短編2

□降谷さんとの日常
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目が覚めると愛しい寝顔が横たわっている。
聞こえるのは規則正しい寝息。無邪気で無防備な顔を心ゆくまで堪能できるのは私だけの特権だ。

眺めていると不意に触れたくなって、零の顔に手を伸ばす。最初にサラサラの髪に触れる。まるで猫のように柔らかい。金髪に近い零の髪の毛は微かな朝日を受けて半透明に光っていた。
それから、頬に触れてその体温に安心する。輪郭をなぞると顎の下に僅かばかりの傷の跡。殆ど治りかけている浅いそれはきっと剃刀の刃で切ったのだろう。日常的な傷跡にふっと愛しい気持ちが零れた。
そして、喉仏。零に言ったことは無いが、私は実は零の喉仏が好きだ。首が細いからか、中性的な顔とは裏腹に目立つ喉仏。思わずそこにはキスを落とす。

先程まで幸せな夢を見ていた。夢に出てきた海の波音が未だ耳奥に残っているようだ。透明に青白く輝く海。白い砂浜。どこまでも伸びる空。あれは…多分、教会。海に囲まれた小さくてささやかな場所。誰かが、誰かといたような気がする。誰と誰なのかは分からない。というのも夢というのは不確かなもので、起きたその時はこんなにも鮮明に覚えているのに1秒ごとに砂の城が崩れていくように思い出せなくなっていく。
もう海の声は聞こえない。きっとベッドから出るころには夢をみたということすら忘れているんだろう。
だけど、私は幸せだった。その夢を見ている間中とにかく幸せな気持ちを胸に抱きしめていた。そして、起きて一番幸せだったのがそれは夢の中の話だけではなかったということ。目が覚めて好きな人が隣にいる。こんなに幸せなことがあるだろうか。

身体を起こし、洗濯物を回している間に顔を洗って軽く身支度を整える。零は良く寝ていた。連日仕事だったからきっと疲れているんだろう。同じ公安警察で働いていても部署も違うし殆ど会う機会は無い。特に零の場合は、だ。彼は仕事ができすぎる、公安のエースなのだ。それを誇らしいと思う気持ちと、すこしだけ寂しいと思う気持ちと、不安と。
ううん、私より零はずっと辛い思いをしているはず。私が泣き言なんて零している暇はない、よね。

洗濯物を抱えながら零の横を歩くとやはりまだ眠っていた。この部屋は寝室とベランダが繋がっているからなるべく起こさないように窓を開け、外に出る。今日は良い天気。白く光る青空は希望に満ち溢れていた。

さっきまでどんな夢を見ていたんだっけ。
思い出そうとしてももうそれは残骸となって記憶の片隅に滞っているだけだった。確か、確か…こんな風に抜けるような青い空と、それから…白い?…海だったっけ?
そんなことを夢想しながら洗濯物をしていたものだから、からからと背後の窓が開いたときはちょっと心臓が止まりそうになった。


「…おはよう、早いね」


『びっ、くりした…。おはよう。もしかして起こしちゃった?ごめんね』


「ううん、目が覚めたら一人だったから、寂しかった」


寂しがり屋か!と突っ込みたくなるよりも愛しいと思う気持ちが勝ってしまった私も大概だと思う。昨日もきっと夜中遅くに帰ってきたんだろうしもう少しゆっくり寝ておけばいいのに。勿論、私としては起きていてくれる方が嬉しいのだけど。


「…でも、ベランダに目をやったら天使がいたから、一瞬死んだのかと思ったよ。とうとうお迎えがきたのかって」


『それ、私のこと?天使って…』


「本当に天使みたいだったよ?朝日で輪郭がぼやけて、光明を受けてるみたいで…本当に綺麗だった」


『はいはい、もう、疲れてるのよ…』


そっぽを向いたのは恥ずかしかったから。零はそんなことお見通しのようで、私の背後でくすくす笑う。それからぎゅっと私のことを後ろから抱きしめた。温かい体温が私を包む。


「んー…好き」


『も、もう…!洗濯物、まだ途中なんだけど…』 


「手、冷たいね。洗濯物のせいだな。温めてあげよう」


零のおっきな手が私の手を包んで擦ってくれる。こんなありふれた日常を幸せと呼ばずになんと呼ぼう。ありがと、と振り向くとそのまま唇を奪われた。そして私の左手を朝日の元へと掲げた。


「結婚しよう」


逆光が眩しい。私の思考は何秒か停止する。目が慣れてきて、自分の左手の薬指につけられた指輪に気が付く。そしてやっと零の言葉の意味を理解して、思わず振り返って何かを言おうとしたがぱくぱくと声にならない声が漂うだけで、何も言う事が出来なかった。


「嫌かい?」


なんと答えたらいいのか、悦びも限度を超えそれを表すすべを私は持たない。だけど、もちろん、嫌な訳がない。なんとかその気持ちに応えようと、自ら零のもとへと抱き着いた。
零はそれを心地よく受け止めてくれた。色んな想いが頭を回る。好き、愛しい、愛してる…。陳腐な言葉だが今の私にはそんな言葉しか浮かばなかった。そしてなんとか言葉を捻りだす。恥ずかしくなってもう一度強く強く抱きつく。


『ありがとう。…大好き…』


これは夢じゃない。きっと生涯忘れることは無いだろう。零の鼓動を感じる。この瞬間が永遠に続けばいい。ああ、この人が好き…。やはり、幸せなのは夢ではなく現実だったのだ…。

そして私たちは何か月かあと、海の見える教会でささやかな式を挙げることになるのだが…。
それはまた別のお話。



171211

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