短編

□好きです、先生
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「ここがこうなって…Xがでてくるから、この式に代入して…」

『………』

低く素敵な声に酔いしれるようにその言葉に耳を傾ける。
嗚呼…なんてあなたはかっこいいんでしょう…先生。
あなたのことを考えると…受験生瑠璃、なにも頭に入ってきません先生。
瑠璃は受験生にあるまじきことを考えながら大きく息を吐いた。



「分かりましたか?…ではこの問題は?」

『えっと…X=3…ですか?』

「違います…どうも最近ぼーっとしているみたいですね」

そりゃあなたのことばかり考えてますから。なんてことはもちろん言えず、そうかなぁ、ととりあえず濁してみせる。
だってもうあなたが私の隣に座っているという事実だけでご飯3杯はいけちゃうもの。

週2回、同じ時間に来る家庭教師の安室先生。
ある日学校から帰ってきたらリビングでお母さんと話していた。
初めて見た時から何この人イケメンと思っていたが、お母さんにどちらさん?もしかして浮気相手?今流行りの昼顔妻ですか?と聞くとあらあんたの家庭教師よと言われ昇天しかけたのは恥ずかしい思い出である。

最初の方は見ているだけでかっこいいくらいにしか思っていなかったのに…優しい話し方、頭の良さ、礼儀の正しさ。すべてが私を惹きつけ気持ちがどんどん溜まっていって今に至る。

「どうかしました?悩み事でも?」

『え、いや…悩みというか』

悩みでしかないんだけど。だってドキドキしてしまうんだもの。

「なにかあるなら話してくださいね…。ほら、話すだけでまたなにか変わるかもしれませんよ。話したくないことならいいですが」

にっこりと爽やかに笑いかける先生。…くそう、かっこいい。ふざけんな!優しくしないでくれ、とほんのり赤くなってしまった頬を隠すように視線を背ける。

『あ、あのぅ……先生は…その…初めてのキスとか…いつだったんですか』

待って自分何聞いてるの。思考回路が正常じゃないんだけど。先生は目をぱちくりとさせていたがくすっと吹き出すように笑い始めた。

『わっ!!笑わないでくださいっ!』

「すみません…なんだか一生懸命言う姿が可愛らしくてつい…」

かかかか可愛らしいだと。心拍数がもう尋常じゃないよ私。たぶん今病院とか行ったら即入院だよ。

「…最近悩んでること、ってもしかしてそのことですか?」

『え…えぇ…と…近いようで近くないような……』

「瑠璃さん、今彼氏は?」

『いないです…今までもこれからも』

うわつい不吉な未来のこと言っちゃったよと漏らすとくすくすとまた先生は楽しそうに笑った。

「意外です…瑠璃さん、おもしろいし顔立ちも可愛らしいからてっきり」

『もうあの…やめてくださいなんか恥ずかしいんで』

なんでこの罪作りな男はさらりとそんなこと言うんだろう。ホントにやめてください。だってドキドキすればするほど、後が辛いんだもの。

「ま…でも周りは気にしなくていいと思いますよ。必ず瑠璃さんのことを好きと言ってくれる男の人はいますから」

なにその自信。だけどそんな人、先生だけでいい。それでもとりあえずそうですかねぇと相槌を打っておく。

『先生は…今、彼女とかは』

「残念ながら…。僕、本当に全然モテないんで…」

嘘をつけ。モテないはずがない。先生なら取っ替え引っ替え女の人がいるはずだと思う。もうこの際たくさんいる女の人の中のひとりでいいから先生の中の女になりたい。…無理なんだけど。先生と教え子という壁は中々に高いのである。

「では…授業の続きをしましょうか」

先生は私のこと、なんとも思ってないんだぁ…なんて考えながらプリントに視線を下ろす。もしかしたら私の気持ちにも気づいてるのかも…それできっと気づかないふりしてるんだ…有り得る。

辛いなぁ…。先生にとって私はただの教え子でしかないもんね。

思わずシャーペンを動かしていた手が止まってしまう。と、先生は不思議そうに私の顔を覗き込んだ。

「なにか分からないところでも?」

…もう駄目だ。だって今この瞬間だって泣きそうなくらい先生のことが好きなんだもん…。私の顔を覗き込む先生のことをこれからも先生として見なくちゃいけないなんて辛すぎる。

『ねぇ、先生』

つぶやくように言葉を漏らせばなんだい?と返ってくる声。

『この問題、全部自力で解けたらキスしてくれる?』

一瞬の沈黙。ああもう私終わった。軽く冗談できな感じで受け取って欲しかった。

「いいですよ。全部自力で解けたら、ですけど」

予想に反して返ってき返事。思わず先生の方をみるといつもどおりの爽やかな笑顔。
あまりにいつもと変わらない涼しげな顔からは、それが本気なのか、はたまた冗談なのか私には分からなかった。




…10分後、全身全霊をかけたプリントを提出する。ドキドキと心臓を高ぶらせながら先生の方を見る。
これでも仮に合ってたとして…ホントにしてくれるの?本気だと思ったのかい?なんて言われたらどうしよう?でも…それでもそう言われた方がマシなのかもしれない。今後のためにも。

「…残念。一問だけ間違えてたね」

ほっと息を吐く。安堵と落胆、これはどっちの溜息だろう。

その時19時を告げる時計の音がして、はっと時計を見上げた。

「じゃ、今日は此処まで。これ、次の週までの宿題です」

いつも通り、なにも変わらない事務的なやりとり。先生は、私があんなこと言っても動揺すらしないんだ。やっぱり大人で、なんだか自分が恥ずかしい。

席を立って上着を羽織る先生。もう終わっちゃった。私も先生を見送るために立ち上がる。

私の部屋の扉に向かう先生を追いかける。すると、あ、と先生は小さく声を漏らした。

「瑠璃さん、ちょっとこっちにきてくれませんか」

『はい?なにか忘れ物でも――っ!?』

くいくいと指を振られ先生に近づくとちゅ、と額に落とされた唇。え、今何されたの私。

「早く全問正解してくださいね」

続いてにっこりと爽やかな笑顔でそう言うと先生は部屋を出て行った。頭がうまく回らなくなってへなへなとその場に座り込む。

ドアの向こう側でお母さんと先生が話してる。今日も娘がお世話になりました。全くお世話になったとかいうレベルじゃない。瑠璃さんは理解力が早いので助かります。そんなことないよ先生何言ってんだ。

震える手でそっと額に触れてみる。こ、ここにさっき先生が…ちゅ、ってした…ちゅってしたよ…!どどどどどうしよう。ダメだ私過呼吸。ひっひっふー。吐かなきゃ吸えないとか今はそんなこと言ってる場合じゃない。

あら、あの子見送りはしないのかしら。すみませんお母さん。私今ここで過呼吸おこしてます。瑠璃さんさっき復習してましたから今日はお部屋で…。復習なんてとんでもない。あの子もやっと勉強する意欲が沸いてきたのね。…それどころじゃないよ私。

かちゃんと扉が閉まる音がする。だってだって先生だって先生だって。は、早く全問正解してくれってどういうことなの。顔が熱い。私来週大丈夫なのだろうか。

熱い中でも更に熱を持っている額にもう一度触れる。どうしよう、先生のこと好きすぎてどうしよう。今夜は眠れそうになさそうである。好きです先生。私の先生の気持ちはもう今後、抑えられそうにない。真っ赤になりながら瑠璃はそっと息を吐いた。



140927

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