トタン

□閑話
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雨の音、というのを久々にゆっくり聴いたような気がする。
暗い曇天から滴る水は、初めの方こそ雪であったが次第に重い音になりはじめ、とうとうみぞれ交じりも通り過ぎ本格的に雨になったようだった。

窓辺で小さくだらけながら、私は雨の音を聞いて微睡んでいる。
安室さんはお出かけ中で、電気の消えた暗い室内は外から入ってくる青白い光で満たされていた。


規則正しい雨の音が私を尚のこと眠りの世界に誘っていく。
猫になっていいなと思うことはこうしてぼおっとしたい時にぼおっとできることだ。寝るのなら布団に入り、電気を消して、アラームをかけて、と手順をいちいち踏む必要はない。今ここで寝たいと思ったらこの場で眠ってしまえばいい。ベッドはすぐ傍にあるが、そこまで行くのも大儀に感じる。それはそれで、いい。

不必要に起こされることもなく、気を張る必要もない。

あら?

微睡の中、自分の脳みそがぴくりと反応した。

そういえばこの間、…何か、夢を。

時間は穏やかに流れている。リズミカルの雨の音が私の思考を邪魔しない。
雨の音が久々に感じる?
眠りを邪魔されることが無い?
…どうしてそう思ったのだろう?

どこからともなく音が聞こえてくる。
薄いコンクリートにもたれ掛ると聞きたくなくても叫び声が聞こえてくるのだ。
それはまるでこの世の終わりのような断末魔。
その声を聞くたびに次こそは私なのかと言いようのない不安と孤独感が押し寄せてくる。

ここはどこだろう。

私は夢を見ているのだろうか。夢の中の感覚はとても奇妙で、恐らく人間の私の目線で映像が繰り広げられその時の気持ちまで再現しているのだが、どこかでそれを第三者として眺めている猫の私がいた。

見渡す限りの殺風景な4、5畳程度のコンクリート塗りの部屋に、布切れ一枚とむき出しの電球が吊り下げられている。
仄かに灯るその光に虫すら集っていないのは、この部屋が蠅一匹ですら入れない密室であることを示している。
そして、目の前には仰々しいほど厚い扉。無論中から開けることはできず、この扉の存在感がより私の空気を圧迫していた。

私はこの部屋を知っている。
いや、知っているというよりもどうして忘れてしまっていたのだろう。

ここは、そうだ。人体実験施設。私から全てを奪い去った奴らの巣窟。両親を殺し、家を焼き払い、私の何もかもを。人生のすべてを奪い去ったあいつらの場所だ。

不意に息苦しさを覚えた。いやだ、こんな夢。見たくない。見せないで。突然家に押し掛けてきた銀髪の男とサングラスの男。夜中に私は自分のベッドで寝ていたが、突然の来客になんとなく目が覚めた。こんな夜更けに来客なんて珍しいと思い私はそろりと階段を降りて、客間を覗いた―――。

そこはとても静かだった。お父さんとお母さんが血を流すこともなく倒れていて、声も何も聞こえなかったから本当に寝ているんだと、そう思った。だけど、じゃあ、こいつらは何?どうしてこの銀髪はお父さんを足で転がしているの?どうしてこのサングラスは家を荒らしているの?お父さん、お母さん、起きてよ。声に出そうとしても上手く声にならなかった。逃げなきゃ、とじわじわと背中から冷たいものが湧いてきて、踵を返そうとした瞬間、銀髪の色の無い瞳と目が合った。

サングラスが慌てた様子で私を拘束する。足ががくがくして動かない。野太い声がする。
コイツも、殺しますか。
息ができない。後手に縛られた腕に力が入らない。
いや、これは良い素材だ。第8に連れていけ。
へい。ジンの兄貴。
しゅっとマッチの炎が光って見えた。たちまち視界は赤く燃え上がり、煙が私の頭と肺を支配する。
息ができない。苦しい。…お父さん。おかあ、さん…。
私の記憶はそこで途切れていた。耳の奥で雨の音がする。



はっとして気がつくのと電気が点いたのがほとんど同時だった気がする。
青かった世界はいつの間にか暗い影を落としていた。雨の音はいくらか静かになったようだ。安室さんが机にスーパーの袋を置いたのか、がさがさと日常的な音がする。

今のは、夢?
窓の外を見ながら今の夢を反芻して心臓が嫌な音を立てた。夢。夢だけど、夢じゃない。私が忘れちゃいけない。そう、あの男の名前。


「ただいま」


安室さんが私を抱き上げて、撫でられると少しだけ気持ちが落ち着いた。安室さんの匂い。甘くて、清潔で、……火薬のにおいがするような?


気のせいか、と安室さんの腕の中で軽く伸びをする。さて、今日の夜ご飯はなんだろう。嫌な夢だが重要なことを思い出せた。絶対に忘れない。そして、許さない。ふつふつとした怒りが冷静に刃となって研ぎ澄まされていく。

ジン。そういった、あの銀髪の男と、その組織。仲間たちを。

目の奥で冷めた炎が宿る。
窓の外では冷たい雨が止んだような気がした。






190322

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