山嵐

□ここのつ
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いざ自分の部屋の前に立って、ドアを開けようとするとたちまちどきどきと心臓が鳴りだした。
別に何か変なことをしようとか、期待しているとか、そんな気持ちで誘った訳では無い。
ただ少しだけ寂しくて傍に居たかったから誘っただけなのだが、どうにも。


『…どうそ、散らかってますけど』


「すみません、お邪魔します」


あの人以外の男の人を部屋に上げるなんて、いつぶりだっけ?
少女時代のようにドキドキしてしまっている自分に少しだけ笑いそうになった。


リビングに案内して、とりあえずソファーに座ってもらう。掃除していて良かった。じゃなきゃとてもじゃないが安室さんを部屋に招くことなんてできない。


「…意外とシンプルですね」


『そうですか?でも私が人形とか沢山置いてる部屋って、似合わないでしょ』


流石は安室さんだ、人の部屋をじろじろとあからさまに見渡すような不躾なことはしない。
だけどきっと彼の観察眼なら色々見られてるんだろうな、だけどそれを感じさせないからある意味安心で、ある意味不安でもあるのだが。


『どうぞ』


「ありがとうございます」


コーヒーを置くと、どこに座っていいのか少しだけ迷った。
安室さんの隣は空いているのだが、そもそも大きなソファーではないので座るとどうしても距離が近くなってしまう。
…これは座るべき?でも…別のとこに座るのもなんだか…。
そんな一瞬の狼狽すらお見通しなんだろう。安室さんはくすりと笑って隣の席をぽんぽんと叩いた。


「別に襲ったりしませんよ」


安室さんの声はどこまでも優しくて、私を安心させる。
この人の前ではどんな強がりも、見栄も無意味なんだろうな。ほっと肩の力が抜けて、安室さんの隣に腰を下ろした。


「美味しいですね、このコーヒー」


『そうですか?これ、この間言ってたショッピングモールの近くにあるお店なんですけど、私の行きつけなんですよ。今度一緒に行きませんか?』


「凛さんからデートのお誘いとは嬉しい限りです」


『で、デートって…そんな』


そんなことわざわざ口に出さなくてもいいのに。急に恥ずかしくなって誤魔化すようにコーヒーを飲む。


「可愛いですね」


『はっ!?』


思わず含んだコーヒーを吹き出しそうになる。あからさまに反応する私が可笑しいのか、安室さんは楽しそうに喉を鳴らして笑った。


『もう…安室さんは意地悪です…』


「そうですか?僕は思ったことを言ったまでですよ。君は…」


何かを言いかけようとして安室さんは口をつぐんだ。不思議に思って安室さんの方を見る。


『私が?』


先を促すと安室さんは少しだけ息を吐いて、ぽんぽんと頭に手を乗せた。


「とても強い殻で、とても弱い部分を隠してる。だけど…弱い部分が本当に弱いのかって言われたら…そうでもないんだけど。強いようで、強くない。淡白じゃなさそうで、意外と淡白だ。…とても不思議な人」


別に馬鹿にしてる訳じゃないよ、と安室さんは付け足した。安室さんの言っている意味はあまり分からなかったけれど、私に対するイメージがそうであることに驚いた。


『…別に私、そんな複雑な人間じゃないです。もっと単純で馬鹿なんですよ。そういうとこ見られたくないから必死に器用なふりをしてるだけで』


それは別に自分を過小も過大も評価をしていない、客観的な意見だった。単純で馬鹿だから、振り向いてくれない人をずっと追いかけて、自己嫌悪に悩まされて、だけど未だにあの人のことを引きずっている。
じゃあ、私にとって安室さんは…?
どこかで聞こえた自分の声を無視するかのように、熱いコーヒーを流し込んだ。


「僕は凛さんのそういうところが好きなんですけどね。…真っ直ぐで助けてあげたくなる」


どこまでも優しんだ、この人は。
その優しさにほんのり胸と頬が温まった。

しばしの沈黙が流れた。だけど気まずい訳じゃ無い、どこか居心地のいい空間。


「…ん、凛さんの鞄、何か入っていませんか?」


『え?…ハンカチ?誰のだろう…』


「凛さんのではない?」


『ええ…私のはこっち。会社の誰かの持って帰ってきちゃったのかな』


外ポケットから青いハンカチがはみ出していて、それを引き抜く。こんなの誰か使っていたっけ?男物っぽいけど…。なんとなく匂いを嗅いでみると、なんだか懐かしいような、どこかで嗅いだことのあるような…そんな匂いがした気がした。


「見つかると良いですね、…じゃ、僕はこの辺で失礼しようかな。ごちそうさまでした」


『もう帰っちゃうんですか?』


「誘ってるんですか?」


一瞬、安室さんが私の顔を引き寄せて頬にキスをした。あまりに一瞬のことだったので思考が追いつかなかった。


「夜は冷えますから、風邪を引かないように。また連絡します。おやすみなさい」


目をぱちくりさせることしかできない私にふっと笑いかけて、安室さんは部屋を出ていった。まるで嵐の過ぎた後のようだ。さっきの一瞬を反芻して途端に頬が赤く染まった。


『もう…、馬鹿みたい…』


たかが、ほっぺにキス、がこんなに嬉しいなんて。
恥ずかしくて、だけど嬉しくて、物足りない気持ちもちょっとだけあって…胸がこそばゆい。
部屋に溜まった熱を逃がすように窓を開けると澄んだ春の風が部屋に入り込んだ。…春の匂いがする。なんて心地よい。

なんとなく煙草に火を点ける。今日はなんだか気持ち良い。いつものねっとりとした煙草の味じゃない。懐かしくて、乾いていて、現実的で、熱くなり過ぎた胸を心地よく冷ましてくれるような、そんな味。

フー、と吐いた煙の匂いにはたりと気が付いた。懐かしい?どこかで嗅いだことのある?

あのハンカチ…この煙草と同じ匂いがする。と。





170214

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