短編2

□殺し屋と警察官――朔
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この世界には2種類の人間がいる。
人を殺せる人間と、そうでない人間。
そのふたつは表立って私たちを分け隔てないけれど、光と影のように微かに、だけれどはっきりと私たちを別の種類の人間に分別する。



この、ポアロのお兄さんはどうだろう。



瑠璃はカウンターの席でゆったりと座りコーヒーを啜りながらそんなことを考える。
先程熱々の液体が唇に触れた瞬間思わずむせてしまったので、ポアロのお兄さんと大丈夫ですか、と軽く笑いながら目が合ってしまったのだ。
その瞳の奥に影を見た瞬間、この人は光の中を歩くべき人なんだろうと潜在意識の中で考えていたのがすべてひっくりかえった。この人の瞳は不思議だ。


その2種類の人間は、目を見れば大体わかる。
人を殺せる人間は瞳の奥に深い闇を宿している。実際問題殺すかどうかは別としても、そういう素質があるとでもいおうか―とにかく、うっすらとでも影が見えるのだ。勿論、これは私の主観だけれど。

だけど、このお兄さんはよく分からない。瞳には死者の影がそこかしらにちらついている。だけど、人を殺すようなようには見えない。
「殺せない」ことはないと思う。でも安易にでも衝動的にでも、計画的にもなんでも、殺す側の人間だとも思えない。

まぁ、そんなことどうでもいいんだけど。


耳につけたワイヤレスのイヤホンからは、斜め後ろのテーブル席につけた盗聴器からの音が流れている。
眼鏡をかけた初老の男性。そして向かいに座るお喋りなおばさん。今回のターゲットは男性の方だ。おばさんの方もきっとどこかで雇われた諜報員なのだろう。少しでもお喋りから情報を聞き出そうとするのは良いが盗聴器からは殆どおばさんの姦しい声しか聞こえない。それに、息をする音がかなり激しく、テーブルの上にはさぞかし唾が飛んでいることだろう。

やれやれ、このおばさんは相手にしているこの男がどれだけ裏で人を殺しているプロなのか分かっているのかしら。
一見紳士的に優しそうで、例えば子どもたちが面白がって虫を残虐に殺していたら、「殺生はいけないよ」なんて説き出しそうにも見えるが、実はこの男、こちらの世界では相当名の知れた後ろ暗い仕事をしている代表取締役なのである。
故に、あのおばさんは大変危ない。よもやターゲットの前でトイレに立つだなんて言語道断だ。しかも、戻ってきた途端喉が渇いたのかコーヒーをがぶがぶと飲みだすしまつ。その間に一服盛られてたらどうするつもりなんだろう。

まぁ…私には関係のないことだけど。

これ以上ここにいても収穫はなく、リスクが上がるばかりだと思い会計に向かう。店を出るときに爽やか風イケメンお兄さんに「またきてくださいね」と爽やか風イケメン笑顔でお見送りをされた。この人は自分がイケメンだということをどのくらい理解しているんだろう。あの暗い瞳――もしかしたらすべて計算しているのかもな、と心の中でひとりごと。


物陰に身を潜めながら、じっと私は夜が訪れるのを待つ。
スマホの天気予報を見る。天気…晴れ。日の入り…17時48分。月齢…29.3。
新月か。うん、悪くない。今日の仕事はうまくいきそうだわ。

うっすらと紺色のベールが降りたって、そろそろ近づかないと相手の顔が見えなくなってきた時間。件の男性とおばさんは揃ってポアロから出てきた。このまま帰るのかと思いきや、ふたりの足取りは段々と妖しくなっていく。おばさんの方が男の方を人気のない路地へと自然に誘っているように見えるが――いや、…違うな。あれでは多分…。

充分に間をおいてから、私もその路地へと向かう。
心臓は特段変な動悸も奏でなかった。私にとって「これ」は日常の一部で、例えば大学生がアルバイトの行くのと同じくらい平凡でありふれていることだ。緊張や、恐怖はない。そういうのは持たない方がいいと口数の少ない父親が私に教えてくれた数少ない教育の一つだ。

私たちにとって、それは特別であってはならない。朝が来れば太陽が昇るように、繰り返される日常の一部ではないとならないのだ。

今思えばちょっとお洒落に言ったつもりなんだろうなと微笑ましくもなるが、私はその言葉を気に入っていた。


薄暗い路地には思い描いていた通り、おばさんは倒れ、男の方は背筋を伸ばしたまま彼女の鞄の中をまき散らしていた。私が路地を覗き込んだのと、彼が路地の入口に目をやったのは殆ど同時だったように思う。流石、野性的な勘は歳をとっていても現役並みだわ。でも。


「……やぁ、お嬢さん」


こんな声で絵本の読み聞かせをされたら、子どもはたちまち眠くなってしまうだろうな。そんな風に思える優しくて、安心する、老齢した声だった。


「すまないねぇ。でも、見られてしまったから…仕方がないねぇ」


全く、こんな声で、こんなトーンで遠回しに「殺す」と言われていると誰が気づくだろう。彼の右手のナイフがきらりと光った。身軽に、音もたてずに彼は私にナイフを立てた。――だが、私の拳銃が彼を打ち抜く方が数倍速いというのを、彼はいつ気付くだろうか。

二発。改造した拳銃は音もなく獲物を軽々しく打ち抜く。弾が小さく、火薬の匂いや硝煙に最大限に配慮している分殺傷能力は低いが、そんなものは要するに打ち抜く部位によって解決する。私と手に馴染んだこれは、確実に狙いたい部位を貫いてくれる。今は足を狙った。両脚のアキレス腱、これでもう歩くことはできまい。


「な…な…なんだ、お前は…」


『さぁ?あの世で私を知っている誰かに聞けば?』


脳幹部に狙いを定める。特別な感情はない。一連の流れとして私の身体に沁みついている行為だ。


「おま、お前は…そ、うか…ポアロにいた…」


『今頃気付いたの?どんな手強い相手かと想像してたのに…ショック』


「そう、そうか、お前が、…いら、いされたら…誰でもころ、す…ころし、や」


全然ダメね。今ごろになってそんなことに気がつくなんて。
私にポアロで気がつけなかった瞬間からあなたの死は決まってたのよ。…まぁ、気づかれていたら私の方が死んでいたのだろうが。


「夜を…縄張りに…コード、ネームはたしか……いざよ」


全てを言い終わる前に、私は彼の脳天を打ち抜いていた。
先程まで生きていたことのほうが冗談のように路地から生き物の気配が消える。


『その名前、嫌いなのよね』


人気のない路地で、私は吐き捨てるように呟いた。






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