トタン

□あの場所へ
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新聞記事に載っていた住所を思い出しながら爆発したという研究所に向かう。
私がそこに行ってどうなるのだろうと考えないことはない。けれど私の身体は勝手にその場所に向かっていたし、そこに行かなくちゃならないのだという確信めいたものがあった。

死ぬかもしれない。

哀ちゃんの言葉が脳裏によぎる。あの場所にはジンもいる。見つかれば大変なことになるだろう。生きて帰れるという保証はない。でも、だから、だけど、それでも。


港のすぐそばに建てられたそれは「研究所」というよりも工場に近かった。爆発したというから更地にでもなっているのかと思ったが建物の骨格自体はしっかりと残っているようだ。
だが、爆発によって表面が焼け落ち剥き出しになった鉄骨は潮風を受けて錆び、いかにも生命力を失った廃墟感を漂わせていた。

その建物を遠巻きに見守っていたのだが、建物の周りをぐるりと歩いてきた銀髪の悪魔―ジンとその隣に安室さんが歩いているのを見つけ、心臓が止まりそうになった。

あの男がいる。私から全てを奪ったあの男が。
全身の血が燃え滾るような怒りが身体を犯す。

二人はなにやら話しながら建物の中に入り込んだ。
私は一瞬逡巡したがここまで来てしまえばと思い建物の中に足を踏み入れた。






中はとても暗く、ひんやりとした空気が流れていた。
安室さんたちは地下に下ったようだ。地下室へと通じる階段を見つけて覗き込んだが中は真っ暗で様子をうかがい知ることはできなかった。
つん、と独特の匂いが地下室から漂ってくる。
それは記憶の片隅にあるとても嫌な思い出で一瞬くらりと眩暈がした。
私が捉えられていた場所。
ここで一体何人の命が無慈悲に奪われていったというのだろう。

かんかん、と階段を上る音が聞こえ慌ててもう一つ上の階へと駆け上がった。
1階の15m四方程度の広間は天井までそのまま吹き抜けになっている。
2階、3階はその広間を取り囲むように廊下が設置され、何やら小部屋がそこから広がっているようだ。
ジンと安室さんは広間に出るとぼそぼそと話を始めた。私は身をかがめてその会話を盗み聞く。


「なるほど、初めて見ましたよ。組織の研究室というものを」


「フン。燃えてしまえばただの廃墟だ」


「あの爆発、あれはあなたの仕業でしょう?」


「どうだかな」


ジンが煙草に火を点けて息を大きく吐いた。二人の間に何とも言い難い緊張感が漂っていることを私は不思議に見守った。

…本当に、仲間?なんだか仲間というよりも…。


「ここの被験者のひとりがまだ見つかっていない」


「あぁ…ベルモットが言っていましたね。20歳前後の女の子であると」


「米花町はお前の管轄だろう、バーボン」


「僕がその子のことを隠していると?」


なにやら不穏な空気が漂いだす。ジンは懐からさっと拳銃を取り出し安室さんへと真っ直ぐ銃口を向けた。


「前々からお前とベルモットの秘密主義には迷惑していてな。どこまで掴んでいる?身寄りも戸籍もない女が何週間も生きていられるはずはない。匿っているのか?」


「まさか」


安室さんは手をあげ困ったような顔をした。空気が張りつめている。2階にいても息をするのが憚られるほどに。
次の瞬間、パァンと引き金を引いた音が建物全体に響いて思わず叫び声をあげそうになったが何とか堪えた。弾丸は安室さんの横を掠めた。


「言葉には気をつけろよ。ここでお前を殺したって死体の処理法は幾らでもある。なんせここは海が近いからなァ」


「…………」


「あの女もこうして拳銃で撃った。急所では無かったが確か腕の辺りを貫いたはずだ。血の跡が途中で途切れていた。その廃屋がお前の家の近くだ。偶然とは言わせねぇぜ」


「拳銃で?」


安室さんは考えるような表情をした。ジンはそれをじっと観察し続ける。
私はジンの言葉で途切れていた記憶を繋ぎ合わせることができた。そうだ。私は逃げたのだ。何やら薬を飲まされ、身体が熱くなってもう死ぬのだと思った最期の力で逃げ出したのだ。あの時は薬を投与された時に私はもう死ぬものだと思われていたから一瞬のスキが生じて、それで――。
雪。灰色の世界。思い出す感覚。寒い寒い世界の中を一心不乱に走り続けて、拳銃で腕を撃たれ、もう死ぬのだと、この呪われた世界で、あの、トタン屋根の下で。

