見つけるまで。


『私は…あなたのことが』


雨が降っている。僕らふたりを包み込む。頬を雨が伝う感触も何故か今は心地よかった。あるのは僕と、瑠璃と、雨の声だけ。隔離される世界。


『あなたのことが……っ』



そのこたえに対するぼくのこたえを、用意しようと身体中が向かった瞬間、切り裂くような鋭い声が響き渡った。


「瑠璃!!!!」


はっと二人でそちらの方を見た先には、息を切らせ僕を睨みつける世良真純とコナン君の姿。そう思ったのも束の間、世良真純はわき目もふらず僕の元へと走ってきた。

彼女は怒りに満ちていた。だけど僕はそのことを仕方がないことであると受け止めていた。止める気はなかった。寧ろ、友達のためにそこまで想い、怒ってあげられる彼女に尊敬の念すら覚えていた。
きっと彼女は左足で踏み込み、右腕で強烈な一撃を叩きこんでくるだろう。肘を引く。少し位置が高い。顔を殴るつもりだろう。すべてはどうだってよかった。そうなるようになってしまえばいいと思った。

影が僕の前に立ちはだかったのはその直後。そして世良真純が勢いを止められず拳をそこに叩きこんだのが数瞬後。そしてそれが瑠璃であるとお互いが気が付いたのは。








気が付けば、瑠璃は僕の部屋のベッドに横たえられていた。
どうやら僕が運び、あまつさえ世良真純たちを寝室から追い出したようなのだがあまり覚えていない。
ただただ僕は、暗い部屋で瑠璃の冷たい手を握りしめていた。何を考えていたかは分からない。だけどずっと、瑠璃のことを考えていたような気がする。


『……ん…』


瑠璃がか細い声をあげて目を覚ます。反射的に僕は名前を呼んだ。一瞬、瑠璃がもう僕のことを覚えていないんじゃないかという不安が過ったが、瑠璃は弱弱しくもはっきりと僕の名前を呼んで、細い腕を僕の頬へと伸ばした。
冷え切った頬には、瑠璃の手が温かく感じた。


『あむ…ろさん…。着替えないと…風邪…ひいちゃう』


「瑠璃が…心配でそんなことをする余裕もなかったよ…」


今は何の躊躇いもなく気持ちを伝えることができる。ただひたすらに伝えたい素直な僕の気持ち。

暗闇の中、一瞬君の瞳が光って見えたのは気のせいだろうか。


『泣かないで…笑って…?』


瑠璃が泣きながら笑みを浮かべる。僕らの何か満たされていく。それはきっと一人では埋めようのないもの。


「泣いてるのは瑠璃、君の方でしょう…」


つられるように、自然と僕の頬も緩んだ。こんなにも愛おしい。瑠璃が身体を起こし、僕の首へ手を回す。


『……好き』


瑠璃が涙声でこたえを呟いた。僕はどのくらいそのこたえを待ちわびていたのだろうか。目を閉じ、時に身を委ねる。


『私…っ!あなたのことが…っ好き…っ!』


強く抱きしめる。君の名を呼ぶ。
言葉は必要なかった。こうして抱きしめるだけですべてがつながっているような気がした。
この先とか、これまでとか、今はどうだってよかった。今この瞬間が続いていくだけだ。この愛しい愛しい時間を胸の奥で噛み締めながら。


孤独な瑠璃を守りたかった。だけど、孤独なのは、守ってほしかったのは、本当は僕の方だったかのかもしれない。


くるおしいほどに、瑠璃が好き。…愛してる。
もう迷わない。自分の想いを素直に伝えることができる。
もう、自分の気持ちを偽ることはない。
心のままに君を求め、君を感じたい。

満月がそっと僕らを照らす。冷たく刺さるような光じゃない、柔らかな月の光。
瑠璃が僕を見て優しく微笑む。僕はその笑みを快く受け止めながら、そっと瑠璃へと顔を近づけた。





180913

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