山嵐

□とお あまり やっつ
1ページ/1ページ





蝉が鳴いている。




いつもより少しだけ早い時間に目が覚めた。頭の混乱が完全に解けた訳ではなかったが、心の方は幾分落ち着いたようだ。


頭を働かせることが煩わしくて敢えて何も考えないようにしながら身支度を整える。家にいてぼおっとしていると訳が分からない気持ちに押しつぶされそうだった。

昨日はあんなにも透さんに会いたかったのに、今は透さんが出張に行ってて安心した。もし透さんが今ここにいたなら私はどうやって、どんな自分で透さんと話していただろうか。考えただけでも気が遠くなりそうになる。



いつものカフェに行き、昴さんの姿が見えないのを確認してから席に着いた。熱めのホットコーヒーを頼んで緩慢な動きで煙草を取り出し火を点ける。



久しぶりの煙を舌の上で転がす。心の中で透さんにごめんなさいと謝った。煙草はもう吸わないって、あの時約束したのに。…ごめんなさい。だけど、今日この一本だけ。


ふ、と一度大きく息を吐くと、様々な思いが急にとぐろを巻いて襲い掛かってきた。透さんのこと。昴さんのこと。昨日のこと。秀一のこと。

ひとつひとつ、確かめるように考えを浮かばせていく。一度に考えると頭がパンクしてしまう。始めに浮かんだ昴さんの顔に大きく溜息を吐いた。


昨日のは一体何だったんだろうか。


頭が考えることを拒否していた。考えてもどうしようもないことだと分かっていたし、考えたくもなかったけれど、考えずにはいられなかった。


………。


秀一は死んでいなかった。生きていた。

そして、現れてしまった。二度と会うことはないと思っていたのに。
秀一が現れてしまったとしたら、私のこの約半年は一体何だったんだろう?

とても辛い毎日を過ごした。朝目が覚めるだけで憂鬱で、今までのことを思い返していると眠れない夜だって幾夜もあった。
何が駄目だったんだろう。どこで間違えたんだろう。どうしてこうなったんだろう。
応える人のいない問いをいつまでも自問自答し続けていた。

だけど。

だけどどこかで、秀一との別れが「死」であることにホッとしている自分もいた。それがすごく不謹慎で自分勝手なことだというのは分かっていたけれど、それでも秀一が自ら別れを伝えたのではなく「死」で「仕方のないこと」であったことにホッとしていたんだ。

でも秀一は生きていた。それはつまりあの「別れ」は「仕方のないこと」では無かったのだ。秀一はただ手段として「死」を選んだだけだったのだ。

それってつまり、私って。

……私って秀一にとってなんだったんだろう?今まで考えないように遠ざけていた疑問が現実的な刃となって心を啄んでいく。

そんな程度。そんな風に思われるような女だったんだろうか。
普通に別れを告げるだけでは駄目だと思われるような女だったんだろうか?

……。ただ、好きだっただけなのに。
ただ傍に置いて欲しかっただけなのに。

だけど…秀一にとってそれはただの「面倒な女
」でしかなかったって…そういうこと。



ふと視線を下ろすと、煙草はとうに灰になり熱めのコーヒーは既に温くなっていた。
随分長い間ぼおっとしてしまっていたらしい。冷めきったコーヒーを一口啜ってからカフェを出ていく。

…今日の晩には透さんが帰ってくる。
それまでに…なんとか気持ちを整理しないと。
透さんの顔を思い浮かべると、何とも言えないようなもやもやとした気持ちが胸の奥に広まった。




透さんは私の仕事が終わるくらいの時間にこちらに戻ってくるようだった。
身体がしんどければと遠回しに逢瀬を延ばしてみたがどうやら逆効果だったらしい。
透さんの目には私はさぞ甲斐甲斐しく自分の寂しさを顧みず相手のことを考える彼女だと映ったことだろう。
けれどそんなのはまやかしだ。私は所詮自分のためにしか動くことができないのだ。


1日ぶりに会う透さんは流石に少し疲れて見えた。
いつも通り。つい一昨日までと何も変わらない筈なのに透さんがどこか遠い世界の人のように思えた。
透さんといるのは楽しくて、やはり満たされたけれどそれを心から楽しめていない自分もいた。
透さんは泊らせたがったが流石にやんわりと断った。どんな気持ちでどんな顔で事に及べばいいのか分からなかった。透さんは少し残念そうにしていたがゆっくり休んでねと帰してくれた。


『……透さん』


「ん?」


帰り際に思わず呼び止めてしまった。何を伝えようとしたかは分からない。今すぐその大好きな胸に飛び込みたいのにそれをできない自分に罪悪感を感じたのかもしれない。

透さんはそんな私の気持ちをどう汲み取ったのか、酷く優しげな手つきで私の頭をぽんぽんと撫でた。


「そんな顔しないで。今日はゆっくりお休み」


『…………』


私がどうあっても透さんは優しかった。たかが過去のことで動揺している自分が情けなくて涙がでそうになった。
やっと透さんの瞳を見ることができた。私がこんなんじゃ、ダメなんだ。迷うのはやめよう。きちんと気持ちに整理をつけにいこう。


『透さん、…また明日。おやすみなさい』


「うん、お休み」


明日はきっと、今までの自分に戻ってこれるだろう。小さくなっていく透さんの背中を最後まで見届けた。そして歩き始めた。間違いを正すために。切り離された過去を繋ぎ、そして切り離すために。


夜だからか、蝉の音は聞こえなかった。
頬を撫でる生温い風を感じながら、ゆっくりと工藤邸のインターホンを押した。




170803

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