山嵐

□むすび
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『零君、ほら見て。あれ、ほら』


私は透明のアクリルで区切られた向こうを指さした。可愛らしいラッコがお腹の上で石をぶつけて割ろうとしている仕草が目に入る。


『賢いよねぇ。あはは、可愛い…キャッ!』


もっと近くで見ようと近づいた時、隣のアザラシが水の中に勢いよく潜ったせいで水しぶきがかかってしまった。零君は大丈夫?と慌ててハンカチを取り出す。
有難くハンカチを受け取りながら改めて零君の姿を見直す。秋らしく、黒のデニムズボンに白いシャツと茶色のベスト合わせて、赤いミリタリーベレーと薄い色のサングラスをかけている零君はまるで雑誌のモデルのようだ。本人は目出たぬように帽子とサングラスを着用しているつもりなのだろうが、彼のイケメンさをより一層引き出してしまっていることに本人は気が付いていない。

そんなイケメンの零君とどうして動物園に来ているかというと、それは、つまり、甘いデートという訳ではなく零君の仕事の一環の訳なのだが、私はそんなことも気にせずに結構楽しんでいた。


「悪いね、こんなことに付き合わせて」


『ううん、楽しんでるから。私にとってはデートだし』


彼が警察、それも公安警察で安室透という名も偽名だと聞いた時は本当に驚いた。そしてそのことを教えてくれたという事実にも。きっと巻き込んでしまうとか、狙われるだとか色々リスクをひっくるめた上で話してくれたんだと思う。そのことを伝えたあと、零君は真っ直ぐ私を見て「俺が守る」と言ってくれたから私はこの身を零君に預けることにした。

今日は名目上は仕事の下見ということらしい。詳しいことは知らない。が、わざわざこんな場所での「下見」を零君に任せられている辺り、これは公安側の零君に対する配慮なのだろうと思っている。

零君は忙しい。仕事が重なった時は同棲していても言葉を交わせない日が2.3日続くこともある。


「降谷さん!」


「ああ」


零君の直属の部下である風見さんが相変わらず厳しい表情で近づいてくる。今日は2人きりのデートではない。零君の部下がポイントに分かれてこの動物園を探索しているらしく、少し見渡せばもう知った顔が目に入ってしまう。
だけど、仕方ないし、というか実際あまり気にならない。みんな上手く極力邪魔をしないようにしてくれている。実際話しかけてくるのは伝言役でもある風見さんだけだし、大体のことは電話で何とかなる。


「凛さん、こんにちは。すみません、邪魔をしてしまって」


『いえ!そもそもお仕事ですから』


とんでもないというように胸の前で手を振ると、風見さんの瞳がハッとした。


「入籍…されたんですね」


『え?あ、…はいっ』


どうやら左の薬指につけた指輪を見られてしまったらしい。改めて指摘されるとすこし恥ずかしい。というのもこの指輪とプロポーズの言葉を貰ったのはつい最近で、まだあまり実感も無ければ言われることに慣れてもいない訳で。


「挙式はされるんですか?」


『うーん…したいですけど…ねぇ?』


「中々タイミングがな。それにどの位の規模にするか、とかまだ決めてないし」


「降谷さんが声をかければ公安中の職員が集まりますよ」


「そもそもそれが、な。そうすると凛の友達が来づらくなるだろう?どちらにせよ風見、お前は呼ばないからな」


「な、何故ですか!」


「お前は酒癖が悪い」


軽口なやりとりに思わず吹き出して笑った。零君の周りは素敵な人ばかりだ。それは零君の不思議な魅力がそういう人を集めるんだろう。そして、私だってその魅力に魅せられた一人だ。
何気ない光景が愛おしく感じる。私にこんな素敵なことが沢山起こっていいのだろうか。こんなにも素敵な旦那さん、部下の皆さん。私の手は無意識に自分のお腹を擦っていた。


「…と、まぁ報告は以上です。お邪魔しました。私は失礼いたします」


「ああ、何かあればまた連絡してくれ」


去っていく風見さんを見送って、再びデートを再開する。歩き回って少し疲れたから、アイスクリームをひとつ買って、ベンチに座って二人で食べた。




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