トタン

□猫好きに悪い奴はいない
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猫の朝は早い。


『……ぅにゃぁああ……』


朝日が昇るよりも先に目が覚めてしまうのは、この身体の習性だということに気が付いた。どれだけ遅く寝ても朝には目が覚めるし、四六時中寝ようと思えばいつだって眠りに落ちることができる。こんな怠惰で気ままな生活をできるのは猫ならではだ。
欠伸をひとつして、十分に伸びをして、鍵を開けてくれている窓から一歩ずつ外に飛び出してみる。鍵さえ開けといてくれれば爪を引っ掻けて窓を開けることができる。勿論私は人間だから、賢く閉めてから外に出ることも忘れない。

さて、今日はどうしよう?

まだ朝も早く、陽すら昇りきっていない街に人影は殆どない。たまに走るのは新聞配達の自動二輪車くらいだろう。街を探検するには安全な時間ともいえる。
猫になってからやたらと夜目が効く。灯りが殆ど無いような場所でも辺りを見渡すことができるというのはなんとも不思議な感じがした。

深呼吸をして、いつものようにブロック塀を伝って歩き出してみる。そうだ、今日は一度哀ちゃんの家へと行ってみよう。最短のルートを見つけ出しておいて今後に不便はないだろう。もし私の身体に何かが起こった時、頼れるのは哀ちゃんだけなのだから。

昨日の記憶を辿り、そこまでの距離でも無かったから何度か往復しているうちに一度も地面に降りることなく哀ちゃんの家へと向かえるルートを見つけた。この発見は大きい。猫の身体になって学習したことはヒトの歩く場所というのは危険が多いということだ。通行人然り、自動車然り、ヒトの作りしもの然り、だ。人間には無害なものでも猫、否、ヒト以外の存在にとっては命に関わるものがこの世界には多く蔓延っているのだ。
だからこそ、地上というのはヒトの作りだしたヒトのための場所だ。それ以外の生物は地中やそれ以外の場所に逃げるしかない。
だけどそれはヒトだって同じ。ヒトがそれ以外の領域を犯してしまったら。例えば地中に埋まってしまえば虫や微生物に細胞が侵されるのと同じように。


そんなことはさておき、哀ちゃんの家の周りをうろついていると隣の家に灯りがずっと点いていることに気付く。こんな朝早くからなにしてるんだろう?それにしてもこんな豪邸は見たことが無い。メイドとかいるんじゃないかって思うくらい大層な家だ。というか、この時間に灯りが点いているんだからメイドが本当にいるのかもしれない。興味本位で窓へと忍び込み、中の様子を覗き込んでみる。
そういえば哀ちゃんに隣の家の人がどうとか言われてたような。まあ別にいっか。なにかあったら逃げればいいんだし。


「もしもし…赤井です。はい…ええ。先ほど確認しました。……」


中にいたのはメイド服を着たメイド様ではなく、こっそり覗いている家政婦でもなく、淡いピンク色の髪色をした男の人だった。誰かと電話をしているようだ。ふうん、赤井っていうんだ、あの人。って。…ええええええ!?!?!


その人は電話をしながら髪の毛をわしゃわしゃと掻きだすと、つるんとそのピンク色の髪の毛を…要するに、その、カツラだったようで、その髪の毛を取り外し、頭につけていたネットを外し、地毛であろう黒髪の短髪を手串で整えついでに首に着いたチョーカー(と言っていいのか?)のボタンを押すと声までも変わったものだから猫だけれどえええええと実際叫んでしまった。ちなみに漏れた声はにゃああと猫の声に変換されていた。
その声に気が付いたのか、それともただの偶然か赤井さんの目と私の目が合って――何かあっても逃げればいいと軽く考えていた私はその殺気のこもった射抜くような目に身動き一つとれなくなってしまった。


赤井さんはつかつかと窓の方に歩み寄ってくる。逃げなきゃ、と思うのに身体が硬直してちっとも動いてくれない。窓を開け、手を延ばされた瞬間がスローモーションに感じる。――殺される!覚悟を決めたその瞬間の後、走った感覚は優しく頭を撫でられる感覚だった。


「…ああ、ただの迷い猫ですよ。今ちょうど家の窓に。着替えの瞬間に見つけたので少し驚きましたが…ハハ、私だって驚くこともありますよ…」


ああ…そういえば今は猫だった。赤井さんは電話を続けたまま私の頭を撫で続けた。それを暫く続けてから赤井さんは私の元を離れたのだが、私は半ば放心状態でその場を動けずにいた。

あれ、なんだかいい香りがする。

ぼおっとしている間に、食欲をそそるような匂いが漂っていることに気が付く。素早く視線を走らせ匂いの元を辿ると、どうもこの窓の先の部屋から匂いがしているようだ。危険かもしれないなぁと思いつつ本能には逆らえないようで、その匂いにつられるように窓を潜り抜け匂いの元へと足を運ぶ。向かった部屋の先はダイニングのようで、ソファーには完全に最初に見た面影の無い赤井さん(多分)が煮干しをチラつかせて緩く腰かけていた。
それに誘われるように私はソファーへと向かう。


「ハハ…なかなか利口な仔猫さんだな」


躊躇わず赤井さんの膝の上に乗れたのはそれだけ煮干しの匂いがあまりにも香ばしく感じたからだ。逡巡せずにその行為ができてしまったあたり、私も猫化が進んでいるということだろうか。そんなことより煮干しうまっ。

電話は終えたようで、両手の空になった赤井さんは私のことを好きなように撫で繰り回す。煮干しを食べている私をいいことに、頭を撫でたり首を撫でたり背中を撫でたり触りたいように撫でられる。不快な気持ちが全くないと言えば嘘になるが、安室さんのせいで身体のあちこちを触られるのには幾分耐性がついていたし、何よりも私は煮干しの美味しさに感動していた。世の中にこんなに美味しいものがあるとは。
赤井さんの掌を丁重に舐めてもまだ物足りなく感じ、ちらっと赤井さんの方を見るがその瞳がもう煮干しはあげない、という風なことを物語っていた。ちぇ、もう無いのか。飯をくれない奴に用はねーぜ。諦めて膝の上から降りて窓の方へと向かうと近くまでついてきてくれた。結構強面な感じがするのに猫が好きなのかな。ちょっと意外。

出ていく私に、またおいで、と声をかけてくれる。変装癖(いや、違うのか?)があって、人殺しみたいな目つきして、意外と動物が好きで、ちょっと煙草の匂いがする赤井さん。哀ちゃんがなんか言ってたような気がやっぱりするけれど、煮干しが食べられるのならまた寄ってもいいかもしれない。煮干し以外もくれるかもしれないし。


その後安室家に帰った途端、煙草臭いとまたもや起きたての安室さんに風呂に一緒に入れられそうになったが全力で逃げた。



180321

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