短編

□無垢な忠誠心と
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待って!!いかないで!!!


私は必死に手を伸ばす。暗闇の中に飛び込んでゆく、彼女の方へ。


待って!!お願い!!どうして!?ねぇ!!


私の足は絡まって、もうそこから先へは進めない。友達の背中だけが小さくなっていく。私はただ、必死に声をあげつづける。


アンタもいつか……


振り返った彼女は憐憫の眼差しでこちらをみていた。私はその姿を座り込んで見ることしかできない。


お前も…いつか……


いつの間にか、その姿は背の高い、男の…私の主である秀一様の姿に変わっていた。彼はゆっくりと私の方へ近づいてくる。彼の手が私の頬に伸びる。


秀一……様……?


近づいてくるのは手だけじゃなくて、そして、彼の顔も近づいてきて、それで………












『……………』


重い瞼を上げると、そこは見知った、それでもよく慣れていない秀一様の部屋だった。

私……どうして……こんなところにいるんだっけ…


『………あ……』


そうだ……もう、あの子は……。
再び悲しみをとらえ始めた思考に、また涙が溢れだした。
もう、あの笑顔を見ることも、楽しく喋ることも、できないんだ……。
枯れることを知らない涙が、頬を伝っていく。どうすればいい?どうしたらいい?苦しい。心臓が破れそうだ。

コトリ、と何かが置かれたような音に顔を上げる。秀一様が机の上にグラスを置いた音だった。


「また泣いているのか…」


呆れたようにも聞こえる秀一様の声。ふぅと溜息を吐いて、私の傍に近づいてくる。


「もう泣くな…。泣いても何も変わらないぞ…」


大きな温かい手で頬を包まれる。驚いたように秀一様の方を見れば、間近で鋭い瞳と視線が交わった。


『秀一…様…?』


秀一様は何も言わず、じっと私の顔を見つめていた。その妙に近い距離が、先ほどの夢と重なってどきんと微かに心臓が跳ねた。

秀一様は相変わらず何も言わない。ほんの1秒が随分長く感じる。鼓動が少しずつ速くなる。


『あ……の……』


とうとう耐え切れず、言葉を濁すように声をかければ我に返ったように瞬きをして、ようやく顔を離した。離れ際にこつんと額を小突かれ、いた、と小さく声を漏らす。

ごそごそと秀一様はポケットを漁り、鍵を取り出した。そしてそれを押し付けるように私に渡す。


「この部屋の鍵だ。これからはいつでも好きな時に入っていい。…一人が嫌ならこの部屋にこれば良い」


少々ぶっきらぼうに言われ、今度は私が目をぱちくりさせる番だった。それってつまり…。


『…小姓になれってことですか?』


「まぁ…敢えて名前を付けるならそういう事になるな」


一人が嫌なら。
それはきっとこの人なりの優しさなんだろう。正直今は一人になりたくなかった。だからこの人の優しさが有難かった。


『じゃあ…お言葉に甘えて』


失くさないように、鍵をちゃんと胸ポケットにしまう。

秀一様はにやりと返事を返して奥の部屋に消えていった。それからひとつ、お酒の瓶とグラスを持ってこちらに向かってくる。

ごとりとそれを机に置いて、唯一言。「酌を頼む」

いつもと変わらない態度。安心する、いつもと変わらない夜。温かい優しさにほ、と息を吐き、グラスにお酒を注いだ。












夜が明け、重い身体を引きずって簡易の炊事場に行く。昨夜はまた秀一様に嵌められてお酒を呑まされてしまった。ずきずきと痛む頭を押さえて、未だベッドで眠っている秀一様の方を見る。

だけど、それでも、秀一様のお陰で不思議と寂しさも、悲しさも感じなかった。

水をくいっと一気に飲み干す。冷たい水が身体に沁みていくのを感じる。

最初はただ、怖いとしか思っていなかった。
だけど秀一様は意外にもとっても優しくて…。目に見えるような、ストレートな優しさではないんだけど。でも、見えにくいけれど、そこには確かに優しさがあって、それは確実に私の心を温めてくれる。

そっと胸ポケットに手をあてる。ある。ちゃんとある。私は此処にまた、きてもいいんだ。

起こさないようにそっと部屋を出て、仕事場に戻る。リーダーに事情を説明しにいかなくちゃ…。あぁ、また嫌味でも言われたらめんどくさいなぁ…。

そんなことをぼんやり考えていると、やっぱり、大切な彼女のことが浮かんだ。こんな話をあの子ともよくしていた。だけどもう…そんな時は、戻ってこない。…永遠に。

不意にまた涙腺が緩み、慌てて天井を仰いだ。ダメ。泣いちゃだめ。秀一様にも言われたじゃない。泣いたってあの子は戻ってこないんだから。

涙の気配がおさまったところで、私は前を向いて歩き出した。薄暗い廊下で、誰かがうずくまっているのが見え、急いでそこに駆け寄った。


『大丈夫ですか!?』


小さくなっているのは女の人のようだ。綺麗な顔は少々青くなり、なんだか少し前の友達と重なった。


「う……ん……あ…貴女…は…?」


苦しそうに肩で息をする女の人の背中を擦ってやる。大丈夫なのだろうか。誰か人を呼んだ方が良いのだろうか。


『私は遣いの七条瑠璃と申します。大丈夫ですか?誰か呼びましょうか?』


「あ…いいの…ありがとう…。ただの貧血だから…」


力の無い笑顔を浮かべ、壁に頼っておもむろに立ち上がる。私は倒れないように彼女の身体を支えながら、心配そうにその顔を覗き込んだ。


「本当に大丈夫…。最近あまり寝てなかったから…」


ふふ、と笑った顔には隈が酷く目立っていた。思わず無理しないでください、と声をかける。だってあの子も。あの子も同じようにそんな風に強がって、……死んでしまった訳なのだから。


「ありがとう…。ここにも貴女みたいな優しい人がいたのね…。本当にありがとう、瑠璃…さん」


にっこりと笑いかけられ、困ったように笑みを返す。もう大丈夫だから、と言って歩き出す彼女の背中を見つめる。

あ、と声を上げて彼女は振り返った。そして私の目を見て、言葉を発した。



「私、宮野明美っていうの…。よろしくね」













それからの大半の日々を、私は秀一様の部屋で過ごした。掃除をしたり、食事を運んだり、することはいつもと特に変わらなかったが何もせず、部屋にいることも多かった。

秀一様の仕事は格段に増えた。夜はいないことが多々あった。それでも居るときは前と同じように酌をさせてくれた。それは酷く心地よいものになっていた。

秀一様の部屋にも、もう慣れた。秀一様とは一線を踏み越えたような仲にはならなかったが、前よりも随分距離が近くなったと感じていた。


忠誠心。

そう、これは忠誠心なのだ。

純粋で、穢れの無い真っ直ぐな気持ちだ。

何故かはわからない。だけど私はいつもそう自分に言い聞かせていた。…まるで、言い訳でもするように。
どうしてだろう。しかしそんな疑問も消え去るくらい、現実は慌ただしく過ぎていった。




141101

続きます

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