短編
□安室さんとエイプリルフール
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そもそも、エイプリルフールという行事は嫌いだ。
小さい頃から素直な性格でありえないことでもよく騙されていた。素直なのは私の長所だ。要するにバカなのだ。
そんな私が4月1日に皆の餌食になることは避けられない運命だった。小さい頃の話をするなら、飼っていた犬が亡くなったと聞かされ大泣きして喚いていたことだ。もちろん飼い犬はいつものベッドでお昼寝をしていただけで家族全員でその様子を見て笑っていたらしい(今思うとなんとも酷い家族だ)。
「今日は温かいですね」
『そうですね、もう4月ですから、こうならなくちゃ』
同じバイト先のお兄さんと歩いているときだってもちろん油断はしてはいけない。特にこの人、安室さんというのだが意外と腹黒いのを私は知っている。直接ヤジを飛ばしたりからかってくる訳では無いが遠くからニヤニヤしながら見守っているのだ。一番性質が悪い。
『…ホント、エイプリルフールってなんなんですかね。嘘吐いても良い日、って』
「ああでも一応色々ルールがあるみたいですよ?その人を不幸にさせる嘘は吐いてはいけない、とか」
『私今まで自分が不幸になるような嘘しか吐かれてないんですけど』
こうして横を並んで歩いているのは決してデートでは無い。店の備品が色々足りなくなったので急きょ買い出しに行かされている途中なのである。一連の流れのように荷物を持ってくれるらへん流石イケメンというだけある。でも腹黒い。そこ重要。
「君は素直で騙されやすいから、みんなからかいたくなるんだよ」
『うー…よく言われます、それ。私、自分が嘘吐くのも本当に苦手なんですよね。すぐ顔に出ちゃうもの』
「それはいいところでは?僕はポーカーフェイスで嘘を吐く人よりも好感が持てますけどね」
『まぁそりゃそうでしょうけど…生きていく中では辛いものがありますよ』
お昼時、まだ桜は満開ではないが蕾がふっくらと輝き始めている。この並木道は満開したらさぞ綺麗なんだろう。せっかくイケメンと歩いてるんだから満開な桜並木を歩いてみたかった。
『桜、いつ咲きますかね。お花見したいなぁ』
「いいですね。ポアロのメンツでなんとか行けませんかね?営業終わりに夜桜、とか」
『あ、それ素敵です!夜桜、綺麗だろうなぁ…』
「…君ならうっかり酔っぱらって川に落ちてしまいそうですが」
『そ…れは無いとは言い切れないのが辛い…。お酒もそんなに強くないからなぁ。呑むのは嫌いじゃないんですけどね』
「では今度2人で呑みに行きましょう。良い居酒屋知ってるんですよ」
ナチュラルなお誘いで「私に気がある!」と勘違いするのは間違いだ。こんなイケメンが平凡馬鹿女のことを好きになる要素なんて1ミリもないのだから。
『エイプリルフール、ですか』
「さぁ?どうでしょう?」
この絶妙な躱し。腹黒イケメンの闇は深そうである。爽やかな笑顔でさらりと微かな希望も断ち切ってくれるところ辺りが安室さんだと思う。別に「そんなんじゃありませんよ」とか真顔で言ってくれても良かったのよ?急に壁ドンとかしてくれても構わないのよ?私だって人並みに乙女なんだからそれくらい夢見させて。
「…例えばどんな嘘、つかれたんですか?」
『そうですねぇ…。飼い犬が死んだとか、午後から学校あるって言われて行ったら誰もこなかったりとか…ああ、思い出したくない…』
「普通それ…騙されます?」
『笑わないでくださいよ!私は騙されるんです!素直でいい子なので!!!』
言わせておいて遠慮なく大笑いするとか本当安室さんは意地悪だ。だけど安室さんと話すのは楽しい。イケメンってだけで多少意地悪なことをしても許してしまうからイケメンってやっぱり得だと思う。
「あ、そこ段差ありますよ…ほら、もう」
『…っと、すみません…』
だけど多分、安室さんを許せてしまうのはイケメンってだけじゃなくて、確かに優しいからだとは思う。段差に蹴躓いた(言ってくれたにも関わらず)私をさりげなく支えてくれたりとか。荷物を持ってくれたりとか。探偵をやっているらしいがやはりそれだけ人のことを見ることに長けているのだろうか。
『ん…お腹すきましたね。帰ったらお昼食べよっと』
「ああ、もうこんな時間ですか。…君のことが好きです。付き合ってください」
『はい?』
なんとも息をするように告白されたので一瞬何もないところで躓きそうになった。安室さんはニコニコと笑っていつもと変わらない表情。今日はエイプリルフール。こういう系統の嘘はのってしまった方が困らないというのは経験済みである(それほど騙されてきた)。
『私も安室さんのこと大好きです。付き合いましょうか』
「じゃ。晴れて恋人同士なんですから…いいですよね?」
何が?と思う間もなく、唇に柔らかい感触が走る。脳内の思考が停止する。何?え?今の…え?何?え、キス…されたの?え?
「エイプリルフール、嘘を吐いていいのは午前中だけ、って知ってました?ほら、もう12時半ですし…君も好きだと言ったんですから同意の上ですよね」
何それ知らない聞いてない。いやもう訳が分かんない。え?何?午前中がナンだって?てことはさっきの好きですってのは…要するに本気で、え。キスは…キスされ…私…安室さんに…。
「良かったです、君も僕のことを大好きだと言ってくれて。フラれたらどうしようかと思いました」
『な、え、あ、あ、あああ…!!!』
私、私、私…!安室さんに大好きって、大好きって言ってしまった…!!!!
そんなの不可抗力だ。そんなルール知らないし!でももうき、き、キス…されちゃ…っ
『し、しら、知らない…っ安室さんの!!!ばかっ!!!!あほ!!知らないっっ!!!』
訳が分からなくなって、安室さんを置いて取りあえず走り出す。訳が分からない。つまりこれはどういうことだ。安室さんが私のことを好き?ありえないありえない。じゃあでもどうしてキス、キス…されて…しまった。
唇に熱がこもる。頭は混乱していたけれど、ひとつだけ分かったこと。それは自分がキスされて嫌な感情を少しも持たなかったこと。
だけどまだ、今は気持ちを整理するだけの余裕はないし、半分でかけている自分の本当の気持ちを直視する勇気も無い。
今はまだいい、まだ混乱していたい。それもこれも、全部安室さんと4月1日が悪いんだ。
いつもこの日になったら呟いてる言葉を嘆いてみる。だけど例年のように力強くその言葉を発することはできなかった。口から突いて出た言葉はみっともないくらい弱々しい、すこしだけ熱っぽい自分の声だった。
『やっぱり、エイプリルフールなんて、大っ嫌い…っ!』
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