トタン
□猫なんて
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猫なんてそこにいるだけで可愛いって言ってもらえて、気が向いたときに撫でてもらえて気に障ったら怒って見せればゴメンねと恐縮してもらえるのだからいいご身分なものだ。
安室さんに至っては見ず知らずの猫の負っている怪我の手当てをするばかりかご飯や寝床まで用意してくれているのだから私がどうこう言える身分じゃないどころか、私の方こそ多少無茶なお願いでも叶えてあげなくちゃいけないことなんて重々に承知している。
その上で。
あくまでその上で、だ。
私は大変頭に来ている。
「お邪魔します。…あぁ、恐ろしい。私が安室さんの家に入ったところなんてファンの人たちに見られたらなんと思われるか」
「大丈夫ですよ!流石に家の近くまで尾行するような007はポアロのお客さんにもいないでしょう」
……残念だったわね。小さな、だけれど007は棚の間に身を潜めてあなたたちのことしっかり観察しているわよ。
事が起きたのは数十分前。
赤井さん宅で煮干しを食べるのも程々に安室さん宅へ帰ってくると、ちょうど安室さんも帰ってきたところだった。スーパーの袋に生魚が見えたものだから、もしかしたら余りでももらえるかも!とルンルンで安室さんにすり寄ろうとしたのだが安室さんの後ろにもう一人影が続いていた。
誰?と思う間もなく気が付いた。その影は安室さんの働いている喫茶店の従業員。…確か名前は…梓さん。
時間は21時過ぎ。こんな時間から一体一つ屋根の下で何をするつもりなんだろう?
兎にも角にも、見つからないように窓からそろっと侵入した私は棚の間からその行く末を観察することにしたのである。
「そうです。この白身魚は…そう、繊維の流れが見えますか?この流れを…」
「んー…、あっ、こうですか?」
「ええ!とても上手です!流石ポアロの大先輩は飲み込みが早いですね」
「何おだててるんですか!料理に関しては安室さんの方が絶対に先輩ですよ」
おーおー…楽しそうにしちゃってまぁ…。
それにしてもテレビの横の棚に隠れたのは間違いだったかな。テレビの音量があまりにも近すぎて会話がところどころ聞こえない。
足元しか見えないが、おそらく今は料理をしてるんだろう。
…こんな時間から?二人で?料理?
テレビの騒音が耳につくことと、塵臭い隙間に拘束され(選んだのは自分であるが)段々とイライラした気持ちが募っていく。
何よ。何よえらく楽しそうね。ていうか安室さんもあんまりじゃないの。帰ってから一度も私を気にする素振りも見せないなんて。
いつもなら真っ先に私を見つけてご飯にしようか、なんて笑いかけてくれるのに。結局たかが野良猫なのね。自分が寂しいとき、癒されたい時にだけ構って、他のものに興味が移ったら。いらなくなったら……。……捨てるのか。
沸々と煮えていた気持ちがだんだんと冷めて次第にブルーになっていく。逆立っていた毛や吊り上がっていた目が見る見るうちにしなって垂れ下がっていくのが分かる。膝まで折れてとうとう丸まってしまった。髭が下を向いてしまっている。
…そっか。そうだよね…。当たり前のことだよね。最初から覚悟してたじゃない。安室さんにもし彼女がいたら二人のあんなことやこんなことを見る羽目になるなぁって…そんなの分かってたことじゃないの。
それに…。
足元だけだけれど、並んで立つ二人の姿は誰がどう見たってお似合いだろう。少なくとも…猫である私と安室さんよりは。
この時間から料理ってことは、二人でそれを食べて…きっとお泊りするんだろうな。夜のそういうことになったら部屋を出て行った方がいいかもしれない。いやもうなんなら今出て行ってしまおうか。二人に悪いとか邪魔しちゃダメだとかそういうのは建前で……正直見ているのが辛い。
いっそ開き直って二人に愛されてしまえば、というよりゆくゆくはそうしないと自分の居場所が無くなるのか、なんて考えだした頃キッチンから動かなかった二人の足が動き出した。あらご飯タイムかしら。その割に何か忙しないし何事かを叫んでいるような?
