トタン

□寄り添ってみる
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今日はなんだか色々あってどっと疲れた。重たい身体を引きずるようにして家に戻ると部屋の中には安室さんがいた。カリカリと窓を引っ掻くと私の存在に気が付いたようで窓を開けてくれる。

帰ってきたの?と言うように目を丸くさせたがよしよしと優しく頭を撫でられ、その優しい手つきのまま両足を軽く拭いてくれた。


みゃお、意図せずに漏れた声。その声にふっと笑っておかえり、と言ってくれる。その笑顔がとても柔らかくて温かくて、どきん、と心臓が高鳴ったのが分かった。


それからはミルクを入れてくれたりそのままにしておいてくれたり、風呂に一緒に入れられそうになったがそれは流石に全力で逃げた。猫は水が嫌いということにしてくれたが、蒸しタオルで身体を拭かれる分には気持ちが良くてついつい身体を預けてしまった。(安室さんは服を着ていたし)


うーん。それにしても。


一通り身の世話を終えると安室さんはソファーに座り、私は自分の寝床に戻る。毛布の隙間から安室さんを観察してみるのだが、いつもと何かが違う気がする。

いつも、だなんてまだ出会って数日しか経っていないのだが、それでも、なにか。

ソファーに身体をゆったりと預け、点いているテレビを見るとはなしに見ている安室さんは完全にオフモードだ。ああ、そうか。私の知っている安室さんはいつでもこんな風にだらしなく時を過ごすことはなかった。そういう性分なのだろうが、飼い猫の前でも(実際は人間な訳だが)あまり気を抜く素振りを見せない、みたいな。
そんな安室さんが今は無防備にうとうととソファーで寝入りかけている。

お疲れなのかな…。

そういえば、帰ってきてから感じていた違和感はこれだったのかもしれない。なんとなく元気がないというか、覇気がないというか、落ち込んでいるというか。仕事のことなのかプライベートのことなのか、私は安室さんのことを何も知らない。だけど、いや、だから、少しでも元気を出してほしいと思った。

こっそりとソファーに近づくと既にそこからは規則正しい寝息が聞こえていた。無防備な寝顔にちょっとだけどきどきする。兎にも角にもどうしよう?起こすのもなんだか気が引けるし。
だけど室内とはいえまだまだ2月の低気温だ。こんな部屋着一枚でうたた寝なんてしてたら風邪を引いてしまうかもしれない。

しばらく思案して、とりあえずなにか掛けるものはないかと自分の寝床にある毛布を引っ張り出す。起こすのが気が引けるのなら、風邪を引かないように温かくしてあげるしかない。肩から掛けるのは流石に無理があったから一旦膝に掛けておく。こんなことしかできないなんて、私は無力だ。もし私が人間だったのなら、毛布を肩からかけて、暖房の温度を上げて、乾燥しないように加湿器でも点けてあげるのに。濡れタオルを干してあげるのに。
もし…人間だったなら…。
自分の小さな肉球を見て溜息が吐きたくなった。なんにもできない不自由な身体。自由で気兼ねなく生きられるけれど、誰の役にも立てない猫の姿。
少しでも温めてあげよう、と、毛布を敷いた安室さんの膝の上で丸くなる。安室さんの体温が直に身体に伝わって、私の身体まで温かくなるような気がしてくる。私は安室さんに沢山助けられてきたと思う。もし安室さんが私を見つけてくれなくて、あの廃屋で目が覚めていたら…考えただけでぞっとする。思えば猫の姿を簡単に受け入れられたのも生きる心配をしなくて良かったお陰だ。余裕があったから冷静に物事を考えられたのだ。
なのに、私は…。

テレビの音が騒がしい。私は所詮足元を温めることしかできない。弱っている安室さんに、「どうしたの?」と声をかけることはできない。「ありがとう」を伝えることもできない。口を開いても、にゃあ、と情けなく声帯が震えるだけ。

哀ちゃんとやったように、筆談ででも話せればどれだけ楽か――。
だけどそれは破ってはいけない掟なのだ。


「ん……」


安室さんが微かに動いた。寝息が乱れている。まだ眠り続けている様子だがその表情は険しい。
嫌な夢でも見ているのだろうか。身体越しに不安と不穏ががこちらにまで伝わってくる。うなされているようにも感じる。なんとか起こしてあげたいが身体を揺さぶるような力は到底ない。何か。私にも何かできることはないか。必死に考えて、咬むのは力加減が良く分からなかったから気が付けばただただ安室さんの手を舐めていた。起きて、起きて。一心不乱にそんなことを考えながら。

安室さんの口が開く。…スコッチ?小さな小さな声だったけれど、猫の耳には充分に聞こえた。人の名前だろうか―――そんなことを考えた刹那、びくんと安室さんの身体が小さく跳ね上がった。起きてくれたようだ。


「……?…」


安室さんは目をぱちくりさせて、部屋に視線を走らせてから私のことを見た。驚いたような目で、起こしてくれた?と問いかける。それから膝に掛けられた毛布に目をやって、大きく深呼吸をして身体を弛緩させた。


「…ありがとう」


起こしてくれて?それとも温めてくれて?それとも…。
柔らかい空気が一人と一匹を包む。安室さんが頭を撫でてくれる。その指先には間違いなく感謝の意が込められていた。

猫だけど、猫なりのやり方で人の…安室さんの役に立てた…。


その時はじめて私は、自分が猫であることに感謝を覚えた。




180320

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