山嵐

□よっつ
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買い物を早々に切り返して自宅に向かい、駆り立てられるように煙草に火を点ける。
ぎこちない動きで何度も煙草を吸い込んでみるのに、煙がちっとも深いところまではいってこない。

残るのは舌の上に余る苦い味と、漂う煙の臭い。
ふうと吐き出した息が煙で白く濁る。


『――――……』


…煙草。あの人がいなくなってから、一日だって欠かしたことが無かった。
毎朝起きたときに、襲い掛かる言いようのない虚無感と喪失感。
哀しく輝く蒼い空の隙間を埋めるように、煙草を吸って、無理に煙に撒くしかなかったのに。

それなのに今日の朝、自分は何を考えていた?

煙を吸う。そして吐く。美味しくない味が不愉快にすら感じてくる。

安室さんのことを考えていた。たった昨日であったばかりの人のことで、頭がいっぱいになっていた。
なんて浅はかでなんて弱い自分。また誰かに依存して生きていく?周りが見えなくなるくらいに、馬鹿みたいに誰かを好きになる?―最後には、そんな人たちもみんな、消えていくのに。


首を垂れて項垂れる。頭が重くて上げることができない。

…寂しい。どうしたらいいのか分からない。
安室さんに連絡する。…ダメ、連絡先なんて知らない。そんな関係じゃない。安室さんが私のことをどう思ってるかなんて誰にも分ることはできない。
あの人に会いたい。あの人はどこ?あの人はもういない。消えてしまったから。私のことなんてちっとも考えないで、動けない私を置いてけぼりにして、あの人は消えてしまったから。

結局そう。人間誰だって、最後はひとりなんだ。永遠なんてない。運命なんてない。どれだけこの幸せがずっと続くんだって思っていても、相手がどう思ってるかなんて、未来にことなんて誰にも知りえないことなんだから。


『………帰りたいよ…』


何も考えなくて、ただ追いかけていればよかったあの頃に。
毎日どこか不安で、だけど好きで。あの人のことだけ考えていれば良かったあの頃に。

…ないものねだり。あの頃はあの頃でそれが苦しくて抜け出したかったくせに…。
だけど今思うとそんなこと贅沢な悩みだった。あの人がいなくなるなんて考えもしなかった。だから傍に居ることが当たり前で、更にその上ばっかり求めてた。
あの人がそこに居るだけで。この世に存在してるだけで良かったのに。
だけどもうそんな最低限の幸せだってどこにもない。…あの人は死んでしまったから。

…いつものように。…あの桜の木の下で。あの人を待ってた、私。
雪がちらつくほど寒くて、私は自分の身体を自分で抱きながらあの人のことを待ってた。
最近随分と忙しそうで、だけどやっと会えそうだからと約束してたあの日。

酷く寒くて冷たくて。約束の時間になっても連絡すらつかないことにいいようのない不安を持て余していた私の前に、一台の車が停まった。

誰だろう?と思っている私の前に、車から降りてきた女の人が近づいてくる。そして私にこう言う。…あの人は、死んでしまったのだと。

あの日の光景が鮮明にフラッシュバックしてきて、思わずその場に座り込んだ。これは紛れもない現実。毎日陽が昇って沈むのと同じようにその時はやってきた。その日はなにがなんなのか訳が分からなかった。人が死んだ。それがどういうことなのか、理解できていなかった。

だけど日が経つにつれ、それは逃げられない現実となって私に襲い掛かってくる。連絡は普段からあまり来ない方だったが、もう永遠に来ることはない。朝起きて、寝ぼけながら連絡が来ていないかなぁと考えてみても、連絡が来ることはなのだ。永遠に。

人がひとりいなくなるって、そういうこと。どうあがいたっていないものはいないんだ。何かの拍子にもう一回現れたりとか、そんな希望は欠片も残らない。


…だからもう。戻れないから。こんな痛くて苦しいのは嫌だ。だって永遠なんてないの。未来なんてない。嫌だ。嫌だ。嫌だ…。

安室さんもきっと…。いつかいなくなる。もうこれ以上、痛みを感じるのは、嫌。誰かに助けてほしい。誰にも助けられない。あの人のいない現実なんて、どうあっても幸せになんてなれない。


喉が熱く焼け付く。もう駄目。なんとかバランスを装っていたって、一度崩れたらもうめちゃくちゃ。私はそんな強い女じゃない。割り切れる大人でもない。どうして付き合ってたか、だなんて。そんなの決まってる。

相手が私をどう思っているだとか、そんなことじゃない。自分が好きだから、どう思われてようが好きだったから付き合ってた。ただそれだけ。

ふと桜の木の下に立っている安室さんの姿が浮かぶ。彼は桜を見ているのだろうか。今頃なにを考えて、私のことをどのくらい心にいれてくれているんだろうか。
…きっと微塵も考えていないだろうけど。そんな現実始めから期待しない方が楽だ…。

…行けない。会えない。あの場所には。
私はあの人との思い出の場所でなんてことをしてしまったんだろう。思い出を上から塗りつぶせば楽になれるとでも思ったのだろうか。

私にとって…あの桜は思い出の場所。大切な場所。あの人との、唯一のつながりの場所。
新しい出会いを行う場所じゃない。私が愛してのはひとりだけ。この人の為に生きて、この人の為に死んでもいいと思えるくらい誰かを好きになったのはあの人だけ…。


開け放しにしていた窓から、春の冷たい空気が流れ込んでくる。夕陽の差し込む部屋はほの暗く、赤に染まる。

動けない。どこにも。
こつんと顔をあげて、壁に頭をぶつけると新しい空気が顔を洗う。
涙に濡れた頬が夕陽を反射して、キラキラと赤く輝いていた。







161012

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