山嵐

□はたち あまり みっつ
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インターホンを押すと、扉を開けて迎えてくれた透さんがいつもより優しく感じた。
いつ戻りソファーに座ると、色んな想いが駆け巡る。秀一のこと。昴さんのこと。これからの未来のこと。

これからの未来?

私は透さんと付き合っているのに、どうしてこれからの未来のことで悩んでるんだろう?


「はい、ホットカフェラテ。珍しいね、甘いのが飲みたいなんて」


『…ああ、うん…。たまにはね』


何故だが無性に煙草の匂いが恋しくなる。この清潔な部屋には似合わない程の煙が欲しい。この人は綺麗すぎる。


「…凛は最近、いつもそうだな」


『え?』


どうして私はこの時の透さんの笑顔に何も感じなかったのだろう。もう少し透さんについてちゃんと考えておけば分かりそうなものだったのに。

だけどこの時私はまだ、透さんの隠し持った針に気が付かないでいた。


「ここ最近、凛は帰ってくると心をどこかに置き忘れてきたみたいな顔をしている」


私は透さんの言っている意味が分からず、不可解な顔をしていたんだと思う。透さんの顔は笑顔だ。


「勿論、時間が経てばそんなこともなくなるんだけどね。でも、最初からじゃない。…仕事のことかなって最初は思ってたんだけど」


遠回りな表現が何か苛立たしい。そうだ、この人は私の手を強引に引いてはくれない。秀一みたいに振り回すようなこともしないけれど、私の手をを考える暇もないようなくらい強引に掴んで連れてってもくれないんだ。
いつもいつも、そっと手を添えて私が動き出すのを待っている。…違う。私はそんな、頭の良い人間じゃないのに。


『…何?』


言葉が少し刺々しくなってしまったかもしれない。相変わらず透さんは笑顔で少し気後れする。耐え切れずに視線を逸らす。何?何が言いたいの?先程の秀一のことが不完全燃焼だったことも相まって苛烈な感情が湧き上がる。


「いいや、やめよう。なんでもないよ。今日は何してたの?」


透さんの周りの空気がふっと軽くなった。けれど私の悶々とした気持ちは消えてくれない。苛々を隠せないまま答える。


『カフェで新聞読んでた』


「ひとりで?」


『そうだけど。何?さっきか…』


怒りの視線のまま、透さんを見た瞬間背筋が凍り付いた。
透さんの顔は無表情だった。先ほどまでの笑顔は仮面が剥がれたように跡形もなく消え去っていた。そこで初めて透さんの異変に気付いたのだ。だが、頭がもう手遅れなのだと警告していた。


「……沖矢昴…」


聞いたこともないような冷たい声で言われ、さっと血の気が引いていく。なんで?どうして、いや、そんなことよりどうしよう。そうだ、透さんとの約束…。


「手も繋いでたね。…駅前の、いつものカフェ」


手?頭の中が熱い。手なんて繋いでたっけ?震える自分の手を握った瞬間、強く握られた左手に微かに痛みが走った。ああ、そうだ、あの時。違う。これは。だけど、何て言えば。


『あ…あ、れ…は…』


言えない。何から話せばいい?昴さんは、つまり秀一で、でもそんなこと透さんに話すわけにもいかないし、話したところで元カレに会っているという事実になるだけなのだ。でも望んで会った訳じゃない。あれは仕方なかったんだ。…本当に?私から誘ったのに?

身体中が震える。声がでない。考えが纏まらない。


「……何も答えないんだな」


そう言った透さんの声は、心底私に失望したような声だった。得体のしれない恐怖が私の首に巻き付く。どうしたらいいのか、何もわからない。大海に放りだされたような途方もない絶望。


「…もう、いい。暫く距離を置かないか。僕も気持ちの整理がしたい」


そこから透さんの部屋からどうやって帰ったのか、あまり覚えていない。
ぎゅうぎゅうと胸の辺りが強く締め付けられてるみたいで苦しい。誰か、誰か助けて。どうすればいいのか。…秀一?駄目だ、彼は私のことなんてやっぱり見てはくれない。彼が見ているのはいつだって私じゃなくて、その先のもっと遠い何かなのだから。


ひとりぼっちだ。


家に帰っても何もできず、ベッドに倒れ込むと次々に色々な感情が襲い掛かってくる。
どこから間違ったんだろう。
透さんの冷たい瞳を思い出すと心臓が止まるような思いがした。

透さんは気が付いていたんだ。
最初はそれでも許してくれた。私が秀一のことを考えるのは仕方がない、それでも構わない、って。
そんな優しくて私を支えてくれた人に、私はあんな瞳をさせてしまったのだ。

そんな透さんが唯一私にお願いした約束。煙草を吸わないこと。昴さんに会わないこと。
なのに、私はふたつとも破ってしまった。透さんの愛を踏みにじってしまった。

秀一に気を引かれてた?

そんなの、いくら昔のことがあったからと言って言ってしまえばただの移り気なのだ。
それに、見ないようにしていたけれど、私は過去の秀一じゃなく、未来の秀一との夢を見ていた…。本当は。


涙が伝うと、ベッドにそれが沁みていく音がする。
涙の音だ。がちがちと奥歯がなっている。寒い。そして、恐ろしい。先の見えない真っ暗な現在。頬を涙の粒が伝う感覚と、それの沁みる音がやけにリズミカルだ。だけど、ひとりぼっちだ。


『…ごめんなさい…』


ああ…この言葉を言えば良かった。だけど、……。…透さん。

私はただ、真っ暗な部屋に蹲りながら、届くはずのないごめんなさいの言葉を繰り返していた。




171110

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