「タマちゃん!ターマーちゃんっ!…ほんとにいるんですか?」
え、なに誰怖い。降霊式でもやるつもり?何か引っかかることに気付く。タマ、タマ…あれ?確か昼間に小学生の女の子が…。
「見つけた。ほら、おいでタマ」
『ニャッッッ!?!?』
考え事をしてる時に突然棚の隙間をのぞき込まれたものだから再び毛が逆立ってしまった。
「すっごーい安室さん。よくそこにいるってわかりましたね」
「まぁ、窓のところに毛が引っかかってたから帰っているのは確かでしたし、結構この子人見知りだから…自分のテリトリーにあまり知らない人がいるの嫌がって隠れてるのかなって思って…」
おいで、と優しい目をしながら手を差し伸べてくれる。なんだ…忘れてた訳じゃないのか。それに…狡い。安室さんにそんな風に手を差し伸べられたら、そっちにいかないわけにいかないじゃんか……。
例えそれが。………いや。
広い部屋の眩しさに目を細めていると、キッチンのところに梓さんと、その手には美味しそうに調理された白身魚をミンチ様に刻んだ料理が小皿に盛り付けられていた。
「……本当に食べてくれるかしら?」
「大丈夫、きっと食べてくれますよ。ほら、タマ」
安室さんに背中を押され、恐る恐る梓さんに近づく。え、何…これ、私が食べていいの?どういうこと?だけど、安室さんも梓さんもまるで食べてくれって言わんばかりの…。
…毒とか入ってないよね?
匂いを確認したけれど変な匂いはせず、寧ろ猫になってから一番ってくらい美味しそうな香りが漂っていた。我慢できずにそれにかぶりつく。柔らかくて、舌でほろほろ崩れて、なによりも美味しい。夢中になって食べてしまう。
「…やったぁ!すごい勢いで食べてくれてます!」
「でしょう?猫が食べやすいように調理しましたから。今日一回で覚えられましたか?」
「はい!メモも取ったし、もう一人で作れると思います!これで大尉にもポアロで美味しいごはん食べさせてあげられます」
…大尉?あぁ、なんか言ってたな、私がお友達かどうかって…。てことは猫なのかな。ああ、もしかしたらこの人。その猫にもこれを食べさせるために…。
「すみません、これを教えてくださるためにわざわざお家にまで呼んでもらって」
「いえ、もともとはこれからシフトが減る僕のお詫び代わりですから。それに僕の家なら絶対に反応を伺えますしね」
ね、と私に笑いかける。絶対?ってことは、安室さんは家に帰ったら私がいるって思ってくれてるってことか。そうか…。…いてもいいんだ。
完食してお皿に残った一粒まで食べきった私を見て梓さんも、安室さんも満足げに微笑んだ。
「さて、もうこんな時間ですし送っていきますよ」
「あ、大丈夫です!兄が近くまで車できてくれるので、玄関までで。安室さん、本当にありがとうございました!」
「そうですか?いえいえ…お安い御用です。それではまた。気を付けて」
「はい!おやすみなさい!またポアロで会いましょう!」
パタン、と扉が閉まると嵐が過ぎ去ったような気持ち。安室さんは私に振り向くと、優しい笑みで、手つきで私を抱き上げた。
「動物は飼い主が他の物事に夢中になるとヤキモチを妬くって聞くけれど…タマは妬いてくれたかな?」
ええ妬きましたよ。ものすごく妬きました。
それはきっと、猫だからじゃないと思うしもっと単純なことだとは思うんだけど。
まぁ、そんな素振り見せてあげないけどね。
結局その日の夜は安室さんにたっぷり甘やかされた訳だが、たまにはそんな日も悪くない。
181030