短編2

□殺し屋と警察官――繊月
1ページ/1ページ





瑠璃は今、いつものように自分のいるビルよりは背の低い建物のある一室を、スコープ越しに覗き込みながらあんパンを頬張っている最中である。

今日も夜ご飯はこれだけになりそうだな、なんて考えながら獲物を隅から隅まで観察する。
服装は、髪型は、なにかいつもと違うことはないか、警戒はしていないか(狙われる方もそれなりに理由がある奴らばかりなので大体全く警戒していないということはないが)、周りの人間は、動きに不自然な部分はないか。
とても退屈で目の疲れる作業であるがこの行為が今日の仕事の出来・不出来を分けるのだから仕方がない。
計画を進めるうえで、「いつもと同じ」であることは殆ど必須事項であると言っていい。いつもと違うことがあると大体上手く行かないことが多い。そして上手く行かない結果は即自分への危害に繋がる。面倒事はごめんだし、できれば痛い思いはしたくないので不自然な部分があればその日の実行を取りやめることもある。


よし、今夜決行しよう。


スコープから目を放し、ひとつ伸びをする。オレンジ色だった空は次第に彩度を落とし始め、暗い影を纏っていた。丁度いい時間だわ。相手の顔が見えなくなる時間。夜でもなく、昼でもなく、夕方でもない、夜に片足を突っ込んでいるのに、夜というのには早く、だけれど夕方というには遅い時間。
同時に昼や夕方のあのどこか騒がしく、煌びやかな時間帯から解放されホッとする時間でもある。要するに、獲物のスキができやすい時間。

大きくひとつ深呼吸をして歩き出す。全く、ここのビルは高さも立地も屋上の鍵がいつも開いているところも申し分ないのだが人の出入りが激しい分この最上階まで階段で上がらなくちゃいけないところが玉に瑕だわ。
瑠璃はうんざりした気持ちを抱えながら非常階段への扉を開けると不意に人の気配を感じた。


「お仕事熱心ですね」


聞き慣れてはいないが、不快な声が聞こえて思わず顔を顰めた。気づかなかったふりをして前を通り過ぎ、かんかんと階段を降りるが相手がついてくることは目に見えている。


「いつもこんなペースで仕事をされているんですか?だとしたら物凄い功績だ。そりゃ業界に名前が知れ渡る訳ですね」


無視。無視。本当に不快な男だ。私が話したくないっていうのが分からないのかしら。


「だけど姿を知るものは殆どいないというのもミステリアスでいいですね。まぁ、まさか誰もこんな綺麗なお嬢さんだとは思わないでしょうし、貴女は街の空気に馴染むのがとても上手い」


よくもまぁ話し相手がいない会話をベラベラと続けられるものだ。コイツ絶対家でひとりでテレビ見ながらしゃべるタイプだわ。それに何、お嬢さんってこいつ馬鹿じゃないの。言い回しがオッサン臭いのにそう感じさせないのは彼のキャラクターなのだろうが、それが余計に癪に障る。


「いつもこの時間帯に活動しているんですか?まぁ確かに変に夜中にやるとイレギュラーが生じやすいですもんね。この時間帯の人間は規則的だ。まさにイザヨイの名に相応しい――」


『あなたねぇ…』


言い返そうと反射的に振り返ってしまった。ムカつくくらい爽やかな顔が思ったより近くに合ってしまった、と思う。…これじゃ完全に奴のペースだ。


「すみません、瑠璃さん」


うわこいつ確信犯だ。私が嫌がるのを見越してわざとコードネームを…。全く、性格が悪い。余計に嫌いになる。


『何なのよ。あんたこそ仕事熱心で尊敬に値するわ』


再び前を向いて階段を降りる。ああもう長い階段だわ。だからこのビルは嫌いなのだ。


「仕事ではありませんよ。趣味ですから」


『わぁ、ストーキングが趣味なの?現代の警察官サマはお忙しそうで大変ねぇ』


ようやく階段の終わりが見えてきた。私もこんなやつとの会話を無視できないなんてまだまだ未熟なものだわ。


「警察官サマ、ではありません」


扉に手をかけたときにそんな言葉が聞こえる。振り返って吐き捨ててやる。


『さぁ。覚えがないわ、警察官サマ』


扉を開けた先には仕事が待っている。











「仕事」はいつも通り、滞りなく進んだ――訳では無いが、成果としては上出来だろう。
まさか獲物も拳銃を所持していたなんて。それも、身に着けていた訳では無い、私のような殺し屋がいかにも誘い込みそうなポイントに前もって隠しおいていたとは。
だがそんな念入りの準備にも関わらず、獲物の弾は私の右頬は軽く掠っただけで終わった。理由は簡単だ。彼の「武器さえあれば我が身を守れる」という浅はかな考えよりも私の殺し屋としての技術が高かった、それだけのこと。
銃を奪う必要もなかったな。私の使った弾は一発だけだった。正確に打ち抜いたからか顔は綺麗なままだった。地面に大量に漏れ出ている血さえなければただ気を失って倒れているようにも見える。

帰ろうと踵を返したところでぱちぱちぱち、と拍手が聞こえる。出口に人影が見える。その登場の仕方がこいつのお決まりらしい。


「相変わらず素晴らしい技術だ」


『相変わらずお忙しいお仕事ね』


「ごみは持ち帰りましょうね」


いつの間に盗ったのか、それとも単に私が忘れていたのか分からないが、彼は私が先程まで食べていたあんパンの袋を再びひらひらさせながら話しかけてくる。私は大げさに肩を竦めて見せた。


『最近の警察官サマはゴミ掃除のお仕事も忙しいみたいね』


「本当に口が減らないですね、瑠璃さんは」


『何気安く名前で呼んでるのよ』


「おや、ではもう一つの名前で呼びましょうか?」


『あーなにこいつ本当殺したい』


そしてこいつはなんでいつもこんなに嬉しそうなのだろうか。エムなのか。こいつはエムなのか。


「ちゃんとしたご飯を食べないと身体を壊しますよ」


『…別に、作るのも面倒だし』


「怪我をしている。…これも日常茶飯事ですか?」


頬の傷をすっと指でなぞられ思い切りその手を振り払った。ぱちん、と鈍い音がする。


『あなたね、これ以上私の仕事を邪魔するのなら本当に殺すわよ。私は私情で人を殺さないけど、仕事の邪魔になるなら致し方ないと思ってる』


「昨日のターゲットに殺された女性のようにですか?」


『そうね』


殺気をにじませ、睨み付ける。困ったような顔を作って見せるのが余計に私の怒りを増幅させる。


「瑠璃さんの仕事を邪魔するつもりはないんですがねぇ」


『だったらどうして私に付きまとうの?』


「ファンなんですよ」


『はぁ?』


気の抜けたような返答に肩の力が抜ける。こんなやつに付き合っていても疲れるだけだ。怒りが呆れに変わっていく。


「僕は瑠璃さん自身にすごく興味がある。君がどういうことを考え、感じ、日々を過ごしているのかを知りたい」


『あっそう……』


埒が明かない、というよりこれ以上の会話は無意味だ。なんだかどっと疲れてしまった。早く帰りたい。


『残念だけど私はあなたのこと嫌いなの。話したくないし見たくもないわ』


「そんなに嫌われているんですか?僕」


奴は心底残念そうな顔をした。無視して横を通り過ぎていく。


「また会いましょうね、瑠璃さん」


『二度と会いたくないわよ、警察官サマ』


どうせこいつは何を言っても付きまとってくるんだろう。やっぱり警察官は嫌いだ。




続きます
190901

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