世界の終りの記憶が蘇ってぶるりと身震いをした。


「フン…どうやら本当に知らないようだな。まぁいい」


ジンが拳銃を降ろした。依然緊迫感のある空気は漂い続けている。


「1週間で見つけ出せ。死体でも構わない」


ジンはぴしゃりと言い放った。やっぱりこの悪魔はどこまでも悪魔だった。―と、その瞬間に激しい熱と痛みが身体を貫いた。…薬が効れたのだ!あまりに突然の出来事に身体が勝手に痛みに耐えきれず動いてしまい、かつん、と微かな音が鳴った。その音は二人に私の存在を気付かさせるのには十分だったらしい。鋭い視線が階上へ向く。


「ネズミが入り込んだようだな。バーボン、お前は反対側から回れ」


拳銃を構えながら二人が階段を上ってくる。とにかくある一室に逃げ込んだが見つかるのは時間の問題だ。どうしよう、どうしよう―!机の下に隠れるが身体が熱くて頭が回らない。
殺される。殺される…!こつりと部屋に入ってくる足音が聞こえる。ジン?それとも安室さん?でも、どうせ殺されるのなら安室さんのほうが。いや、でも、ああ、身体が熱い。


「……ん?君は…」


机の下を覗き込んだのは安室さんだった。安室さんの顔は緊張感が漂いながらも驚きの方が勝っていた。身体が震える。殺される恐怖が蘇る。息が荒いのは薬のせいか、恐怖のせいか。


「何故こんなところに。とにかく出て」


安室さんは小声で話しかける。殺さないの…?ぼんやりと熱に浮かされたような頭で考える。助けて、誰か。苦しい。怖い。安室さんに手を添えられ机の下から出たが足元がふらつく。


『う…ッ、く…』


「大丈夫か?……?」


安室さんは私のことを心配するような、不思議そうな瞳で見つめた。スカイブルーの瞳。


「君、どこかで……」


「バーボン!見つかったのか?」


廊下からジンの声が響く。中々ひとつの部屋から出てこない安室さんを不審に思ったらしかった。拙い、このままでは。だけどもう私の意識は殆ど途切れかかっていた。苦しい。頭が痛い。


「とにかく隠れて」


安室さんはふらつく私の身体を支えながらロッカーへと押し込んだ。霞む視界で安室さんの顔が見える。綺麗な瞳に私の顔が映っている。
伝えなくちゃ。死ぬかもしれない。だめ、だけど、見られるわけにはいかない。苦しい。熱い。色々な想いが頭の中を駆け巡る。安室さんのシャツを掴む自分の手は頑なで中々離れようとはしない。もう最期かもしれない。ぱくぱくと空気を懸命に吸いながら言葉を絞り出す。


『トタン、屋根の下、で…、待って、る…』


「え…?」


その言葉を放った瞬間、私の手は自然と安室さんのシャツから離れた。ロッカーが閉まり、視界は闇に包まれる。身体の熱が爆発するように、だけれども小さな塊になっていくのを感じる。狭かった空間が余裕を持ち始める。


「なんだ?今、そこに何を隠した」


「いえ?一応ロッカーを確認しただけです。何もなかったですが」


安室さんとジンのやりとりが聞こえる。びくっと身体が痙攣して熱が引いてくる。…猫に戻ったのだ!ふらつく足取りで立ち上がると底が少し抜けていて外へ通じていた。そこに無理矢理身体をねじ込んでなんとかロッカーから抜け出す。身体が切れた気がするが今は感覚が鈍くなっていてあまり何も感じなかった。


「開けろ」


「え?」


「お前の死に場所はここだな」


ジンが勢いよくロッカーを開けた。だがそこには勿論何の姿もない。
私は影を縫いながら部屋を飛び出して建物の外へなんとか抜け出す。


帰らなくちゃ。
ふらふらする足取りで外の世界を歩く。死ななかった。私はまだ生きている。安室さんは私を殺さなかった。あの二人は…いや、今はもう考える作業が煩わしい。

きっと、安室さんは大丈夫。だから、私はあの家で待っていなくちゃ。でも、もう、意識が朦朧として……。

どのくらいの時間、距離を歩いたのだろう。重い空からは雪が降りだしていた。
駄目だ。もう、駄目…。あともう少しなのに。

私はトタン屋根の下で意識を失った。





190331

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