トタン

□永い夜
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雪が降っている。



「工藤君!お願い、一緒に探して!はやくしないとあの子…!」


「まさか人間が猫にねぇ…。まぁ、俺らのことを考えたら格別可笑しな話でもねぇ気がするけど…」


「とにかく!早く探して欲しいの!これを逃したら、もしかしたら一生人間に戻る機会を逃してしまうかもしれないのよ!」





トタン屋根の下から見える景色はいつも同じだ。モノクロで、冷たくて、音だけがやたらと響く。どこかで風に煽られたトタンがパタパタとぶつかる音がする。私は寒さに凍えながら、あの日のことを思い出す。







「人間に?」


「ええ、…私が二度目に彼女に飲ませた薬には特別な成分が含まれているの。簡単に言えばヒトの抗体と反応する抗原のようなものね。それが相性の良い人間と…つまり、「アレルギー反応」を起こすヒトの抗体なら反応を起こして体の中である成分が発生し、人間の身体に戻れるかもしれないってわけ」







ジンに腕を撃たれ、息も絶え絶えに私はこの場所へ逃げ込んだ。あの時も雪が降っていた。寒くて冷たくて、だけど体の内側は燃えるように熱かった。すべては私を猫の身体にした薬のせいだ。あの時も私はこの景色を眺めていた。
…今までの自分を、環境を、人生を、すべてを呪いながら。








「それで?彼女が逃げ出してなんの関係があるんだよ?」


「バカね。外の世界には何があるか分からないわ。彼女が何気なく嗅いだ葉っぱだって手の怪我した人が触ってないとも限らない。それを知らず口を舐めてしまったら即アウト!それで運よく反応があればいいけど…」


「でも、別に反応がでなけりゃそれはそれでいいじゃねぇか。反応がでるヒトまで探せばいいんだろ?」








結局、時間が経っても私の運命は変わらなかった。だから私は再びこうして雪の世界を見ている。降り積もる雪がすべての音を奪っていくようだ。騒がしかった世界も、無情な雪に全ての音を奪われ静寂に還っていく。
あの時と何も変わらない。変わったのは。








「それもダメ。まず、前提として皮膚片や髪の毛はダメなの。反応する抗原に対する不純物が多すぎて反応してもしきれない。その時点で免疫ができてしまって二度とヒトの身体には戻れなくなるわ。不純物の少ない、反応性の高いキャリアじゃないと駄目。それもあの薬を飲んで24時間経過後1週間以内に。…だから、この一週間は彼女を外界から隔離しておいたの。1週間たてば、薬の効果が消えて抗原と反応することもなくなるから…。勿論、私はそのキャリアじゃなかったから私の抗体と反応することが無いように彼女にワクチンを打ってね」



「なるほどな。…で、なんで伝えなかったんだ?その子は何も知らないからこっそり抜け出して出てったんだろ?普通に言えば良かったんじゃ…」


「……それは」







この雪を見ている私自身だろうか。あの時の私は酷く絶望していたように思う。生きる希望を失いながらも終わる世界に対して絶望を感じていた。今はどうだろう?悲しい?辛い?そのような気もするし、穏やかな気もする。浮かぶのは安室さんのことだけ。私が変わったとするのなら、それは…安室さんに恋をしたからに違いない。








「……あの子が、恋をしていたから。だけどきっと…本当のことを言っていたとしても、あの子は……」


「…………?」









ああ、好きだったなぁ。









「ハァ……ハァ…」


「おい灰原大丈夫か?俺がしばらく一人で探すから、お前は一旦家に戻って…」


「…駄目。彼女を隔離してたのはもう一つ理由があるの」








なんだか、身体がとても重い。風邪を引いて起きた時の朝みたい。それに、寒い。じわじわと体温が下がってくる感覚。このまま地面に伏して、地面と一つになってしまうような錯覚がする。血の気が引いてきたのか、頭がぼおっとする。もう安室さんに包んでもらえるあの感覚は二度と。







「…仮に…反応を起こさない血液を含んでしまったら。……その時は」








目の奥が詰まったような感じがする。世界が霞んできたのは雪のせいだけではないだろう。涙が出たら楽なのに。なんて考える私は冷静なのだろうか。








「……死ぬわ。ショック反応を起こしてね。ショックが起きてすぐだったらなんとかできるかもしれないけど……たぶん、殆どは」








最後にもう一度抱きしめてほしかったな。
安室さんの匂いに埋もれたかった。
悪い夢をみてうなされていないかな。
でも、もしかしたら誰かが傍にいて起こしてくれているかも。






私のこと忘れないでくれるかな。
何年たっても拾った野良猫がいたなぁって思いだしてくれるかな。
ずっと一緒にいたかったな。
やっぱり、やっぱり、あたし。





大好きだったなぁ………。













ある冬の夜明け前。小さな子どもがふたり、あるトタン屋根の下でそれを見つけた。
小さな女の子はそれに触り、力なく笑って持ってきていた洋服を被せた。
雪の止んだ空は、山際の向こうから鈍い光を放ち始めていた。







190601

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