山嵐

□はたち あまり むっつ
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夏が終わるんだな。


夏の匂いを未だ少しだけ含んだ冷めた風が首筋を通り抜ける。
火照った頬を、身体を冷ややかな風が撫でてゆく。気まずそうに向かいに立っている秀一はまるで叱られている子どものようにむくれていた。
それは拗ねているようにも見えた。


『…大丈夫なの?その格好…』


何から話すべきか迷った挙句、とりあえずその姿について質問してみる。
秀一の格好は「赤井秀一」だった。こんな誰が見ているかも分からない場所で「赤井秀一」が存在していて大丈夫なのだろうか。


「いや…拙い。だけど」


らしくないくらい秀一の声は弱々しい。


「今日は嘘のない姿で会った方が良い気がした。…いや、俺がただ偽りたくなかっただけだな。この場所で、凛と会うのには」


この場所。全ての始まりの場所。
いなくなった秀一が、もう一度あの姿でここに立っている。分かっていてもあまりの非現実的なことに軽い眩暈を覚える。

だけど秀一の言葉の意味も、なんとなく分かる気がする。それくらいこの場所は私にとって、秀一にとって神聖な場所だということだ。


『そう…だね。私も。この場所では…素直でいたい』


自分でも分かるくらい自分の声は凛とした意思を持っていた。当然それは秀一にも伝わったようで、秀一は少し動揺したように視線を逸らした。

分かっているのだ、お互いに。
もうどうにもならないことを。そして、それが遂に、本当に終わりを迎えようとしていることを。


『…秀一。私ね…』


「言うな」


秀一が私の肩を止めるように掴む。言ってしまったら、もう本当に戻れなくなるから。
だけど私は秀一の手を取り、肩からそれを外した。そして首を横に静かに振った。

私は言わなくちゃならない。全てを失ってでも、希望を断ち切っても。
私たちはあまりに不器用で、不完全なままひとつになろうとし過ぎた。いつかくる破滅から目を逸らし続けてでも依存していたかった。
それくらい大切だった。大好きだった。


『初めて会った日…運命って本当にあるんだなって思ったよ。こんなに誰かのことを好きになれるんだなあって。本当にね…寝ても覚めても私、秀一のこと考えてた』


私の人生は秀一一色になった。もう他のことなんてなにも目に入らなかった。


『秀一のために何かをしてあげたい。ずっと傍に居たい。気持ちの根本はそれだったけど…私は幼くて、もっと不器用で、ちゃんとそういう愛情を秀一に伝えもしないのに愛されたいって求めてばっかだったよね』


「それは俺も」


『うん…私たち、不器用過ぎたよね』


言わなくても、こんなに想っているんだから伝わると心のどこかで思っていた。
だけど、私たちはテレパシーの使える宇宙人じゃないのだ。当然想うだけでは伝わらない。
なのにお互い当たり前のように伝わっていると感じていた。だけど伝わっていなかったから自分ばかりが愛しているような錯覚に陥って破滅へと向かったのだ。

もっとちゃんと、愛せばよかった。
ううん…それをちゃんと表現するべきだった。


『本当だよ…今更だけどね。秀一がいなくなって、自分の半身が無くなったような喪失感に襲われて…死のうとしたことも』


秀一は何かを言いたそうにしていた。だけど、何を言っても無意味なことを察していた。


『ここで会って…連絡先交換して、付き合って…』


声が掠れそうになる。


『色んなとこドライヴ連れてってくれた。秀一が覚えていないようなどうでもいいことだってまだ覚えてる。幸せだったなぁ…』


あの時と、同じ場所。同じ空間。だけど、時は同じじゃない。


自然な沈黙。次の言葉を言うのに少しの躊躇いが必要だった。
だって、誰よりも愛していたから。別れの言葉はそうそうすんなりとでてこない。


風が吹く。唾をゆっくりと飲みこみ、短く息を吐く。


『もう…あの頃には戻れないよ、秀一』


秀一は酷く寂しそうな目で見ていた。なんで、とか、どうしても、とか、言いたいことはあったろうに、だけどそんな言葉では説明できるものではないということを分かっていた。

私の世界は秀一に会って変わった。
私のすべては秀一だった。
だから。


『不器用で…だけど優しくて。意外と寂しがり屋で。そのくせ甘え下手。秀一…。そんな秀一が私…大好きだったよ…』


だから私たちはもうお別れなのだ。


ああ、と秀一が短く呟いた気がする。風の音が、木の音と混じる。たった今、世界のここで、ひとつの終わりが生まれた。

どう引き延ばしてでも一緒に居たかった。
私たちは運命に頼り過ぎた。

秀一は背を向け、無言のままその場を立ち去ろうとする。だけど一瞬だけ立ち止まり、振り返って私の目を見て言った。


「凛。…ありがとう」


刹那、桜の花弁が散った気がした。
手を延ばさない。お別れだから。例え届いたとしても。


『ありがとう…』


どっ、と大木にもたれ掛った。再び涙が溢れ出る。空を仰いでも止まらない。言いようのない喪失感。だけど、辛い訳じゃ無い。ひとつの物語の終わりというものは何時だって達成感と空虚が入り混じるものなのだ。

空が眩しい。眩しい日を受けて、涙がきらきら流れ落ちる。今は、泣けばいい。あの時涙も出なかったから。気持ちなんて隠す必要はない。寂しくなってもいい。悲しくなってもいい。全部曝け出して、吐き出してしまえばいい。

枯れることの知らない涙が流れていく。
世界は廻る。何食わぬ顔で、風を時折吹かせながら。

背中越しの大木だけが、今も昔も変わらずどっしりと腰を据えてここに立っているような気がした。




171230

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